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耳栓の世界の中はひどく無機質で、静まり返ったもので。
けれども視界に飛び込むものは防げるはずもなく、意識を沈めた時とは違い明るい世界に、俺はそっと瞼を持ち上げた。
「……んっ」
昨日と同じ、何も変わらないごく普通の世界。
昨日の夜が嘘のような世界を見つめながら、俺は自然と頬を緩めた。
「――まぁそうだよな、そもそも猫が喋るなんて夢に決まって」
「おはようございます!」
「…………」
決まっていなかった、むしろ現実だった。
外から昨日と変わらないテンションでガリガリ爪を研ぐ猫は嬉しそうに頬を緩めにゃあ、と一回小さく鳴いた。あぁもう、お前はまたそう能天気に。
「お前、諦めてなかったのか……」
「もちろん、貴方は選ばれたので」
「その理由を聞いた後だからなおさら嫌だって言っただろ」
こいつ本当に、昨日俺に何を言ったか忘れたのか?
諦め半分眠気半分、あくびを浮かべながら背伸びをすると、外音に聞こえないふりをしながら水道から水をひねり出す。片手に取ったコップにそれを注ぎ、一気に流し込む。昨日のビールが悪酔いになったのか断続的に襲ってくる頭痛に顔をしかめる……あぁ嘘、悪酔いのせいだけではない。今も不快な音を奏でる猫も一因かもしれない。
「一日経ちましたし、気は変わりましたか?」
「むしろ変わると思ったのか?」
あからさまに嫌な表情を作りながら、窓の外へもう一度目をやる。そこには昨日と同じ場所で尻尾を振る一匹の猫が――
「……お前、もしかしてずっとそこに?」
「はい、貴方を魔法少女にしないと帰れないので」
「とんだブラック」
今のはさすがに同情した。
悲しそうに下を見る猫になんだか申し訳なさすら感じ、わかったよ、と窓に手を伸ばした。
一晩も外にいたなんて聞かされては、入れないのは可哀想だから。
「そういうところがチョロいと言われるのです」
「閉め出すぞ」
前言撤回、やっぱりだめだ。
冗談ですと言いながらどこからどこまでが冗談かわからないそれに頭を痛めると、ありがとうございますなんて流暢なお礼を投げられた。
「別にただの気まぐれだ……だからと言って、魔法少女にはならないからな」
これはあくまでも外にいさせるのがしのびなかったから、ただそれだけの話。
そんな俺の判断は間違っていたのか、猫はずいと俺に近づきながらスンと鼻を鳴らし小さく頬を緩める。それはもう、猫ではなくて小悪魔だったのではと錯覚するくらいに。
「大丈夫です、貴方がその気になるまでゆっくり待ちますので」
一生ならないと思うけどな、甘く思うなよ。
ならないと言いながらも頭の中にあったのはこいつのこれからの餌や寝床についてで、俺も大概だなと溜息を零した。
「これじゃ本当に、チョロい奴だ……」
「おや?」
零した言葉に反応した猫は、ピクリと耳をたてながら不思議そうに尻尾を振っていた。どうしたんだと思いそちらを見ると、もしかして、と言葉を選ぶように口を動かして。
「本当に、チョロいからというだけとお思いで?」
なんて、イタズラに笑っていて。
「……じゃなければ、なんなんだよ」
意図が読めずに顔をしかめると、鈍感なのですね、と目を細めていた。
「まぁ貴方はなんと言おうと諦めません――だって貴方は選ばれたのですから!」
「いや、やらないから!」
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