3/3
前へ
/10ページ
次へ
*  美玖の両親と、僕。美玖への様々な再検査を終えて、僕たちは美玖がいるところとは別室で、医者と対峙した。美玖のお母さんは、僕が入ることを止めようとしていたが、お父さんが承諾してくれた。  暗い雰囲気の中、誰から喋り始めるか。口の開きにくい場面で、率先して言葉を発したのは、美玖のお母さんだった。 「美玖が、あの子が傷付いたのは……両足だけじゃ、なかったんですか……」 「……検査の結果、美玖さんの精神年齢はおよそ小学4年生にまで戻っていることが判明致しました。しかし、脳に異常は見当たらず……」 「4年生……!? あの子は今、小学生にまで戻っているんですか!?」 「はい。……記憶も、知能も、全てがそのぐらいのご年齢です。申し上げにくいのですが、何かトラウマになるようなことはありませんでしたか。そのご年齢の頃でも、ここ最近でも構いません」  医者の問いかけに、両親が顔を見合わせる。お母さんが首を振ると、お父さんは僕に視線を向けてきた。ずっと僕と一緒だった。最近では恋人にもなった。原因があるのではないかと、疑われているに違いない。  でも、どれだけ考えても思い当たらない。これといって、昔から大きな喧嘩をしたことはない。玩具の取り合いや、軽い口喧嘩をしたことはあったが、その前後は何事もなく仲の良いままだった。  僕も同じように首を振る。今は、むしろ原因があったほうが良かったのかもしれない。お父さんは僅かに落胆した表情見せて、医者に顔を向けた。 「何も心当たりがないです」 「……そうですか。でしたら、事故の衝撃による一時的な記憶障害でしょう。暫くすれば元に戻る筈です。それまでは、小学生4年生として接してあげてください」 「そんな……!! 折角、嬉しそうにこなしていた仕事も……一人暮らしも……今のあの子には、できないんですか……!?」  医者が苦悶の表情で、強く頷いた。頷きを目にした美玖のお母さんが、ぼろぼろと涙を溢し始める。「なんで」「どうして」をひたすら繰り返している。お父さんがゆっくりと背中をさすりながら、医者にお礼を告げた。  深く一礼をして部屋を出て行く医者。僕は今、この時でさえ何も言葉にできなかった。数多くの感情と言葉が、頭の中で忙しなく動いている。  中学で一緒に勉強をしたこと。高校で僕たちが付き合ったこと。大学を無事に卒業して、成人式を迎えたこと。お互いが希望する職場に就職できたこと。  初めて手を繋いだ日とか、初めてキスをした日とか、初めてデートをした日とか、初めて泊まった日とか、そういうの、全部、全部、全部、全部、  僕だけの思い出になってしまった?  頭が真っ白だ。ぼんやりとする意識をつんざく、美玖のお母さんの泣き叫ぶ声。 「なんで美玖が、こんな目に遭わなきゃいけないのよ!! おかしいじゃない……おかしいじゃないぃ……!! どうして……どうして、 守ってくれなかったのよぉぉ……!」  酷く大きな音を立てて、心臓がずきりと痛んだ。分かっていた。自覚していた。なのに、甘えてたんだ、美玖の両親の優しさに。  必死にたしなめる美玖のお父さんが、先に美玖の元に戻っているよう言ってきた。僕は腰を直角に曲げて、頭を下げる。 「すみませんでした……」  弱い声は多分、両親のどちらにも届かなかった。数秒間、下げたままの頭を上げると、極力静かに部屋を出て行く。  部屋の外には、看護師さんが1人立っていた。申し訳なさそうな……哀れむような顔をしてくるので、僕は会釈をしてその場を離れた。  覚束ない足取りで、どうにか美玖の病室まで戻る。ドアをノックして入ると、ベッドに支えられて上半身を起こしている美玖と目が合った。虚ろな目をしている。それでも、僕が入った途端に微笑んでくれた。 「ゆうまだよね。おっきくなったねーっ」  側の椅子に腰を下ろし、美玖の声を聞く。少しだけ、幼い声質のような気もする。けれど、最後に声を聞いたのは1ヶ月以上も前なので、分からない。  久々の声。久々の会話。なのになんで、こんなに嬉しくないんだろう。助かるって知ったときは……目が覚めたときは、あんなに喜んだ筈だったのに。 「みくの足ね、もう動かないんだって。この前まで、一緒に鬼ごっことかしてたのに、変な感じ。みく、交通事故にあったこと、全然おぼえてないんだ」 「……そうなんだ」  美玖と鬼ごっこなんて、中学生でした一回だけが恐らく最後だ。なのに美玖は、ついこの前のことのように鬼ごっこを話題に出した。あぁ、本当に……小学生に、なってしまったんだ、な。 「ゆうま、なんか暗いね。嫌なことでもあった?」  少しだけ前に背を傾けて、覗き込もうとしてくる。その目が嫌で、顔を逸らした。美玖がたじろいだのが分かる。  目が覚めたら交通事故に遭っていて、僕は急成長していて、こんなところにいて。美玖が本当は混乱してるんだって、分かっている。ずっと一緒だったんだ、それくらい分からない筈がない。  なのに、何事もないフリができない。大丈夫だよ、って安心させることさえできない。気持ちだけが分かっていても、何もできない、僕は無力だ。ゴミクズだ。  認めたくないんだ、本当は。  ポケットからスマホを取り出して、そこに着いたストラップを見せる。1ミリほどの小さな青い宝石のついた、指輪のストラップ。大学卒業後に、美玖と行った遊園地で買った。お揃いの、ストラップだ。 「……これ、知ってる?」  頭のどこかで、答えは分かりきっていた。それでも聞かずにはいられなかった。もしかしたら覚えているかもしれない。覚えていなくても、思い出してくれるかもしれない。……そんなのは、夢よりも儚い期待だった。 「なにそれ、ゆびわ!? ゆうま、そんなの持ってたんだぁ。いいなー、みくも欲しい!」  無邪気に美玖は笑った。僕とすぐお揃いにしようとするところ、小学生の時は特にそうだったな、なんて思い出すと、視界がぐらりと揺れた。涙が溢れて止まなかった。  無邪気な言葉が痛かった。何も知らない笑顔が辛かった。「欲しい」なんて一言で、現実はいかに残酷か、突きつけられた。  僕たちは、もう、恋人じゃない。  おずおずと伸ばされた美玖の片手を、力強く握り締める。堪えたい泣き声が、隙間から漏れ出ていく。  僕のせいだ。何もかも、僕のせいだ。  僕が美玖をこんなことにしたんだ。美玖への甘えが、美玖のことも、美玖の両親のことも、僕自身のことだって、苦しめる。  いくら謝っても許されない。到底許されることじゃない。一時的な記憶障害。それがいつ戻るかなんて分からない。ずっと、ずっと、周りを苦しめ続けることになるんだ。  僕のせいで、僕が、僕が、僕がっ……!!  僕が美玖の代わりに、事故に遭えば良かった!!  美玖が救われる未来があるなら、死んだって良かった!!  なのにどうして、神様は美玖を選んだんだ……!!  美玖を守れなくて、ごめんなさい。  謝っても謝っても、もう遅い。だけど、いくらでも謝らせてください。今はこれでしか罪を償えないことを、許してください。  ごめんなさい。  ごめんなさい。  ごめんなさい。  ごめんなさい。  ごめんなさい……。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加