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右京結月の考
「あ、スグルくん!こないだぶりー」
「ど、どーもー……」
金曜日の放課後、駅前の喧騒の中に優先輩の声が飲み込まれていく。いつもの綺麗な愛想笑いが若干引きつっていて、おや、と疑問に思った。
僕らの進行方向の延長線上には、三人の高校生がいた。一人は、優先輩の幼馴染の後藤さん。一人は、後藤さんのクラスメイトの佐々木さん。
「急だったのにサンキュな、右京兄。えーっと、こいつ、オレらのクラスメイトなんだけど……一緒にいい?」
後藤さんと同じ女子用のコートだけど、コートの下はスカートではなく佐々木さんと同じスラックス。少女のような顔だなと思ったが、視線がズボンを認識した瞬間に脳が混乱した。優先輩も大概性別迷子なところがあるが、この人は更にだ。まさかのリアル男の娘である。
佐々木さんの紹介にニッコリ笑って一歩前に出たその人は、変声期があったのか疑わしいぎりぎりアルトな旋律を奏でた。
「仲原央でっす!ナナって呼んでくれていいからね!」
「え。そういうのいいです」
「えっ、あ、う。ゴ、ゴメンナサイ」
アイドルかな?みたいなノリで来られてとっさに素で距離を置いてしまった。僕はゲーオタでドルオタではないし、会いに行くなら握手会よりライブ会場の後方からオペラグラス派だ。応援はしたいが認識はされたくないし、営業だとしてもお友だちになりましょうみたいなノリは勘弁してほしい。
想定外の塩対応に思わず、といったように謝られてしまうとこちらもいたたまれないのだが、空気を読まずに佐々木さんが必死に笑いをこらえている。実際ほとんどこらえられてないからいっそ大笑いしてほしい。
「右京兄、強え」
「優先輩は押し負けそうですね」
「う、おっしゃる通りです……」
「むー、スグルくんの後輩、かわいい顔してかわいくないぞぅ」
あなたにかわいい顔なんて言われたくないですが。
なんて、それこそ可愛げのないツッコミは飲み込んだ。かわいいなんて、この人は言われ過ぎて褒め言葉にはならない気がする。
「そろそろ時間だけど、映画見るの?見ないの?」
会話が切れたタイミングで、静観していた後藤さんが口を開いた。それに僕を除く三人がハッとする。帝蘭高校の三人と、瀬良高校の優先輩と僕がわざわざ待ち合わせたのは、みんなで映画を見るためだ。
「やっべ、席空いてるかな。急ごう」
「えっ」
「あっ!ちょ、待ってよゆーくん!」
佐々木さんが優先輩の手を取って走り出し、慌てて仲原さんがその背を追いかけた。優先輩は驚いたように少し足をもつれさせたけど、手を引かれるままついて行く。
一瞬見えた優先輩の顔が、少しだけほっとしているように見えた。
「あの」
「わたしたちも行きましょ」
優先輩のことなら、幼馴染の後藤さんに聞けば、と思って声をかけようとしたけれど失敗する。
一歩先を歩く後藤さんの背中はいつも通りまっすぐで、歩調も揺るぎない。その後姿を見ていると、僕が気にしてもしなくても変わらないのかなと思えてきた。
「映像、綺麗だったわね」
優先輩は満足げな顔で唐揚げを一つ頬張った。
「わたし、評判になるほど泣ける要因がわかんなかったんだけど」
後藤さんは解せぬ顔でフライドポテトをつまむ。
「なんっでメインの二人しか話題になんないの、脇のアイツラこそもっと語られるべきだろ⁉」
佐々木さんは興奮した様子で、今にも水が入ったコップを机に叩きつけそうだ。
「なんでみんなそんなに素直に見らんないわけ⁉︎愛が世界を救ったんだよ⁉」
仲原さんは一人目元を赤くして憤慨している。もしかしたら、このメンツで泣いたのは彼だけかもしれない。
「後輩くんは⁉感想!」
上映終了後、ファミレスで軽食をつまみながらおしゃべりしている。なんだかすごく普通の高校生みたいだ。
たとえ感想が多少ズレていたとしても、視点が違うそれらは案外面白いし、先輩方が自由なので僕も素直に感想をこぼせる。
「ヘタレ童貞乙」
「ケンカ売ってんの⁉」
いやだってそこは素直に名前書けよと思うじゃないですか。宇宙からの落下物的な括りで言えば落下地点操作してそこから温泉出てたやつの方が好きです。
なんて言ったらもっと睨まれそうだから黙って水を飲んだ。
体のサイズの都合で、僕と後藤さんと仲原さんがソファ席、向かいの椅子に優先輩と佐々木さんが座っている。あんまり仲原さんにかみつかれると後藤さんにも迷惑だ。
