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気がつくと口から勝手にこんな台詞が飛び出していた。
「…雅文くんはいいね。いつもそうやって落ち着いていられて。わたしなんか、毎日会えないと禁断症状が出て冷静じゃいられない」
切なくてつらくて、じりじりするのはわたしだけなのかな。どうしてこんなに好きになっちゃったんだろ。
「余裕があるのは大人だからなの?わたしももっと何年かしたら。いちいち離れるたびにこんな子どもっぽくじたばたしないで、いつでもゆったり構えてられるようになるのかな」
彼はわたしの言葉に触発されたようにふと声色を改めた。少しトーンを落として低い声でぽつりと独白する。
『…余裕はないよ。ほんとは俺だって。顔見たいしそばにいたい。朝起きて、ああ隣に歌音がいないんだ、って気づくと…。やっぱりここにいてくれたらなぁって。寂しいしつらいよ』
「…うん」
同じ気持ちで胸をじん、と熱くする。よかった、わたしだけじゃない。一日や二日くらいどってことない、って。別に彼だって思ってるわけじゃないんだ。
そこで雅文くんは自分に言い聞かせるように明るく吹っ切れた声を出した。
『…だけど、歌音の夢のためなんだから。お前の歌をたくさんの人に聴いてもらう機会を作るって、ほんとに大事なことだろ。だから、俺なんかがうじうじつらいとか言ってられないよ。それにお前はちゃんとここに帰ってきてくれるってわかってるんだし。…そこは我慢できる。伊達に歳とって大人になったんじゃないよ』
「ふふ。そんな風には思ってないよ」
彼の明るさにつられてわたしの気分も浮上してきた。
「そうやっていつもわたしのことを一番に考えてくれてるのはちゃんとこっちもわかってるもん。年齢どうこうじゃなく、雅文くんってすごく大人だって思ってるよ。…でも、安心した。毎日会いたい、そばにいたい。一緒にいられないとつらいなぁって感じるの、わたしだけじゃないんだってわかったら」
『うん。…お前としたい。今すぐ、ここで』
「そういうの。今言っちゃだめ」
渇いたようなどこか甘いその囁きを耳にしただけで。身体の変なとこが即、じわんと蕩けかけた。最早条件反射だ。
わたしは慌てて早口で彼に告げた。
「そっちは自分の部屋でひとりでいるかもだけど。こっちは公共の場所で、誰に見られるかわかんないから…。今絶対、変な顔しちゃった。刺激しないで、あんまり」
『エッチな気分になった?』
「うん…」
彼の責めるような声がどんどん甘くなる。もう無理、わたしとっくに調教済みだから。
このままじゃ遠隔で彼の思うままになりそう。
わたしの状態を察してか、彼は気持ちを切り替えるように軽くまぜっ返してくれた。
『冗談だよ。そこで変なことしてくれとか今は言わないからさ、さすがに。…そういうのは帰ってきてからでいい。そうだな、せっかくだから。新しいことしようか?…まずは離れてる間俺にどんなことされたかったかちゃんとその口で説明して。それから俺の目の前で自分でそれを実演…』
「もう大丈夫、結構です。それ以上具体的に言わないで。…ほんとに意地悪なんだから、もお」
ちょっと想像しちゃった。わたしは紅潮する頬をぱたぱた仰いでごまかしながら電話越しにむくれてみせた。
彼に言われたらわたしが何でもするってちゃんとわかってるくせに。そういうこと言われたら、すぐその気になっちゃうことも。
彼は変な雰囲気を吹き飛ばすようにあはは、と明るく笑った。
『ごめんてば。ほんとにお前は素直でわかりやすいな。変な気分になるのは俺の前でだけでいいよ。手の届く範囲にいるときだけ発情してみせて。…そしたらちゃんと。お前を満たしてやるから、俺が自分の手で』
身体の芯だけじゃなく。その声と内容に、心もなんだかほんのり上気してくる。わたしは思いきって想いの丈を口にした。
「うん。…愛してる。雅文くんは?」
さすがに声を潜めてだけど。電話越しなので頑張って普段言えないことを切り出してみた。
彼の方はというとまさかのすっとぼけで受け流した。
『俺はそういうの簡単には言わない。いちいち口にしなくてもわかるだろ、大体は』
「わかんないよ。ちゃんと言葉にしてはっきりしてくれないと、そういうことは」
甘くなったり意地悪したり、ほんとによくわかんない人だ。わたしたちは電話越しにしばし甘い声で押し問答になった。
『そろそろ時間だろ。今休憩だって言わなかったか?…また時間のあるときいつでも電話して。こっちは別に何してるってわけでもないからさ』
彼に言われて我に返った。そうか、まだ練習時間残ってた。
「水分補給しなきゃと思ってたんだ。ずっと歌いっ放しだったから。…じゃあ、そろそろ。また連絡するよ」
『うん。喉大事にしろよ。お前の友達によろしくな』
「ありがと、雅文くんも。…お仕事無理しないでね」
堂前くんに雅文くんのことはまだ打ち明けていない。だからよろしくと言われても伝える機会がないかな、と思いつつ名残惜しく電話を切った。
…横からすっと手が伸びてきて本気で跳ね上がりそうになる。ちゃりん、と小銭の落ちる音がして波のない低い声が淡々とわたしに話しかけてきた。
「水でいいの。…それとも何か甘いのがいい、板谷は?」
「えーと。…水、で」
つい反射的に答えると、すかさずボタンを押してがちゃこん、と水のボトルを落とした。屈んでそれを取り出す堂前くんに慌ててお礼を言う。
「ありがと。…いくらだっけ。えっ、と…」
「要らない。それより、しっかり水分摂って。そろそろ休憩終わる。ちゃんと休めた?」
わたしにスタジオの個室の方へ一緒に戻るよう促す。胸に抱くようにかかえてたスマホを慌ててポケットへと突っ込んだ。
見られちゃったかな、電話してたとこ。そうだとしたら一生の不覚。でれでれしっ放しで側から見たら相当不気味な顔つきだったろうなぁ…。
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