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 真由は思い出したように疑問を投げた。 「おばさんは大丈夫だったの? また、お金を取られたりしなかったの?」 「おばさんにはもうお金の余裕なんてなかったからね。それに、おばさんが包丁を持って母親を追いかけまわす、なんてこともなかったわ。そんな勇気これっぽっちもなかったんだもの」 「そう、良かった」  安堵の表情を浮かべる真由に、老婆はこうつけ加えた。 「その代わり、なのかどうかは分からないけどね、母親は食事の殆どをおばさんの家で済ますようになったの。おばさんの家には毎週のように、息子から食べ物の仕送りが届いていたからね。それを母親の好みの味にして振る舞ってあげるのよ。あら……」  老婆がそう言うと、真由はすぐに畑の向こうに目をやった。雨音に紛れて、確かに空気を震わせる地響きのような低い排気音が、微かに真由の耳の奥を揺らしたからだ。  ヘッドライトが薄暗い道を照らして、オレンジ色の車体を雨のベールに包ませたバスが、水溜りの水を大きく跳ね上げながらバス停目がけてやってくる。まるで獲物を追いかけて目を光らせている大きなライオンのようだ、と真由は思った。 「母親の好みの味は塩辛いものだったのよ」  老婆の話は終わっていなかった。疑問の目を向ける真由に老婆は続けた。 「少しずつ、塩分を強くしていくの。気付かれないように、少しずつ。毎日毎日、あれだけの塩分を取れば、身体だって悪くするわ」  バスは徐々に姿と音を大きくして、その存在感を増しながらバス停に近づいてくる。  老婆は黒い傘を、そっと真由の両手に握らせた。そして、分かり切っていることを、何も知らない子供に言って聞かせるかの如く、諭すように呟いた。 「多くの塩分は、腎臓を悪くするんだよ。すぐに死ぬことはないけれど、一生付き合わなければならないんだ、腎臓病というやつは」  バスが止まり、雨音を切り裂くブザー音と共に中央のドアが開いた。真由はゆっくりとステップを上がる老婆をぼんやりと眺め、そして、はっと顔を上げた。  振り返った老婆は、喜怒哀楽のない、生きているのかも死んでいるのかも分からないという表情のまま、口だけを別の生き物のように動かした。 「だから、()の中の雨は降り続けるんだよ。止むことなく、死ぬまで、一生……」  二人の間を無機質な鉄が隔てた。そうしてすぐに二人の距離を離していった。
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