「ま、そんだけ騒げるならもう大丈夫ね」
「仲原、顔から出るもん全部出てたもんな」
佐々木さんが笑って言うと、仲原さんは目元だけじゃなく顔を真っ赤にして俯いてしまった。男同士のからかうようなやりとりは大概こんなもんだろうけど、仲原さんの男の娘な外見でそういう顔をされると、佐々木さんデリカシーないなーと思ってしまう。
優先輩も僕と同じ意見だったのか、肘で佐々木さんを小突いて黙らせた。
「ナナくん、おしぼりもらってくる?ハンカチ濡らしてきた方がいいかしら」
「ううん、平気。ありがと……軽く聞いてたけど、スグルくん、ほんとにオネェなんだね」
「ええ、まあ、一応?あんまり気にしないでもらえると助かるわ」
頬に手を添えてふわと笑うのは見慣れた仕草だ。意識して女性らしく振舞う優先輩に、仲原さんは物珍しげにへー、と言った。この二人が知り合ってどのくらいなのかは知らないけど、話に聞いていた程度なのかもしれない。
優先輩が瀬良高で一、二を争うイケメンでオネエ口調、というのは、学内では有名な話だ。二学期も終わろうとしている今、瀬良高生で知らない人はほぼいない。
「えーと、なんだっけ?」
「言い寄ってきて勝手にトラブルに巻き込んでくる迷惑な輩を減らすには男として見られなきゃいい。って、優のお姉さんたちが」
「それそれ。イケメンもタイヘンなんだネって思った。女友達のノリって大丈夫なの?女子トークしょっちゅう混ぜてもらうぼくが言うのもなんだけど」
女子のグループに混ざっている仲原さんは容易に想像できた。違和感がないどころか、グループ内でもトップクラスにかわいい部類に入ってそうだ。
二年の教室を覗いた時、女子に囲まれた優先輩を数回見たこともあるけど、こっちはこっちで違和感がない。部室にいる時よりテンション高めで口角も上がっていて、部長曰く、擬態は完璧だ。
「大変な時もあるけど……平和な日常のためだしね」
遠い目をして言われて日頃の苦労がうかがえた。優先輩は僕からすればビックリするくらい顔が広いけれど、人間関係はごく一部を除いてひどく浅いように見える。教室では仲良く話すし、廊下を歩けば方々から挨拶が飛んでくるけれど、僕が知る限り放課後を一緒に過ごすのは部活のメンツか後藤さんたちくらいだ。
多少人見知りの気はあるらしいけれど、人と話すのが苦手なわけでも嫌いなわけでもない。ただ、大事な人を大事にするために深く付き合う人を選んでいるのだと思う。
「部長や結月ちゃんだけじゃなくて、どんな話し方だろうが友達でいてくれるって子もいるけど……どこで誰が聞いてるか分からないから、瀬良では素で話すの、ちょっとこわいのよ」
詳しくは聞いていないけれど、中学時代に結構なトラウマになる事件があったらしい。嫌われたいわけじゃないが言い寄られることがないように、なんて、考えただけでも疲れる生き方だ。
家族や、後藤さんと二人の時や、もしかしたら佐々木さんとなら、素の、普通の男子の話し方をするのだろう。部長や僕、数人の気の置けないご友人は、そういう事情を知っているから、口調については何も言わない。ただ、素でいられる誰かもちゃんといて良かったと思うだけだ。
「他校の子だったら素で話してもいいかな、とも思うんだけど……なかなか線引きが難しくて……えっと、聞いてて気分のいい話でもないわよね。ごめんなさい」
「べ、べっつに!かわいーでしょアピールならバッカじゃないのって言うけど!女子避けとかイヤミですかお疲れ様ですー!としか思わないし!」
ふーん、くらいで聞いていた仲原さんが、不意に謝られてあわあわと答えた。照れ隠しなのか完全にツンデレみたいな発言になっていて、後藤さんが微笑ましげに、佐々木さんがクスクス笑いながらコメントする。
「仲原っていい子だよねぇ。ちょっとおばかだけど」
「後藤ちゃん⁉」
「素直じゃないよなあ」
「そっ、そんなことないもん!」
顔を赤くして二人に抗議する仲原さんは、きっと良い人だ。だから、後藤さんたちも優先輩に会わせたんだろう。
優先輩も、さっきまでの申し訳なさそうな苦笑をひっこめて嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。ありがとう、ナナくん」
「お、お礼言われるようなこと言ってないし!」
