第27章 何が幸せかはわたし自身で決めることにした。…から。

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「そんな。…わけないだろ。あんなのもう、全然ないよ。あの頃の俺は怖いもの知らずっていうか。やっぱり若くて迂闊だったんだよ。…今になって冷静に考えたらリスクが大きすぎるし。大体、あいつにはどう考えても。…あんなこと。想像するだけで、無理だとしか」 思い返すだけで顔が青くなったり赤くなったりする。ほんとに俺、こいつに対してあんなことしてたんだな。わざわざ毎回苦労して後腐れのない、安全な連中を厳選してまで。…細かい記憶はとうに遠くなって、リアルじゃない微かなイメージしかもう残ってない。よくある都合のいい男の妄想の残滓みたいに。 茜には平気で無体なこともできるけど歌音になんて、考えるだけでも無理。って考えようによっちゃ、だいぶこいつに対して失礼な話な気もするけど。茜はあまりそこに引っかかった風でもなくあっさりと受け流してくれた。 『うん。…だったらいいけど。ちょっとだけ心配になったから、一応念のため確認してみただけ。何しろわたしの知ってるあんたは、大概など変態だったからさ』 俺の知ってるお前も。他人のこと言えない程度には変態だったぞ、と遠慮なく言い返していいかどうか迷う。当時あれを嫌がってたとはことさら思わないけど。少なくとも、あんなことこいつが自分の頭の中から思いついたわけじゃないのは事実。提案して引き込んだのは紛れもなく俺の方だから。 『あの手の性癖をあんな何も知らない若い子に、こんなの別に普通だよ。みんな陰ではやってることだから、とか言って何食わぬ顔して押し付けたりしてたらどうしようかと。一瞬ちょっと心配でさ。…まあ、だったら。あの子があんなに曇りない満面の笑顔であんたへの信頼百パーセントむき出しで慕ったりしないか。彼女が掛け値なしにあんたにぴったりの隠された性癖の持ち主だったらそれはそれで。また別の話だけどね』 「そんなこと。するわけないだろ」 最後の付け足しに一瞬ちょっとだけ動揺する。それなりにどSとどM気味のプレイがなくもない、から。 初めての相手が俺じゃなきゃあんなの、全然知ることもなかったかもしれないな。だけど思い直して気をとりなおす。多分だけど、俺が歌音に教えたこと。言葉責めだの手を縛るだの恥ずかしい姿勢を取らせる程度なら、茜の基準的にはおそらく変態の域に入らないと思う。 「お前は最初から俺に対して何の信用もなかったから。あんなこと提案されてもショックもなんもなかったろうけど。…歌音の場合は俺たち、自然と友達みたいな関係になってたし。信頼や安心感もあってのことだったと思うから、いきなりそこにあんなことひと回りも歳上の男に仄めかされでもしたら。多分どん引きで風より早く目の前から去って、今頃は間違いなく縁切られてるよ。それにとてもじゃないけど可哀想で。…あんなことできない」 俺は実はどの付く変態なんだ。頼むから目の前で他の男たちに集団でやられてくれないか。みんなに恥ずかしいことされてびくびく何度もいくところ俺の前で見せてほしい、なんて。…そしたら歌音は絶対俺のこと、好きにはならなかったろうな。ああ、…それは茜も同じか。 俺は今更ながらようやく飲み込めた。そんなこと女の子に頼む男。どう考えても相手の子が好意を持つわけないよな。少なくともその時点で恋愛の対象から外れるのは間違いないと思う。 まして正直にお前のこと好きになっちゃった、とも一度も伝えなかったんだし。茜としたらこいつは変態なプレイしたいだけなんだ、それには自分が要求に合う都合のいい相手なんだなとしかずっと思えなかったに違いない。 まあ常識で考えたら。普通の男なら好きな女には絶対にしないようなことしかしてなかったもんな。あれで選ばれる可能性がちょっとでもあるなんて、思ってた自分が阿呆過ぎた。 案の定茜はどこか満足そうに、我が意を得たとばかりに電話の向こうで頷いた。 『それはそうだよ。大切に考えてる女の子に対して普通、他の男に触らせたいなんて思うわけない。そういう感覚がど変態の川田にもやっと。自然とわかるようになったんだとしたら大した進歩だよね』 いや、お前のことだって本当に好きだったんだよ。ねじくれて拗らせてて素直じゃなかったかもしれないけど。頭おかしくなるくらいどうしようもなく雁字搦め、何年もずっとお前のことだけで一杯だったのは掛け値なしの事実だから。 世間一般の感覚とはかけ離れてたかもしれないけどあれだってやっぱり恋だった。今思い返しても、真綿でくるんで彼女を傷つける何もかもから一生この子を守りたいと思うような大切な相手が別に現れてからも。その事実は疑いもなく揺るがないって改めてわかる。 そのことをこいつにどう説明したらちゃんと伝わるんだろう、と一瞬迷ったそのとき。玄関の方から歌音が帰ってきた気配がして我に返った。 「…ただいまぁ」 「帰ってきた。…あいつ」 思わず声を抑えて呟くと、電話の向こうの茜がもの分かりよく素早く反応した。 『そっか、じゃあまあ話はこのくらいにしとこ。…別に歌音さんに疑われるような後ろめたいこともなんもないけど。恋する女の子はどこに引っかかるか予測不可能だからね。でも、何の話してたの?って訊かれたら。そこは正直に説明しなよ。隠すようなこと何もないんだからね』 「うん。難波さんとマスターがどんなに盛り上がってたか聞かされてたんだよ、って言っておくよ」 俺たちは手早く話を済ませて通話を切った。 「雅文くん。…お仕事中?」 そっと歌音が寝室の入り口から顔を覗かせたときには、茜と話してた痕跡はもう感じられなかったと思う。俺は余計な説明はせず、笑顔で戸口の方を振り仰いだ。
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