第一章

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第一章

 姉さんが死んだ。  そのことを知らされたのは、僕と親友の赤堀 剣治(あかほり けんじ)が五日間の救援作業から帰宅した直後だった。泥のついた服も、肩に食い込む荷物も何一つ手を付けていない状況でダイニングキッチンのソファに二人でへばっていた。  二人で現地のこれからについて話していると、唐突に家の電話が鳴り響いた。重い体を引きずるように受話器へ向かい、「もしもし」と極力疲労を隠して言う。  「もしもし、桜坂 明光(さくらざか あかり)様の弟さんですか?」  声の主は異質化対策総司令本部の情報部所属、田内(たうち)と名乗った。彼の抑揚のない声が、訃報を知らせる仕事をしているのだと実感させる。彼は淡々と姉さんの死を告げた。どこで、どうやって死んだのかは教えてもらえなかった。異質化対策総司令本部の権限で、情報の公開の有無は決まる。たとえ姉さんが僕にとって唯一の家族だったとしても、彼らには関係のないことだ。  「そうですか。わかりました」  僕も彼と同じくらい平坦な声で答えた。なんとなく、こうなることを予想していた自分がいた。  「なに、引っ越しでもするの?」  五日間の救助活動へ赴く直前、姉さんはこの拠点にいて、カバンに荷物を詰めていた。あまりの荷物の大きさに、姉さん一人で持てるのかと心配になった。  黒髪を愉快に弾ませ姉さんはにこやかに笑う。整った顔立ちが目を細めて口角を上げると、周りまで笑顔になるほど様になる。無論、僕と剣治は、イタズラを実行しようとしているときのような笑顔に騙されない。  「違うよー。誰もいったことの無い場所へ行くんだ! 内緒の場所にね!」  気分が高揚しているのか体を左右に揺らして楽し気だ。  「……どうでもいいけど、部屋はちゃんと片付けてくれよ。それ、片付けるの僕なんだからな」  「いいじゃんいいじゃん! どうせ一週間やそこらで異質化は世界から綺麗さっぱりなくなっているんだからさっ!」  意味深な言葉とともに手を広げ、草原を駆け回るように部屋を走り始める。間もなく姉さんはテーブルの足に小指を激突させて「うぎゃあ‼」と呻いてしゃがみこむ。  ばっかだなー。  何事かと顔を覗かせた剣治も姉さんが小指を両手で抱えて転げまわっている様子に失笑を漏らした。それを見た姉さんは屈託の無い笑みを覗かせる。  「どこへ行くのも勝手だけど、今みたいに能天気に猪突猛進してると簡単に死ぬぞ」  いつもの会話だった。姉さんがふざけ、僕が諌める。そこへ親友が加わって三人で笑う。が訪れない日が来るとも知らずに。  だが、特に驚きもなく悲しみもわいてこなかった。今に待っていれば「じゃっじゃーん! 実は生きてましたー!」とか言いながら飛びついてきそうだった。姉さんはそういう人だ。  家族の死は普通なら異質化対策総司令本部の支部で、各地域に設置されている異質化対策部から報が入るはずだ。しかし、権力者や立場のある人物の死は本部からの訃報として情報が厳重に管理される。姉さんのように、騎士団団長として名をはせている人は特にも慎重に扱われる。  姉さんの死の翌朝。いつも通りの朝が僕のもとに訪れた。  カーテンを開け放つと、早朝の薄明るい空が一面に広がっていた。太陽はようやく東のかなたに姿をちらつかせ、今日の始まりを告げている。  探検隊用に伸縮性や強度を上げた白いワイシャツと黒のズボンに着替え、身支度を整える。天井付近までの本棚に、そろそろ窮屈になり始めた本たちが身を寄せ合う。木の枠組みで作ったガラスのショーケースには、探検隊活動で触れ合った地域の伝統工芸品などを置いている。
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