ツンデレ男の娘は居心地悪そうに小声で叫ぶ。表情もセリフもグッジョブと賞賛したいレベルだ。
リアルでアニメかよというような場面に遭遇する度、三次元も捨てたもんじゃないと思わせてくれる人たちに感謝したくなる。手を合わせる僕を、また何か嬉しいことがあったのね、と優先輩が菩薩のような顔で放っておいてくれた。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
ひとしきり感謝の儀が終わると、優先輩が伝票を持って立ち上がる。注文する時に一人二百円集めてあるから、会計は優先輩に任せて僕らも荷物をまとめて席を立った。
忘れ物がないか確認して、スマホで時間を確かめた仲原さんが声を上げる。
「あっ、ごめんね、後藤ちゃん。うっかり遅くなっちゃった。もうこんな時間」
「え?ああ、気にしなくていいよ。心配してくれてありがとう。仲原こそ、帰り道気をつけなね」
「あ、うん。じゃなくて!女の子一人じゃ危なくない?」
「平気だろ、優いるし」
「え?」
佐々木さんの言葉に仲原さんが目を丸くした。数歩先を歩く佐々木さんは、驚いた様子の仲原さんに構わず続ける。
「家隣なんだよ、優と翼。ていうか、二人とも超強いし。暴漢の怪我を心配した方が」
「ばか。素人相手に怪我なんかさせないわよ」
「撃退する気は満々なんだよな……なんかあったらちゃんと連絡よこせよ?」
冗談交じりのやりとりをしているうちに、いつのまにか立ち止まっていた仲原さんと後藤さんたちとの間に距離ができた。最後尾にいた僕が仲原さんを追い越した時、呟くようなささやきが落ちる。
「……それ、は、ゆーくん的にアリなの?」
「ん?」
距離と音量のせいで、きっと僕にしか聞き取れなかったそれは、絞り出すような感情をはらんでいた。悔しさ、だろうか。
思わず振り向いたけれど、そこにあったのは可愛らしい笑顔だった。そのまま、僕を追い越して佐々木さんの腕を掴んで店の外まで連れて行く。さっきは優先輩を引っ張っていた佐々木さんが、半ば無理やりな感じで引っ張られていく。
「スグルくんが後藤ちゃん送ってくなら、ゆーくん、ぼくのこと送ってってよ」
いいでしょ?と腕を組んで上目遣いに首を傾げる仲原さんは、さながら彼女だ。男子のはずだけど。
よほど驚いたのか、佐々木さんの声は裏返っていた。
「は、はあ?何言って」
「いーじゃん、途中まででもいいから!一人で帰るの寂しい!」
「寂しいっておまえソレ男子高校生のセリフかよ」
「……どうしたの?」
ひっついて離れようとしない仲原さんと、なんとか引き剥がそうとする佐々木さんの攻防を、会計を終えて外に出てきた優先輩が見つけて不思議そうに首をかしげる。佐々木さんは仲原さんの可愛らしい顔を鷲掴んで距離を保とうとしているので、たしかにぱっと見なにをしているんだか疑問に思っても仕方ない。
ぽかんとした優先輩に、仲原さんは顔面を掴む手を剥がしてニッコリ笑いかけた。
「僕、ゆーくんに送ってもらうから!」
「だぁから勝手に決めんなっつーの!」
佐々木さんの叫びは、はたして優先輩に届いたのだろうか。空はすっかり夜で、ファミレスから届く光で逆光になった優先輩の顔色は分からなかった。ただ、息を呑んだ気配だけが微かに伝わってくる。
数歩離れた仲原さんに、優先輩はどこまで見えているのだろう。薄闇の中、仲原さんの弧を描く口元と笑っていない目元に気圧される。
「なに?だめなの?」
声のトーンは変わっていなかった。器用に目だけが笑っていないのだ。少しだけ、怒っているように見えなくもない。
美人が怒ると怖いとはよく言うけれど、かわいい系の人が怒っても結構な迫力だ。視界の端で、優先輩がバッグを持つ手に力を込めた気がした。
「……いいんじゃない?たしかにナナくん一人じゃ心配だし、送ってあげたら」
相変わらず、薄暗い世界で顔色はわからないが、笑った気配がした。でも、だいぶ迫力負けしているように思う。
優先輩の言葉に仲原さんはニッコリと笑い返して、掴んでいた佐々木さんの腕をぐい、と引き寄せた。
「いいって!行こ、ゆーくん!じゃ、みんなまたねー」
「おい、ひっぱんな!……ったく、また連絡するからー!」
嵐のような人だ。拐われていく佐々木さんを見送りながら月並みなことを思う。
映画も見たし、ファミレスでおしゃべりもした。帰ったら遅めの夕飯だ。帰りましょうと声をかけようとして、やめる。ふり仰ぎかけた顔は前に固定したまま口を開く。
