第27章 何が幸せかはわたし自身で決めることにした。…から。

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「そりゃお前自身は惚れた相手とばっちり結婚できて。現状に充分満足で特に早まったってあとから後悔することもないんだろうけどさ」 俺の子どもを妊娠した状態で駆け込んでも、何もかも承知で丸ごとあいつを受け止めた特別懐の広い男だからな。確かに茜の結婚相手としたら他には考えられない理想の人物だった、と今になって改めて思う。それだけじゃない、あいつの過去の何もかも全部知っても全く動じなかった。日本人男性としちゃ、天然記念物並みに珍しい性格だとしか。 俺はそんな考えを頭から追い出して切り替え、言いたいことを最後まで吐き出すことにした。 「自分が結果いいことづくめだったからって、安易に他人にも入籍しろとか子ども産めとか深く考えもせずにけしかけるって無責任じゃないか?誰でもどんな相手とでも幸せになれるってほど確実なシステムでも何でもないじゃんか、結婚なんてさ。…お前が今幸せなのはたまたま、運と相手がよかっただけだって。どうしてそうは思わないんだよ?」 『そして歌音さんにとってはたまたま、今付き合ってる相手が悪い、って。そう思ってるんだ、川田は』 こっちが半分本気で怒ってるのは伝わってるんじゃないかと思うが。それでも奴の口調からは面白がる色が消えない。 『どうして自分が世間にいる他の男たちより結婚相手としちゃ劣る、って頑なに決めつけるのかはわからないけど。それを決めるのは他でもない、歌音さんだからなぁ。…あんたと結婚したいかどうかを周りの他人がこう考えろって強制することはできないよ』 「そりゃ。そうだけど」 結婚するよ、って言い始めたのは本人の意思だから。唆した自分には責任がないって言い張るつもりなのか? 俺は憮然となって肩と顎の間に挟んだスマホの位置をずらして直した。寝室にこもって仕事中に急にかかってきた電話だから。パソコンの画面は閉じずにそのままだ。ちなみに歌音はまだライブハウスから帰宅してない。 『わたしだってさ。この子、川田と本気で結婚したいのか。人それぞれとはいえそれでいいの?って思わなくはなかったから。別に全然背中を押してはいないよ。むしろ、あなたの年齢で急ぐ必要なんてないんだから。もう少し世間を知って、いろんな男の人を見てからでも遅くないんじゃない?って、常識的なこと言っておいたよ、人生の先輩として。…そういう対応でよかったんでしょ?』 「まあ。…それしかないよな」 そう言われるとそれはそれで。なんか、失礼じゃないかと思わなくもない。微妙なものだ。 まあこいつには。俺の最低最悪なとことっくに見られてるわけだから、こんな男と本気で結婚すんの?と内心思われても文句言える立場じゃない。なのにこうしてまた友人として接してくれるようになったのは、よく考えたらありがたいと思わないといけないんだけどさ…。 茜はふざけた風でもなく、さっきよりやや真面目な声色になって先を続けた。 『たまたま歌音さんが結婚について考え始めた時期と重なったから、そこに話題が集中したってことじゃないかな。結婚生活ってどうですか?とか、子育てってやっぱり大変なんですか、とかそういう質問が多かった。でも、あなたも早くした方がいいよみたいなことは全然言ってない。最適な相手とタイミングは人それぞれだし、他人が口を出すようなことでもない。判断の責任は本人が自分で持つしかないじゃない?』 「うん。お前はそういう考え方だよな」 俺はようやく納得して落ち着いた。確かに。 こいつは他人の人生の選択に無責任に差し出口を挟むような奴じゃない。アドバイスしてください、と頼まれてもそれは自分で決めるしかないよ、決断の結果は本人しか引き受けられないから。とか容赦なく断りそうな性格だもんな。 俺はちょっと冷静になって下手に出た。 「あいつが急に強気になってプロポーズなんかしてきたのはお前に唆されたからだろうなんて。疑って悪かったよ。思えばそういうお節介おばさんみたいな余計な口出しとかするわけないもんな。お前に限って」 『わたしはそうだけど。同席してた難波さんとマスターは怒涛の如くけしかけてたよ』 あっけらかんと暴露されて呻いた。そうだった。あの連中、その場にいたんだっけ…。 「思えば最強のお節介があそこにはいるな。あの二人、そもそも結婚とかしてんのかよ。自分がそれで幸せになれてないんだとしたら、どうしてそんなに自信満々に他人に勧められるかなぁ…」 多分。よくは知らないが、噂通り二人が本当に同居してるんだとしたら、それぞれ誰かと結婚してるんだとしてもそっちの関係の方は既に破綻してるってことじゃないのか。それとも、難波さんて戸籍上女性?…反対はないよな。マスターはさすがに男性だとしか思えない…。 茜は全く動じた風もなく俺のぼやきを受け流した。 『さあ?どうなんだろ。自分が歌音さんの立場だったら絶対押しまくって実力行使で何とか結婚に持ち込むのに。手を伸ばせば幸せにあと少しで届くなんて、あたしからしたら羨ましいわぁみたいなこと言ってたから。自分も可能なら今すぐにでも結婚したいってことじゃないの。マスターも勝手が飲み込めてる風で側でにこにこ頷いてるし。どういう意味ですか、とかこっちからは訊けないよ』 そりゃそうだ。 茜は結論づけるようにきっぱりと俺に言い渡した。 『誰に背中押されたとしても。あんたといつか結婚したいってのは、今の歌音さんの正直な願いなんだろうから。思考停止でとにかく無理、って突っぱねるだけじゃなく覚悟決めてきちんと正面から向き合ってあげなよ。以前の川田のままなら正直、どうかなあと思うところがないでもないけど』 思っててもそれ、言うのか。俺の不徳の致すところとはいえ。…容赦ないなぁ。 俺が凹んだのを感じとったとは思わないが、そこでふわとナチュラルに和らいだ口調になる。こいつも優しくなったというか。…大人になったんだな、やっぱり。 『でも、今のあんたはそれほど悪くないと思う。リュウやコウと接してるときの様子見てても、普段の穏やかで落ち着いた雰囲気も。きっと若い子から見たら頼れる、安心できる相手なんだろうなって』 「お前にそんなこと言われるとマジでこそばゆいよ」 どう反応していいかわからずぼそぼそと返す。茜は取り合わずにぽんぽんと言葉を継いだ。 『歌音さんがあんなに熱心に川田と一緒になりたいと願ってくれてるのも。あんたがいろんなことにまともに向き合って自分の力で乗り越えて、きちんと成長してきたからこそじゃないかな。…ところで、見た目の態度だけじゃなくて。女の子に対するやり方もちゃんとアップデートされてるんだよね。まさかわたしにしてたようなこと。…あんないたいけな世の中を知らないような子に、当たり前みたいに仕込んでないでしょうね?』 一瞬なんの話かわからなかった。一拍おいたのち、俺はようやく気づいて慌てて反駁する。
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