第28章 これまでだってそれは、ずっと君の中にあったんだよ。

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「それって、わたしのボーカルになんか不満があったってこと?そりゃ歌音ちゃんに較べられたらさ。声量とか歌唱力とか、いろいろ足りないとこもあったかもだけど…」 頬っぺたはぷくっ、と膨らんでるけど目が笑ってるから本気で怒ってる様子でもない。多分こんなやり取りは今までも交わされてて一種のお約束になってるんだろう。音無くんも怯まず平然と返した。 「そんなこと言ってないって。あくまで今のは歌音ちゃんがすごかった、って話でユヅキとは関係ないよ。何回も言ってることだけど。お前にはお前の良さがあるじゃん。ユヅキにしか出せない味っていうかさ」 思いがけなくわたしの隣から、不意に堂前くんがぼそっと口を挟む。 「…森下が歌う◯◯の曲はよかったと思う。あれは、他の人じゃああはいかない」 彼女、苗字は森下さんか。相変わらずの周囲に流されない、絶対に相手の下の名前で呼ばないスタイル。 それを耳にした途端ユヅキさんの頬がぱっ、と染まったのをわたしは見逃さなかった。…そうか、なるほど。ふぅん、と今更ながら事態を朧げに察する。 まあ、彼女が当時彼のことを憎からず思ってたとしても。その後のわたしと同じように玉砕するしかなかったんだろうな、ってことはどのみち自明の話なんだし。ここであんまり深掘りしてもしょうがないか。 「◯◯の曲とか。その頃よく演ってたの?」 わたしは誰にともなく尋ねた。いかにもガーリーな感じのキュートな曲をよく歌ってるアーティストだ。あんまり堂前くんのイメージではない。彼がバンド活動の中でやりたいって出してくる曲は洋楽とか、邦楽でも割と骨太なロック寄りの曲が多かった。 そういえば、ビートルズの曲をうちのバンドで演奏したときに高校の時一緒にやってたボーカルには合わなさそうだったから、って言ってた。◯◯の曲がぴったりなら確かにそういう感じの声なのかも。 音無くんが心なしか嬉しそうに答えてくれる。 「うん、ユヅキの歌う◯◯はなかなか評判いいんだよ。当時はファンも結構ついててさ。他にも◎◎とか。バンドでは、●●なんかも」 「いいですね。可愛くって女の子らしい感じ。…わたしあんまり歌う機会なかったな、そういうの。キャラ的に似合わないからなぁ…」 ちょっとそれはそれで羨ましいかも。アイドルソングまではいかないけど女の子の魅力を前面に押し出したチャーミングな曲。 「わたしとか、半分以上は男性ボーカルの曲だったなぁ。メンバーがみんな割とロックっぽい曲好きだったし。まあわたしの方も、歌ってて気持ちいいからそれは別によかったんですけどね」 「そうなんだ。意外、今回の曲は透明感あって爽やかで元気な女の子風だよね。…へえ、洋楽とかもやってたんだ。幅広いなぁ」 ぼそぼそと低い声で説明する堂前くんからレパートリーを聞いて目を丸くする音無くん。わたしに羨ましい、と言われて少し嬉しそうな表情を浮かべたユヅキさんが弾んだ声で提案してきた。 「そしたら明日、もしよかったらステージで一曲コラボしようよ。わたしも久しぶりに思いきり歌いたいし。歌音ちゃんなら多分全然歌いこなせると思う。◯◯の曲、これまで歌ったことなくても」 「大丈夫かな。…そしたら、明日頑張って練習します。突貫工事だけどなんとか」 自信はないけど、少なくとも楽器で新しい曲をいきなり明日やれって言われるよりだいぶましだと思う。曲自体は聴いたこともあって漠然と憶えてるのもいくつかあるし。 「…ありがとね、歌音ちゃん。さっきあいつをちゃんと立てて、羨ましいとか言ってくれて」 その後、ややアルコールが回ってきてふわふわと酔った雰囲気のユヅキさんが席を移動して堂前くんのそばにやってきた。他のメンバーもほとんど地元に残っているらしく、久しぶりの彼を囲んで話に花が咲く中(もっとも真ん中にいる人物は普段と寸分違わぬ無表情)傍でただ耳を傾けていたわたしに気を遣ってくれたのか、反対側から音無くんがこそっと声を落としてわたしに話しかけてきた。 堂前くんの向こう側にいるユヅキさんがその台詞を耳にした気配はない。わたしはちょっとそちらを確認してから、自分も抑え気味の声で答えた。 「いえ、気を遣ったわけじゃ…。言ったのはほんとのことだから。わたし、何でも屋で自分では歌いたい曲っていうようなこだわりがないんで、メンバーもあれやりたいこれやりたいって気軽にいろいろ出してきて。みんなカッコいい系のちょっと勢いのある曲が好みだから、ふんわりしたスイートな曲は自然と少なくなるんですよね。ユヅキさんて見た目も素敵だから、きっとぴったりで人気もあっただろうなぁって。素直にそう思う」 「歌音ちゃんだって小柄で可愛くてキュートでしょ。曲の選択がそうなるのはそりゃ、何でも歌いこなせるからだよ。いくつか録音したのタッツーから聴かせてもらったけど。…あの新曲とは全部それぞれ違ってて感動したなぁ。なんか、ぞくっと来たよ」 思い出したように小さくため息をつく。 「なるほどね、こういう人が本気でプロを目指すのかって。最初からものが違うんじゃないかなって思った。地方にいると本物に出くわす機会もないから、なかなか」 「北海道出身のミュージシャンいっぱいいるじゃないですか。札幌から出てきてるメジャーな人たち結構知ってますよ」 ****とか、☆☆とか。とバンドの名前をいくつか挙げると、彼は表情を緩めた。 「ほんとだ、結構いるな。じゃたまたま、デビュー目指せそうなの周囲にいないのは俺環かな。札幌もライブハウスはいっぱいあるし、確かに音楽は活況なんだよね。俺たちも高校の頃から当たり前みたいに活動してきたし」 そんな中に堂前くんも、それからあいつもいたわけだ。そういえば堂前くんと同じバンドに所属してたってことは海くんともこの人は知り合いだったのかなとちらと脳裏に浮かぶ。でもここでその話を蒸し返す気には到底なれない。彼について何を言うべきかもわからないし。 その代わりにわたしは笑って相槌を打った。
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