なんとなく、今は顔を見られたくないんじゃないかと思った。
「喧嘩でもしたんですか?」
暗くても、隣にいれば体が強ばる気配は伝わってくる。問い詰めたいわけじゃないし、責めるようなことでもない。ただ、確認というか、疑問に思ったことを口にしただけだ。
視線はまっすぐ、佐々木さんたちを見送ったまま。とっくに人混みに消えた二人は、まだくっついているのだろうか。
「優先輩は、佐々木さんと付き合ってるんだと思ってたんですけど」
勢いよく、優先輩が僕の方を見た。驚きと困惑みたいな視線に、今度は視線を合わせてみる。そこに否定の色はなかったけれど、ひどく動揺していた。
それは、文化祭のショーの後。近づいた距離感、変化した名前の呼び方。それだけあれば何かがあったことは明白だ。ちょっと気まずそうにしていた時期もあったから、仲直りしただけと言われればそれまでかもしれないけれど。
付き合い始めました、なんて言われてはいないし、言ってほしかったわけでもない。優しい優先輩の目が、もっと優しく笑ようになった。その理由は、僕にとってはなんでもよかった。
「僕がいたからですか?」
「違う」
二人の仲を知らないはずの僕がいたからイヤだと言わなかったのかと、当然検討する可能性を食い気味に否定された。優先輩が強い言葉を使うのは珍しい。少し、素を見せてもらえた気がして場違いにも嬉しくなる。
嬉しい気持ちは一瞬で、苦しそうな顔をさせてしまったから申し訳ない気持ちになった。僕の表情筋は、以前よりはマシになったとは言えまだまだ怠け気味だ。若干ヘコんだことには気づかれていないことを祈る。
「……違うわ。気づかれてたのはビックリしちゃったけど……えっと、黙っててごめんなさい」
「いえ、それは別に」
真面目な優先輩らしいセリフだ。いろんなことをたくさん気にかけて、優先輩自身より聞かされる側のことを考えて言わない選択をしたんだろうと簡単に想像できる。杞憂だろうと、心を砕いてくれたことは嬉しく思う。
どう聞いたら、傷つけずに済むのだろう。コミュ力不足を嘆いていたら、ずっと黙って成り行きを見守っていた後藤さんが一歩近づき、一言だけ問うた。
「大丈夫?」
「……ん。平気」
「優が平気っていうなら、わたしらにできることないし、悠介がなんとかするわよ」
「それは、そうなんでしょうけど」
何か、は確かにあって、今のとは別口だろう。何にもなければ何のことかを聞き返す。
僕の無粋な憶測はきっと外れていないけど、これ以上はなにも言えない。なにを言うべきかも、そもそも僕にはわからなかった。
「喧嘩じゃないし、本当に大丈夫だから」
「……馬に蹴られる趣味はないですし、先輩が笑ってられるなら、僕はなんでもいいんですけど」
「ふふ。ありがとう」
優先輩の笑顔が切なくて、脳内で佐々木さんにデコピンしておいた。
「あれ?」
「………………なかはらさん」
休日の書店で出会ったのは、マフラーをリボン結びしたかわいらしい男の娘だった。有事の際はファッションに興味がない妹にその服貸してあげてほしいと頼むかもしれない。
初めて会った日、彼が来ていたのは男子の制服だったはずだ。いや、でもコートは後藤さんと同じ女子用だったか。自分の記憶を疑う程度には今日も性別が迷子だった。
「時間かかりすぎだと思うけど、思い出してくれたならいいや。コンニチハ、後輩くん」
身長はさほど変わらないけど、若干腰を曲げて下から見上げるように挨拶された。思わず、三次元でここまで完成度の高い男の娘と知り合いになる日が来ようとは、などと素の感想を抱いて表情が死ぬ。
男子にしては大きな目で上目遣いされると結構な迫力だ。サイドで編み込んだ明るい髪が揺れる。ぱっと見女子、よく見ればかわいい系の男子、でも違和感や無理をしてる感じはない。パねぇ。
普段、優先輩というイケメンを見慣れているとはいえ、仲原さんはちょっとジャンルが違う。名前を思い出すのに時間がかかったのはビジュアルに気圧されたのもなくはない。
言い訳を口に出すつもりはないが、仲原さんこそ僕の名前は覚えているのだろうか。
「やだなあ、覚えてるよ。右京結月くんでしょ?」
まさかのフルネームである。
「ゆーくんは苗字だったけど、後藤ちゃんとスグルくんは名前だったから。ていうか、声出してくれる? どうせこんなとこかな? で会話するのそろそろ限界だよ?」
