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病室に通い詰めて、更に半月が経った。これまでに飾った花の種類は数多く、持ってきても美玖の両親に渡してしまうか、持ち帰ってしまうかをしたお菓子も数えきれない。
窓の外から夕陽が差し込み、白いシーツや壁に反射して、つい目を細める。そんな日だった。
包み込んだ美玖の手が、微かに動いたように感じた。
「美玖……!? 今、美玖の手が動いたような……!!」
「……本当に? 本当に、動いたの……!?」
声に反応したのか、再び手が動く。今度は確実に、絶対に動いた。
「間違いないです、動きました!!」
「美玖、美玖……起きたの……目を覚ましたの……!?」
共に美玖の顔を覗き込む。僕も美玖の名前を連呼していると、ゆっくりと表情を歪めた美玖が、目蓋を開いた。真顔で僕たちを一瞥し、天井に目線をずらした美玖は、どこかずっと遠くを見ているような瞳。
「今、お医者さんを呼んだからね……!!」
いつのまにかナースコールを押していた美玖のお母さんが、涙ぐんで告げる。僕も知らず知らずのうちに、頰に涙が伝っていた。
これまで抱えていた筈の罪悪感も、後悔も、何もかもが無かった。異常な程の喜びと、感動と、安堵が頭も心も埋め尽くしていた。
眠り続けていたらどうしようと考えていた。どうしたら起きてくれるだろうか、と。不安で不安で堪らなかった。目覚めると言われた美玖が、翌日の病室で息を引き取っていたら、僕は生きていけるかどうか、真剣に悩んで徹夜した日もあった。
でも今、僕の目の前で。
美玖は目を覚ましてくれた。
「どうしましたか!」
「あぁ、看護師さん……!! 美玖が、美玖が目を覚ましたんです……!!」
「本当ですか!? 今すぐ先生を呼んできます!!」
パタパタと駆けていく看護師の足音が聞こえる。美玖はずっと天井を見たまま、僕が手に力を込めても、握り返してはくれない。
担当医や他の看護師は、すぐさま病室に駆けつけた。美玖のお母さんと席を代わり、美玖の真横に位置取った医者。そして美玖を起こそうとした時、小さな呟きが耳に入った。
「……どうして」
医者はベッドを起こそうとしていた手を、戸惑いながらもそのまま動かし、起きた美玖に向かい合う。美玖は虚ろな瞳に医者を写し、また呟いた。
「どうして、足が――動かないの」
空気が一瞬で重くなったのを肌で感じる。頭が空っぽになって、心に氷が落ちてきて、酸素を吸って、吐けているのか分からなくなった。
美玖は、今、なんて言った?
動かない?
なにが?
――足が?
僕たちに見せつけるように。且つ、自分自身で確かめるように、布団から出した両手を拳にして、開いてを繰り返している美玖。
時の止まった病室に、美玖の掠れた声だけが響く。
「ほら、両手はこんなにも動くのに……足はどうして、動いてくれないの?」
表情を消したまま、医者と美玖のお母さんへ交互に目をやる。僕はただ、呆然と、その光景を見ていることしかできなかった。
そう遠くないうちに目覚める。それしか聞いていなかった。美玖の両親も、医者も、僕にはそんなこと一言も言ってはくれなかった。
美玖のお母さんは、視線から逃れたそうに俯いている。美玖の両親は知っていたのか。僕だけが知らなかったのか。僕だけが、知らされなかった。
「坂原 美玖さん。大変申し上げにくいことなんだけどね……君の遭った交通事故で、両足の神経が傷付いて、もう、動く望みは薄いんだ。リハビリを何十年も続ければ、動くようになるかもしれないけれど……」
医者が冷静なトーンで説明をした。僕の耳を簡単に通り過ぎていった言葉の羅列は、どんなに理解しようとしても、理解できなかった。動く望みが薄い? たった一回の、事故で。僕のせいで、美玖の両足を失くしてしまった?
なんで、と。ごめん、と。言おうとして、どちらも声にならずに飲み込んでしまったのと同じタイミングに、美玖がお母さんに問いかけた。
「ねぇ、ママ。事故って、なぁに? “みく”の足、もう動かないの……?」
誰かが息を飲んだ、音がした。美玖の問いかけには一人も答えない。美玖のお母さんは、足を引きずって美玖に近付く。勢いよく肩に掴みかかりそうな、反対に、弱々しく肩に手を置きそうな、そんな雰囲気だ。
僕は、やはり呆気に取られるだけだった。目の前で何が起こっているのかが理解できない。知ってる人の演じる芝居でも、見せられている気分だ。頭の中がぼーっとして、意識はここに無かった。
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