第27章 何が幸せかはわたし自身で決めることにした。…から。

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「そう考えたら馬鹿正直に川田の恋人だなんて説明しないで。適当にわたしの友達だってあの子たちには言っとけばよかったんだね。なんか余計なことしちゃったな」 そう言って済まなさそうに謝ってくれる茜さんにわたしは笑って首を横に振った。 「いいんです、大丈夫。そもそもわたしが彼の跡をこっそり尾けたのはほんとのことだもん」 それでもそれがきっかけで万が一わたしたちの間がこじれたら、と思うと寝覚めが悪いって考えたのかもしれない。彼女は思案したのち、『Next Door』を媒介に使うアイデアを提案してきた。 「わたしたちに自然と接点が生じるとしたらその辺になんとか可能性があるかな。わたしがたまたま近所に用事があってふらりと立ち寄って、歌音さんと鉢合わせたってことにすればいいんじゃない。だとしたら、あの人たちにも口裏合わせてもらう必要があるか。…歌音さん、難波さんとマスターに説明お願いしてもいい?」 わたしから事情を打ち明けられた二人は、話を合わせること自体はもちろん全然構わないとのことだったが。引き換えに、ってわけでもないんだろうけど茜さん本人が店に一度実際に顔を出すよう求めてきた。 「今の茜ちゃんがどんな感じなのかあたしたち全然知らないわけだし。川田くんに細かいとこ突っ込まれて辻褄合わなかったりぼろが出たりしたら計画も台無しでしょ。ほんのちょっとでもいいから彼女にここに顔出すように言ってよ。小さいお子さんがいるから難しいってことなら。別に夜じゃなくて早い時間でもいいからさ」 きっぱりとわたしにそう告げたのは難波さんの方だった。早い時間て、あなたっていつも一体何時からここにいるんですか。と訊く気にもなんだかなれずに茜さんに彼らの意向を伝えると、彼女はむしろやや嬉しそうな声色で快諾してくれた。 『全然平気。平日ならどうせ普段から仕事終わるの遅い日は旦那に子どもたち任せちゃってるし。前もってきちんと頼んでおけば少しくらい寄り道しても…。せっかくだから。歌音さんとも予定合わせようか?』 「すみません。わたしなんかと違ってお仕事もお家の方も忙しいのに…。わざわざ時間割いていただく羽目に」 結構本気で恐縮せざるを得ないけど、茜さんは負担を感じさせない様子でわたしを優しくフォローしてくれた。 『気にしないで。わたしの方も気分転換できるいい機会だし。旦那にはまたどこかで埋め合わせしてあげれば大丈夫。子どもたちの扱いは慣れてて上手な人だから、任せるのになんの心配もないしね』 それで、日にちを合わせて一緒に『Next Door』を二人して訪れることに。 難波さんとマスターは彼女に対して全く何の含みもないらしく(当たり前か。雅文くんに一方的に肩入れする必然性は何もないし。だいいちどういう経緯で二人が別れる成り行きになったのかも彼らは知らないわけだし)、実に嬉しそうに茜さんを迎え入れた。 「茜ちゃん。相変わらず綺麗だねぇ。ていうか、むしろ落ち着きが出て女っぷりが上がったんじゃない?やっぱり幸せ掴むと外見にも滲み出るもんなのかな」 マスターがいつになく前に出てきてるところを見ると、彼女の密かなファンだったのかも。 茜さんは溌剌と笑ってそんな台詞を受け流した。確かに、こうしてここで見るとどこか若い娘さん感がある。知らなければ子持ちの既婚者とは思わないかも。 「ありがとうございます。すみません、ご無沙汰して。あのあと結局いろいろあったんですけど。ご報告が遅れて」 難波さんがしたり顔で頷く。 「それは気にしなくて大丈夫。仕方ないわよ、二人の間のことはお互いにしかわからないもんね。別れちゃったのは残念だったかもしれないけど、それで結果それぞれが収まるとこに収まったわけだからさ。終わりよければ全てよし、よね。…歌音ちゃん?」 こっちにいきなり話振ってきた。まあ、そうなるか。流れ的には。 「ええと。…そうですね。わたしからしたらまあ。…そうとしか言いようがない、かも」 その場にいた全員が噴き出して、何となく店内の空気が和らいだ。 「歌音ちゃん、正直でいいね。そりゃそうだよね、茜ちゃんが彼と別れなければ。今頃は二人も他人のままだったかもしれないもんね。…この子、何しろべた惚れだから。完全に川田くんに参っちゃってるからね」 余計なこといちいち報告しなくていいです、マスター。 「普通です。…てか、普通こんなもんでしょ。誰かと付き合えば、それは。…そうじゃないの?みんな」 むくれて抗弁してたけど途中でちょっと不安になって確かめた。ていうか、考えてみたらわたしの周りってあんまり公認のカップルっていないので。少なくとも双方を知ってて、二人が一緒にいるところをつぶさに観察する機会ってほとんどない。人目を憚らずべたべたする恋人同士もいないし。…って、わたしたちだって。そんなこと全然してないけどさ。 そう考えるとマスターは一体何を根拠にわたしが彼にぞっこんだって判断したのか。事実そうであるだけに、気になる。そんなに見透かされるほど気持ちがだだ漏れだったのかなぁ…。 難波さんが年配者の余裕を滲ませて目を細めた。 「若いよねぇ、やっぱり。こんなまっすぐな子に愛されて。冥利に尽きるわよねぇ、川田くんも」 茜さんもそっち側に回ってしみじみとした声で相槌を打つ。 「ほんとに。…わたしも、歌音さんに会ってほっとしたんです。こういう子に出会えたんだ。だったら、あいつと別れて結果向こうにとってもよかったんだなぁ、って」 難波さんが横から口を挟んだ。 「茜ちゃんといたときだって、あの人ほんとに幸せそうだったよ。でも仕方ない、結局ご縁がなかったんだからね。…そう考えたら。これはこれで、みんな幸せになれて結果オーライってことでよかったのかしら」 そうかもしれない。少なくとも二人が別れてなかったら。わたしはここの人間関係に絡まずに終わってただろうし。 友好的に和気藹々と会合は終わって、難波さんとマスターは初対面のわたしたちを引き合わせるのに一枚噛んだ、って役割を引き受けるのに同意してくれた。 それで結果雅文くんにちょっと文句は言われてしまったみたいで、濡れ衣着せたみたいなことになって申し訳なかったけど。適当にそこはごまかしておいたし本気で怒ってる様子でもなかったから、気にしなくていいよとのちにマスターは請け合ってくれた。
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