「失礼」
相手がしゃべってくれると自分の口を開くのをサボりだすのは僕の悪いくせだ。素直に反省し、一礼して踵を返す。
「え?ちょっと待って。会話終わり?」
「何か用事でしたか?」
「ないけど。せっかく会ったんだから世間話くらい付き合ってよ」
「世間話と言われても」
知った顔を見かけたから挨拶を、程度だと思ったのだが違ったらしい。呼び止められたので足を止めたけど、学校も違うし、共通の話題があるようにも思えない。
新作ゲームの情報収集に雑誌を漁りにきたのだが、今日はめぼしい収穫がなかったのでこのまま帰るつもりでいた。仲原さんは手にしていたカラフルなファッション誌を棚に戻し、店の外を指差した。
「ね、新作飲みたいんだ。付き合って」
仲原さんが指し示した先には窓越しに全国チェーンのコーヒーショップが見える。いかにもリア充が行きそうなシャレた雰囲気と、商品名が呪文じみていて僕は滅多に近づかない店だ。
若干顔が引きつった気がするが、マジかあと思っている隙に仲原さんに腕を取られて連行された。マジかあ。
昼前の半端な時間、店内にはさほど客もおらず、スムーズに注文を終えて飲み物を受け取り、窓際に陣取ることができた。僕は呪文を唱えられないので無難にカフェラテだが、仲原さんは新作だという商品を更にカスタマイズしていた。普通に半分も聞き取れなかった。
「なんだかんだ優しいよね。スグルくんの指導のタマモノ?」
いかにも甘そうなクリームの塊にしか見えないそれはなんなんだろう、と眺めていると、小首を傾げて聞かれた。先日の映画の時は制服だったからそこまで思わなかったけど、この絵面で男子ってすげえ。
一口飲んで、おいしー、と笑った仲原さんが僕を誘った真意はわからないけど、僕だって何も考えずに連行されたわけじゃない。
「……興味がないわけでもなかったので」
「ふーん?」
太いストローでくるくるとカップの中を混ぜる仲原さんは、本当に用があったわけではないのか特に話し始めるでもなく、しばらく店内のBGMを聞くだけの時間が流れた。カフェラテに口をつけたけど、なくなったら間が持たないこと必至なのですぐに机の上にカップを戻す。
仲原さん的には、僕から聞きたいことがあるなら、という沈黙だったのかもしれない。でも、僕自身、仲原さんに何を聞きたいのかわからなかった。興味はあるし話してみたいけど、何が知りたいっていう具体的なものがない。
「前髪、邪魔じゃない?」
聞きたいこと、なんだろうなーと自問自答しながら窓の外を眺めてぼんやりしていたら、仲原さんの方から質問がきた。共通の話題がわからないから、とりあえず目に見えるものから、ということだろうか。これがコミュ力。困った時は相手の観察から始めた方がいいのかもしれない。勉強になる。
僕の前髪は伸ばしっぱなしで、クラスメイトにも時々ちゃんと見えてる? と確認されるし、過激派に出くわすと鬱陶しいと理不尽な暴言を吐かれる。家でゲームをする時や部活中はまとめたりもするが、寝癖も付きにくい素直な髪は普段から手入れすることはほとんどない。
「特には。視界が開けてる方が落ち着かないので」
「ふーん。スグルくんもそうなのかな」
仲原さんの前髪は眉よりも上くらいで切りそろえられていてとても見晴らしがよさそうだった。サイドは少し長めだけどきちんと整えられていて、今日の編み込みのようにアレンジできるようになっている。
優先輩も、男子にしては長い髪を女子のように編んだりシュシュでまとめたりするが、そういえば長めの前髪はあまりいじっているのを見た覚えがなかった。
「なんかさー、わざと隠してる感じするんだよね」
言われてみれば、そんな感じがしなくもない。柔らかい物腰と穏やかな笑顔に隠れて気づきにくいけど、優先輩は案外人見知りだし、目立つことを好まない。
他人にどう見られたいかは人それぞれだ。たとえば、僕は他人の評価に興味はないけど、視線が鬱陶しいのは嫌いなので前髪を伸ばしている。僕の視界に入らなければなんでもいい。
優先輩は、どうだろう。
「あの容姿ですからね。不要なトラブル回避じゃないですか?」
「あー、そか。オネエさん口調も女子避けでしょ?ほんと、イケメンも大変だね」
僕の勝手な憶測になるほど、と頷いて、仲原さんはまた甘いもので満ちたカップを口に運ぶ。口の端についたクリームをぺろりと舐めとって、口にしているそれと同じように甘い顔がふにゃりと笑んだ。
