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*** 「失礼します」 「悠真くん。……今日も、来てくれたのね」 「美玖の様子はどうですか」 「まだ……目が覚めないの。どうしてかしらね……」  病室で、痩せこけた美玖のお母さんと言葉を交わす。僕は持ち込んだ花を花瓶に生けると、隣の椅子に腰かけた。動かない美玖の手に触れて、存在を確かめるように撫でる。  医者は「容態は十分に安定しています。そう遠くないうちに目が覚めるでしょう」と言った。しかし、その言葉を聞いてから早1ヶ月が経とうとしていた。そう遠くないうちって一体いつなんだ、と。医者を問い詰めても、そこまでは分からない、と首を振られた。  美玖の目が覚めたら、病室は大部屋に移動することになっている。それまで、この無個性な白い壁の中で一人きり。僕も、美玖のお母さんも、一日中そばにはいられない。  寂しいよな。一人にしてしまってごめんな。  時間があるときには付きっきりで隣にいるし、時間がない日も必ず一度は顔を出している。来るたびに、お菓子や果物、花やアクセサリーなどを持参していた。いつ、美玖が目を覚ましても喜んでもらえるように。それは罪滅ぼしのようだと、時々頭をよぎった。  眠ったままの美玖の側にいるのは、罪悪感からなのか、好きだからなのか。実のところ、なんだかもう分からなくなっていた。義務かと言われたらその通りのようにも感じてしまう。こんなんで彼氏面できるわけないと思いながらも、離れたくない気持ちだけは常にあった。  側にいたい。目が覚めた瞬間に隣にいてあげたい。願ってはいるけれど、美玖が望んでいるかは分からない。僕のせいだと恨んでいて、会いたくない可能性だってある。  美玖のお見舞いに来るたびに、様々な思考が駆け巡っていた。自分の存在意義。美玖との関係。どれが正しくて、どれが間違っているのか。美玖の目が覚めない限り、答えなど分かりそうになかった。  美玖の細い指に、自分の指を絡める。繋がれた手に視線を落としたまま、静寂の中で呼吸をした。 「悠真くんはあの日、きっと家まで送ってくれようとはしたのよね」  唐突な美玖のお母さんの声に、心臓がドキリと脈を打った。瞬間的に渇いた喉のせいで返事ができず、その間、幾多の針が心臓を攻撃している感覚に苛まれた。  なのに、どうして家まで送ってくれなかったんだ。まだ形にされていない言葉が、聞こえてくるようだ。何も言い返すことなどできない。その通りだから。家まで送っていれば、美玖はこんなことにならなかったはずなんだ。きっとその気持ちは誰よりも、美玖の両親が感じているんだろう。 「……すみません」  掠れながらも絞り出した声で応える。逃げ場を求めるように、絡めた指先に力を込めた。反応のない美玖の手が、僕のせいだと言っているみたいだった。 「いいの、謝らないで。……美玖のことだから、美玖から断ったんでしょう。 夜道を一人で歩くなっていつも言ってるのに、いつも聞かないのよ。……だから、悠真くんは何も責任を感じなくていいの。美玖のことを大切に思ってくれているだけで、嬉しいから」  誰よりも辛い筈の美玖のお母さんの声が、優しくて、胸にすっと溶け込んできた。途端に目頭が熱くなり、眉根を寄せる。  どうして、そんなに優しいことを言ってくれるんですか。僕のせいで、僕が送らなかったせいで、事故に遭ったのは事実なのに。どうして僕を責めないんですか。貴女の目の前で娘は眠ったままなのに、なんでそんなこと、言えるんですか。  僕のせいだって、言ってくれればいいのに。 「もう年頃のくせしてね……いつだって悠真くんの話しかしないのよ。特に、デートから帰ったときなんて、寝るまで悠真くんのことばかり。……あぁ、早く目を覚まさないかしら。デートの感想が聞きたいわ」  独り言なのか、僕に向けた話なのか、判断が難しかった。でも、相変わらず暖かい声色で呟いている。その声が今は、僕にとっての刃だ。容赦なく心を突き刺していく。罪悪感の重圧に潰されていく。 「すみ、ませ、ん……」    震えた声で再び謝る。もう美玖のお母さんからの反応は無くなり、僕の謝罪は、沈黙の中に置き去られた。
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