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7.シーズンの終わりに
「無様だったろ?」
「いいえ」
結果はどうあれ、男にとってのレギュラーシーズンが終わった。
三十四試合に出場して、一勝二十七敗一セーブ……。
悲惨な成績だった。まともな指揮官ならば、まず間違いなく途中で切り捨てていることだろう。
けれど男は、どんなに打ち込まれようが、ひたすら投げ続けた。
「俺が客なら、引っ込めこの野郎! って、ヤジを飛ばしているだろうな」
男は力なく笑った。
「笑ってくれて、いいんだぜ? 我ながら惨めで、恥ずかしすぎる結果だったからな」
狐乃音は頭をふりながら、ハッキリと断った。
「笑いませんよ」
「どうしてだ?」
シーズン終了後の、誰もいないスタジアム。
その内野席にて、二人は隣り合って座っていた。
座席の色は青くて、チームカラーとお揃い。ちょうど今の、晴れ渡った空のようだ。
「自分が一軍じゃ、まるで通じないってことすらわからずに、長年根拠のない自信を持ち続けてた。っとに、救いようのねえ大たわけ者だ、俺は。しかも、お世話になった人たちを逆恨みして、ヘンテコな呪いまでかけちまった。最低だよ」
「……」
狐乃音は目を閉じ、少し考えてから言った。
「わからないじゃ、ないですか?」
「うん?」
「何事も、やってみなきゃ。わからないじゃないですか」
試すことすら許されなかった。それでは、どうだったのか知りたくなるのは無理もないこと。
狐乃音の言葉に、男は頷いた。
「そうかも、しれないな」
「それに。あなたは一生懸命に投げてました。結果なんて、いいじゃないですか」
狐乃音は一球たりとも目をそらさずに、男の奮闘を見守り続けた。
過去に悔いを持つ男の、魂を込めた投球だったのだから。結果がどうであれ、見届けなければいけないと思ったのだ。
狐乃音は勝負の立会人だった。
「ありがとよ。……でも、プロはそれだけじゃだめなんだよな」
「はい。ものすごく、厳しい世界です」
スタンドに吹き付ける風は、秋の雰囲気。空は高く、澄みきっていた。
「……後悔は、消すことができましたか?」
「ああ。おかげさまで、嫌というほど現実を思い知らされたよ」
あの感覚は、嘘ではない。
キャッチャーミットにズバンと収まる音。夢でも幻でもない現実。生きた感覚だった。
「でも、一勝と一セーブ、できたじゃないですか」
「ありゃ、自分の力で勝ったとは思えない。……十二点取られておきながら、味方が一四点も取ってくれただけのことだよ。バカ試合のどさくさ紛れさ」
「そうかもしれませんけど。……でも、最後のセーブはすごかったですよ」
「……先発を諦めて、リリーフならどうだって思ってさ」
散々先発で投げ続けて上手くいかず、最後になって男は、遂にやり方を変えた。リリーフエースならばどうだと思ったのだ。
だがそれは、先発以上に過酷な挑戦だった。
「常に、一点二点を争う状況に投入されるのって、あれだけきついものだったんだな」
失敗は許されない。
チーム全員が積み上げてきたリードを守りきれるか否か。ただの一球が、勝負を左右する。
常人ならば足がすくむほど、緊迫した状況の連続だった。
当然、男はリリーフでも、何度となく失敗した。
「しかも、それを毎日できるようにしないとならない」
最後の最後になって、男は力投した。
『よし!』
点差は僅か。一点リードした状態で最終回。男は一人目を、やや深めながらも、ショートゴロに打ち取った。
高まる鼓動……。必死に気持ちを落ち着かせながら、二人目を仕留めにかかる。
『どうだっ!』
フルカウントまで粘られたところで、外角いっぱいのところに投げ込んだ。打ち取るか、歩かせるか……! 二つに一つだ。
『よし!』
キャッチャーの後ろに立つアンパイアの腕が上がった! ぎりぎりストライクが入った。三振だ。
今日は、これまでの乱調が嘘のように、落ち着いている。コントロールが冴えている。
『あと一人!』
しかし、次の打者は……昨年のホームランと打点の個人タイトルをもっている、メジャーリーグあがりの強打者だ。
このシーズンを通して、何度となく打ち込まれている。二冠は伊達ではなかった。この上なく怖い存在だ。
『もう、苦手がどうこう言ってる場合じゃねえ!』
敬遠も一つの手だったが、最初からそのつもりはなかった。男は開き直った。
とにかく、厳しいコースを狙うしかない。少しでも甘く入ったら、間違いなくスタンドに運ばれる。
『集中しろ!』
……ファウル、ボール、ボール、ストライクとカウントが続いた。
『仕留める』
現役時代はまるで、結果を残せなかった。
偶然出会った、可愛らしい狐の神様のおかげで、あの時の悔しさを晴らすチャンスをもらえた。
『俺だって! プロの選手だったんだ!』
息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出した。力まないように、自分を制御する。
やがて大きく振りかぶり、新たな投球を開始する。
『俺だって……!』
鬱々とした後悔を消すために。
自分と狐乃音以外、誰も知らないシーズンを締め括るために。
最多敗戦投手でも、意地を見せるために。
男は投げた。
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