「でもさ、顔隠したり、話し方で牽制したり、中身に自信があるからできることだよね。ボク、見た目以外に人に自慢できるとこないもん。隠したらイイトコなーんにもない」
カラカラ笑ってあっけらかんと言うので、内容を理解するのに時間がかかった。脳内で反芻して、ほんとに目の前の人が言ったのかと自分の耳を疑う羽目になる。
卓上のカップをもう一度手にとって一口含む。いい感じに冷めてきた。でも味わかんないな。あれ、僕、砂糖入れたっけ。
「なに?変な顔して」
「え?あ、いえ。思ったよりも卑屈でびっくりしました」
「ヒクツって……失礼だなあ。勉強も運動も、がんばってがんばって平均くらいしかできないんだもん。顔以外褒められない人生で自覚しないでいらんないじゃん。そこまでバカじゃないよ」
ぷくっと頬を膨らませても様になる男子高校生はそんなに多くないと思う。才能の無駄遣い感がパねぇ。唇を尖らせてぶーぶーと文句を言う仲原さんは、第一印象の人物像とは少し違っていて若干動揺する。
もっと、自信満々な人だと思っていた。愛されるのが当たり前で、自己顕示欲が強くて、周りに流されず我を通すタイプ。
当たらずも遠からずだろうけど、決定的に違うとも言える。自分がかわいいことを理解し、同時にかわいいだけだという認識のようだ。項目による自己評価の高低差が恐ろしく大きい。
「長所を長所と自覚していて、それを伸ばそうと努力するのはカッコイイと、思いますが」
「……どんなにがんばって磨いたって、一番好きなひとには振り向いてもらえてないけどね」
ゼロかイチかしかない評価はあまりにも極端で、危うい。滅多にしないフォローを口にすれば、驚いたような顔をされた。
照れたように笑う顔は十分に魅力的だと思う。褒められて嬉しいと素直に思えるところだって美徳だ。一番好きな人の前では照れが勝って冗談めかしてしまうのも、歳相応の微笑ましい行動だと思う。
愛想はある程度装えるけれど、愛嬌は才能だ。かわいいだけ、と断言するのはいささか暴論に過ぎる。どうしてそこまで、と思った時、口を開いた仲原さんは、ずっと遠く、暗く静かなどこかを見るような目をしていた。
「ボクは一番になれないし、二番目ですらない。がんばっても、がんばっても、その他大勢」
他人から見た評価がどうだったとしても、人は自分が主人公の人生を生きているはずだ。モブにはモブの人生がある。
なのに、仲原さんの言葉は仲原さん自身を客観視していて、主体性が極端に薄い。内からの意志ではなく、鏡に映った自分の感想みたいだ。他人から特別に思われることはなく、お飾りでそこにいることを許されている。そんな悲しい自己評価があっていいのか。
「それでもがんばるのは、仲原さんにとって佐々木さんが一番だからですか」
「……改めて言われると照れるな」
両手で持ったカップで頬の染まった顔を半分隠された。
優先輩と佐々木さんが付き合っていること。仲原さんが佐々木さんを好きなこと。気づいているとは口にしていないけれど、なんとなく知っているんだろうなと察している。たぶん、お互いに。
きっと、変わろうとしている。そのきっかけは、恋だったのか、佐々木さんだったのかはわからないけど、よかったと思う。
会うのも話すのも二度目の、他校の先輩にどうしてここまで思うのかは自分でも謎だ。
「よくわかるね。結月くんエスパー?」
「強いて言えば、少女漫画によくあるパターンでしたので。優先輩の周りは、物語が全て妄想ではない実例が多くて飽きません」
「えっと……どゆこと?」
「いえ、お気になさらず」
高校生になってから、事実は小説よりも奇なり、を実感する日々だ。未経験なのに手芸部に入って、他校も巻き込んでファッションショーをして、イケメンでオネエ口調の先輩に彼氏ができて、男の娘とお茶している。
一年前の僕が想像もしていなかった、面白くて、刺激的で、予測できない愛おしい日常。二次元にしかないものだと思っていたのに、それらはいつの間にか僕の普通になりつつある。
鏡に映った自分ではなく、自分自身と向き合おうと踏み出した仲原さんも、きっと遠からずちゃんと認識することだろう。自分こそが、自分の物語の主人公なのだと。もっと言えば、僕みたいな同人誌レベルではなく、仲原さんはちゃんと商業で単行本化される物語の主人公になれるだけのキャラ立ちをしていると思う。
「ねー、また相談のってよ」
