第28章 これまでだってそれは、ずっと君の中にあったんだよ。

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「初めてこの人の歌を聴いたとき、止まってた自分の人生が急にわっと動き始めたように感じたんだ。それくらい衝撃を受けて…。僕にとって特別な歌を、もっとたくさんの人に届けたいしみんなにも聴いてほしい。そのためなら何でもするって思ってここまできた」 なんか、どきどきする。…今ここで話されてるエピソードが。自分の話じゃないみたい。 あの日、大学の学生会館のなんの変哲もない殺風景な部屋で。初めてみんなの前で思いきり歌ったとき。 彼の表情はなんの感慨も見せず微動だにもしてなかった。だけどあのとき、心の中では。実はそんな風に感じてくれてたのか…。 彼は言葉を切って神妙な表情で黙って聞き入っているお父さんとお母さんの顔を交互に見て、さらに言葉を継いだ。 「僕の目の前に新しい世界を見せてくれたこの人を。非力でもなんとか頑張って、これからも大切に守っていきたいってことも。…この人に恋人や配偶者ができてもそれはそれで別の話で、僕には関係ない。僕たちはパートナーだから。いいときも悪いときも」 そこでふっ、と彼の肩から強張りが抜ける。家族の前で意思表明をするのにやっぱり緊張してたんだ、ってことにその時初めて気づいた。 そういうこと、表には出ない人だから。微かな変化でやっとこっちは感知できる。 「あとでこの人の歌もできたら聴いてほしいけど。少しでも多くの人に聴いてもらう機会を増やしたいから、こっちでもライブができるのならって僕が頼み込んで札幌に連れてきたんだ。彼女も仕事があって忙しいんだけど…。僕の勝手な思い入れで振り回してないこともないから。うちのみんなにも、結果こうして協力してもらう羽目になって。心苦しいけど」 「何言ってんの、あんたの大事なお友達でしょ。こっちは大歓迎よ」 わたしに背中を向けてる堂前くんの表情はわからない。だけどわたしたちの方を向いてるお母さんの真剣だった目許がそこでふっと和らいだのが見えた。 それから堂前くんから視線を外してわたしの方に顔を向けて優しく話しかけてくる。 「この子、こんなに熱を込めて家族の前でたくさん話すのは初めてな気がする。こういう一面があったなんて…。あなたのおかげね。龍之進の新しいところを見せてくれてありがとう。それだけあなたは特別なのね、この子にとって」 「いえ、そんな。…わたしの方こそ。堂前くんにはいつも一方的にお世話になるばっかりで」 そんなこともないですよ、と勝手に否定するのも難しい。彼が言ったことが正真正銘の本気であることはわたしにはちゃんと前からわかってることだから。 でもそれ、もう知ってますって言うのもなんか思い上がってるみたいでできないよな。恐縮して身を縮めるわたしの緊張を解すようにソファに座るよう促した。 「我が子ながら今のはなかなか凛々しくて素敵だったわ。なんだか新鮮ね。…さ、どうぞ。お疲れなのに立ちっ放しもなんだから。どうぞ、まずは一息入れて。お茶でも淹れるわ」 堂前くんが軽くわたしの腕に触れて椅子の前に連れて行ってくれたあと、キッチンに向かうお母さんにすっと無言でついていった。多分お茶を淹れるのを手伝うつもりだろう。わたしの反対側のソファにそれぞれ腰かけたお父さんとお姉さんが、そっちから筒抜けに聴こえてくる一方的な会話を耳にして思わず苦笑した顔を向けてくる。 「…素直で控えめで、純粋そうないいお嬢さんじゃないの。ていうか何でお付き合いしてもらわないの?たっちゃん。一生守りたいっていうんなら断然その方が都合いいじゃないよ。…あそうか、もしかしたらもうとっくに振られちゃったのか。それでも諦められなくてこうやってそばにいられるよういろいろと頑張ってる、ってわけね」 「あの、違う…。ずいぶん前に振られたのはむしろ。わたしの方なんですけど…」 思わず腰を浮かしてしどろもどろに抗弁しかけると、お姉さんが笑みを浮かべてまあまあ、と穏やかにわたしを手で制した。 「いいのいいの。放っといて大丈夫よ。そんなことあの人がうっかり聞いたら、何であんた、こんな可愛いお嬢さん振ったりしたの!って怒り出すに決まってんだから。二人の間でしかわからない事情もあるんだろうし、そのままにしときましょ。…ね、それで。どうして振られちゃったの?」 ちょっと躊躇ってるお父さんを尻目に、お姉さんは急に興味津々、とばかりにぐいとテーブル越しにわたしの方に身を乗り出してきた。 「つまり、歌音さんの方はあいつのこと満更でもなかったってことでしょ。なんだってあの子、断っちゃったんだろ。まさか他に決まった相手がいたってわけでもないでしょうに。…あの、まさかとは思わなくもないけど。実は恋愛対象女の子じゃないとかなの、あいつ?」 「かの子。…そういうことはデリケートな話だから。あんまり、こういうところで雑談として気軽にするのは…」 お父さんがキッチンの方を気にする素振りを見せながらやんわりとお姉さんを注意する。確かに声を抑えてはいるけど。当の本人にも会話の内容が聞こえてもおかしくない距離感だ。 お姉さんは半分冗談、半分願望が混じってるような顔つき。もしかしたら若干腐の素養があるのか。 一方でお父さんはどうやら微妙に冗談にならない、と思ってる引き攣りよう。ご両親としては一向に女の子に関心を見せない息子さんに、そういう可能性を懸念した過去もあるのかも。 それに気づいたわたしは慌てて、キッチンの方まで伝わらないように若干声を抑えつつお父さんに向けて前のめりに請け合った。 「いえあの。わたしの知ってる限りではそれは、全然ないと。…えーと、彼は。ちゃんと好きな女性がいる、と思います。…多分。だからその。そちらの面では、特に。…ご心配無用ですから」 翌日はご家族も皆さん休日だったようで、朝食をみんなで頂いてからしばらくリビングでゆっくり談笑する時間があった。 そこで彼がタブレットでわたしの曲をみんなに聴かせて(わたしのいないとこで、ってわけにはいかないのか。…やっぱりなんとも言えず恥ずかしく照れくさい)、わあ、上手!とか、ほんとにプロみたいな歌声ね、全然普通にこのままデビューできそうじゃない?とか目の前でしきりに褒めて頂いて身を縮めて恐縮してしまった。
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