第27章 何が幸せかはわたし自身で決めることにした。…から。

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始まりは何の気まぐれか、茜のやつがたまたま仕事で近くに来たとかで何年ぶりかにこのバーを一人でふらりと訪れたことかららしい。 『なんか、懐かしくなって。看板見てああ、ここ今でもちゃんとやってるんだ。何にも変わってないんだなぁと思ったら…。それにあれ以来音沙汰なしでどうなったのか、結果ご報告もしてないしね。まあ川田の口から既にちゃんと伝わってるのは知ってるけど。わたしの方からはご挨拶なしだったし』 難波さんやマスターとしてはもちろん茜に対して何一つ含むところもない。わあ、久しぶり。元気ぃ?とあっという間に盛り上がり、近況を報告し合った(余談だけど、難波さんの近況ってどんなんだ。俺だってこれまでそんなの教えられたことない。…ああ、でも。『相変わらずここにこうして通ってるわよ』とか多分せいぜいそのくらいだろうな…)。 茜が別の相手と結婚して既に二人子どもも産んで(当然上の方が俺との間の子であることは知らせていない)、今では幸せに暮らしてることを知った連中はすっかり安心してか軽い口をすべらせ、実は川田くんの方も最近になってようやく幸せ掴んだのよ、今の彼女ってば彼よりすごく歳下でびっくりするほど可愛いの。あの人にはどう考えても勿体ないくらい、みたいな(余計な)ことを喋り散らしたようだ。 その場のノリで、彼女本人に会ってみる?って流れになり、仕事帰りの歌音をわざわざ呼び寄せて結果二人は直接対面の運びとなった、とのこと。 あとからその顛末を知って俺は思わず知らず苦虫を噛み潰した顔つきになり、さすがに我慢できずに難波さんとマスターに文句を言った。 「結果和やかに終わったみたいだからそれでよかった、ってことになってる感じだけど。…普通に考えたらひとの前の彼女と現彼女を、本人の預かり知らないところで勝手に引き合わせるなんて。何か揉めるようなことでもあったらどうするつもりなんですか。それにそもそも。…いつの間に歌音と連絡先交換なんかしてたんです?」 「心配し過ぎだよ、川田くん。例えば君がここに来てるときは出来るだけ彼女に声かけようかとか。そう思ってだいぶ前に連絡つくようにしてあったんだけど、今までそういう機会もなかったからね。結局今回が初めてだよ、こっちから歌音ちゃんに連絡したのは」 マスターが穏やかな声で口を挟む。まあ、この人の口から落ち着き払って丁寧に説明されると。別におかしな話じゃないか、ことを荒立てるほどの話でもない。って気になって丸め込まれて終わってしまうが。 当たり前だけど、声をかけられて深く悩んだ様子もなく呑気に店にやってきた歌音と茜は、顔を合わせてももちろん揉めたりはしなかった。二人ともそういう性格ではない。それに、トラブルになるような種もないし。 歌音はともかく、茜の方は俺に対してかけらも気持ちが残ってるわけじゃない。だから俺の現在付き合ってる相手に何のわだかまりも感じることもないのは、まあ当然か。 『川田。あんたの今の彼女に会わせてもらったよ。何なの、どうやってあんな可愛い子ゲットしたの。売れ残りのしょぼくれた中年男のくせに、やるじゃん』 そんな連絡を後から受けて実に複雑な気分。なんで俺の頭越しに、二人が鉢合わせて意気投合してるんだ。こっちの与り知らないうちに。 「別にわざわざナンパしたわけじゃないよ。なんていうか、自然な流れで。…成り行きなんだよ。俺は運がよかったんだ」 こうなったら別に隠すほどのことでもないので正直にそう言うと、電話の向こうで奴はふふんと小憎らしく笑った。 『まあ確かに。ラッキーとしか言いようがないね、ほんとに感謝しないと。どう考えてもあんな、若くて可愛らしくて素直で気立てもいい子。何もわざわざあんたみたいなおじさん選ばなくても、いくらでも同世代の素敵な男の子たちの中から選り取り見取りだろうにさ…』 「それ。もう百回言ってるよ、俺。あいつに直接」 半分うんざりして思わずそう言う。本人はそうやって外部からわざわざ指摘されなくてもとっくにわかってることだから。俺があいつに選ばれたこと、奇跡だって気づきもしないで当たり前と受け止めてるって何を根拠に判断してるんだ。さすがにそこまで思い上がってはいないよ。 茜は悪びれもせず前言を翻しもしなかった。俺の抗弁ともつかない中途半端な台詞をあっさりと受け流す。 『自分はおっさんで変態でおまけに明日をも知れないフリーのライターだし。全く彼女に相応しくないから、もっと若くてカッコいい素敵な男の子を見つけてなるべく早いうちにそっちへ乗り換えろって?どうせいつかは気持ちが変わるに決まってるんだからお前とは絶対入籍はしない、って断言してるんでしょ。どれだけ自分に自信がないんだか…』 「そんなことまで。お前に話したのか、あいつ」 俺はげんなりした。歌音は他人を疑うことを知らなくて目の前の相手をそのまま素直に受け入れるたちだから。茜に悪意があるかもなんて全然考えもせずに無邪気に問われるがままに何でも洗いざらい打ち明けたんだろうな。 俺だってこいつに悪気があるとはもちろん思わない。だけど実際、付き合ってる男の元彼女に呼び出されていくら感じがよくて話が合うと思ったからって。 相手に隠された意図がないとは本来なら言い切れないじゃないか。茜みたいにもともと未練どころか俺に関心そのものが薄い奴だから特に問題はなかったものの。それは単に結果論だろう。他人の裏を疑いもしないにも程があるぞ、歌音。 俺はふと思い当たって奴に文句を言った。 「そういえば。あいつ最近になって急にきっぱり、わたしたち結婚するよとか宣言し始めてさ。早まる必要ない、もっとよく考えてからでも遅くないだろってたしなめても全然聞く耳持たないんだ。あれってもしかして、お前と会って話して影響された結果なんじゃないの。どうせいろいろ吹き込んだんだろ、結婚ていいよとか。子どもは可愛いから一刻も早く産んで育てた方がいいとかさ」 そういえば、茜は知らないだろうけど。歌音の方ではこいつの産んだ上の息子は俺の子でもあるってとっくに知ってるんだよな。自分の子どもの話をする茜をどんな思いで見てたんだろう、と考え始めると正直ちょっと落ち着かなかった。 まあそれは、考えても仕方ない。付き合う前からたまたま知られてたわけだから。今これから初めて知る運びになるよりは間違いなくましだと思うしかない、と割り切って俺は先を続けた。
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