仲原さんがコトリとカップを机に置いた。中は空で、もうそんなに話したかと思ったけど、自分の手元を見ればカフェラテもたいして残っていない。
一気に飲み干して仲原さんを見れば、だめ?とでも言いそうな顔をしていた。軽口を叩いている風を装って、期待を隠せているつもりだろうか。
「これ、相談だったんですか?」
「うーん、グチだったかも?右京くん否定しないから、なんか楽。なんだろ、興味の熱量みたいな? ヒマだし話聞いてもいいかなくらいのテンションじゃない?」
自分が他人に影響を与えることはないと思っているんだろう。わかってませんね、仲原さん。モブの中にも、役割があるNPCっていうのがいるんですよ。関わらなきゃ話が進まないこともあるんです。
僕は、仲原さんにとっての助言をくれるタイプのNPCになれただろうか。そうだったらいい。一時間に満たない時間だったけど、たとえ佐々木さんの隣にいられなくても笑っていてほしいと思う程度には、僕の中の仲原さんの印象は変わった。
自分が主人公であることも、他人を変えることができることも、いずれ気づくだろう。本人が言っていたように、きっとそこまでバカじゃない。気づいたら、きっともっと魅力的になる。主人公とはそういうものだ。
「まあ、また縁があれば」
「え?あ、連絡先教えてくんないの?むー、ケチー」
「それから、次回からは有料です」
「え、ウソ」
飲み終えた二人分のカップを持って立ち上がる。返却口に向かいながら、仲原さんが飲んでいたカップを顎のあたりまで持ち上げた。
「これを注文するための呪文を教えてください」
「……なにそれ、やっすいね」
今日の相談料は、その笑顔ということで。
「そういえば、先日仲原さんと会いましたよ」
「え?」
男の娘と遭遇をした週明けの部活。優先輩に編み物を教わりながら報告をした。完成すればマフラーになるはずなので、なんとか年末頃には仕上げたい。
キリのいいところまで編み目を数えて、知らず力んでいた目や肩をほぐしていたら、いつになく不細工な顔の優先輩が視界に掠めた。しっかり見てみれば、驚愕、戸惑い、不安みたいなものが混ざって複雑なことになっている。若干、顔色が青い気がするが大丈夫だろうか。
「ど、どこで?なんか変なことされてない?」
「本屋で偶然。お茶に誘われて少し話しました」
何を?と優先輩の表情が物語っている。人種違う感あるもんな、あの男の娘と僕。
友達と言われたら本当に?と問いたくなるようなタイプの知人と遭遇した、と聞けば、先輩としてはまあ不安になるのもわからなくはない。だからこそ、伝えるだけ伝えておこう、みたいな気持ちがないでもなかった。
恋敵なら、後輩を巻き込んで嫌がらせを、なんて人もいるにはいるだろう。仲原さんはそうではないだろうけど。
「思っていたよりもずっと謙虚な方でした。ちょっと心配になるレベルで」
「……そ、そう」
優先輩は意外そうな顔と声だったけれど、その他に取り立てて不安になる報告がないからか、少しだけ安心したように肩の力を抜いたのがわかった。
仲原さんと会ったことを話したのは、事後報告になった場合の不測の事態を防ぐため。それから、聞きたいことを聞くための前フリだ。
急がば回れ、目標達成のためには多少の遠回りも厭わない。ていうか、遠回りのついでに拾い物もするのがゲーム攻略あるある。
「優先輩から見て、後藤さんはどんな人ですか」
「翼?どんなって……優しくて、強がりで……器の大きい子、かしら。もうちょっと、自分がかわいい自覚を持ってほしいわね」
それをカッコイイ自覚が薄いアナタが言うのか、というツッコミを飲み込んだ僕をだれか褒めてほしい。言ったら話が逸れるから、それについてはまた後日だ。
「では、佐々木さんは?」
「うーん……素直で、よく笑って、他人のいいところを見つけるのが上手い、かしら。一緒にいて楽、だし」
だんだん声が小さくなっていくのは照れからだろうか。佐々木さんは後藤さんあたりに惚気ていそうだけど、優先輩は誰に惚気るんだろう。まさか後藤さんじゃないよな、そこまで酷なことしないよな。
そして、次が最後、本題だ。
「仲原さんは、どんな人だと思いますか」
僕の問いに、優先輩が答える義務はない。どうしてそんなことを、と聞き返したっていい。それをしないのは、優しさだろうか、信頼だろうか。
少しだけ、僕の意図を考えるような間を置いて、しかし何も言及はせずに優先輩は困ったように笑った。
「よく、わからないっていうのが本音かしら。初対面の時がけっこう敵意むき出しだったし、この間も怒らせちゃったみたいだし」
まだ数度会っただけの人間を理解しきれない、なんて普通のことだ。特に、佐々木さんの前の仲原さんしか知らないとなれば尚更だろう。
好意を寄せる相手の前か否かで、人間は案外顔つきも声のトーンも変わるものなのだから。そう、少女漫画の背景トーンが変わるように。
「友達に、なれそうな気もするんだけど」
「友達になりたいんですか?」
問いを重ねる僕に、優先輩は驚いたような顔を返した。その発想はなかった、みたいな顔だ。
発言的には無意識だったのかもしれない。だからこそ、自分でも気づいていない本音だったんだろう。
「……そうね、そうなのかも」
そんなわけがない、と否定しないところが、優先輩らしい。無意識を指摘されて、それが自分の認識と違う時、不都合な時、人は自分の心をも否定しがちだ。防衛本能みたいなものかもしれない。
気づいていなかった自分の一面をあっさりと受け入れて、優先輩は頬杖をついた。
「こういうキャラを作ってると、そういうキャラとして扱われるのよね」
妹がいると、お兄ちゃんとして扱われるよね、くらいのノリで言われた。
立場のある人は相応に扱われるだとかいう話とは、少し違う。他人と騒ぐことが嫌いだと思われている僕がクラスではあまり話しかけられない、みたいな、そういう話。一歩間違えれば、いじめに発展することもある。
「自分で決めたことだし、後悔はないわ。実際、救われたこともある。翼も部長もいる、今年は結月ちゃんや悠介とも会えた。恵まれてると思う」
優先輩がいつからそういうキャラとして生きてきたのか、詳しいことは知らない。それでも、素直に自分の言葉で話すことが減って、感覚がマヒしてきているのではと思った。
男子高校生の、雑で子どもっぽくて妙に馴れ馴れしくて、なのに楽しくて仕方ないような空気が優先輩から遠いものになっているのだろう。しなくてもいい遠慮とか、掴みかねる距離感とか、そういううっすらした壁が存在している。
「なんだかね、男として対等にライバルだ、なんて言われて……嬉しかったのよ」
優先輩は、ちょっとだけね、と付け加えていたずらっぽく笑った。その感情は、僕では抱いてもらえない。先輩に男も女もないと思っているから。もしかしたら、幼馴染である翼さんでもできない。
男同士で付き合っていて、そこに現れた男の恋敵だからこそ、女だったら、を考えずに優先輩が自分が男であることを実感している 。
思春期の性に対する認識は、下手をすれば大人のそれよりも複雑だ。集団の中で生きる術を本能に近いところで選んでいる子どもがほとんどの中、体も心も男であるのに女を演じるのは容易ではないだろう。想像することしか、できないけれど。
「顔を隠すのは、中身に自信があるから」
「え?」
「と、仲原さんが。でも、僕には違うように思えます」
僕がそうだから、そう思うのかもしれないけれど。
「守っているように、見えます」
自分を。トラブルを防ぐことで、傍にいる誰かを。
立ち居振る舞いも、言葉遣いも、髪型も、理由がある。万人に正しく理解されることはなく、理由があることに気づかれないことすらある。それでもそう在り続ける優しい強さがある。
正解に近いところを理解する一人であれたらいい。たくさんのことを教えてくれる、尊敬する先輩の力になれるなら。
「人によって個人に対する評価は様々なんだな、というのを実感しました、という話です。大人数でいる時の印象と、二人で話した時の印象が必ずしも一致するわけではないですし」
「えっと」
同じ人間はいないから。少しずつ違う立ち位置で、方法で、誰かを支えている。優先輩にとって、仲原さんもきっと。
「仲原さんと、友達になれたらいいですね。……無理にとは言いませんが」
考えながら話していたから、支離滅裂になったかもしれない。小難しく考えてみたり、色々言ったりしたけれど、結論はそれだ。
優先輩は、頬杖をといて口を開く。ちゃんと伝わったよとでも言うように。
「ええ……そうね。そう、なれたらいいわね」
言葉選びは相変わらずだったけれど、笑い方がなんとなく、年相応の男子高校生に見えた。
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