仲原央の心

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仲原央の心

 女になりたいと思ったことはない。ぼくは男だ。  女顔。筋肉がつきにくくて小柄な体。声変わりしてもあんまり低くならなかった声。  コンプレックスに思わないと言えば嘘になるけど、生まれ持ったものは仕方ない。武器になるように磨くだけだ。  諦めじゃない。開き直っただけ。そのほうが楽だって気づいたから。無理に反発するより、長所を伸ばして望まれるように振る舞う方が、ずっと生きやすい。 「ねえ、後藤ちゃんはゆーくんのどこが好き?」 「ぶっ……⁉は、はあ⁉」  後藤ちゃんはミルクティーを吹き出しそうになりながら驚いた顔をする。気づかれてないと思ってたのか、とちょっと呆れた。  男友達(いや、女友達か?)っていう偽装がちゃんとできてたことを喜ぶべきか、はっきり言わなきゃゆーくんを取り合うライバルの土俵にも登れないことを嘆くべきか、ビミョーなとこだ。  クリスマス前の最後の日曜日、どうしてもゆーくんへのプレゼントが決められなくて後藤ちゃんを連れ出した。なんでわたしがって顔しながら、相談すれば茶化したりしないし、ちゃんと考えてくれるから後藤ちゃん好きだ。  駅近辺の店をたくさん巡って、迷って悩んでようやく決めたプレゼントを抱えて、後藤ちゃんにお礼のケーキをごちそうしている。今日決められて本当によかった。 「好きでしょ?ゆーくんのこと。彼氏ができたから諦めたの?」  ふーふーココアを冷ましながらズバズバ聞けば、後藤ちゃんは顔を赤くして口を引き結ぶ。今まで見た中で一番女の子な顔だ。恋ってすごい。  後藤ちゃんは基本カッコイイ。ちっちゃくて可愛い見た目はフェイクかよってツッコミたくなる時が結構ある。見た目に釣られて話しかけて、一蹴されてすごすご引き下がる男子を何人か見た。  男勝りとか、ガサツとかじゃない。女特有のねちっこさが欠片もないっていうか、正々堂々を地でいくっていうか。そこらの男が尻込みするような、ここで踏ん張れたらカッコイイよねってところを踏ん張れる子。  なのに、普通に女子だからずるい。普通にかわいいんだ、中身も。伏目がちに視線を逸らして頬を染めるのは、普段の背筋の伸びたイメージとは違うけど違和感はない。  いいなあ。女になりたいとは思わないけど、後藤ちゃんは、なんかいいなあ。 「ごめんね。……ほんとはずっと、後藤ちゃんとコイバナしたかったんだぁ」  小さく本音をこぼしてみる。共感はいらなかった。認めてほしかっただけ。  最初は、ただのクラスメイトだった。ゆーくんを好きになって、同じ気持ちでゆーくんを見てる後藤ちゃんに気づいた。話してみたらただのいい子で、カッコよくて、かわいくて、ああ、こういう子だったらゆーくんにお似合いなのかなって思ったこともある。  友達ごっこだったなんて思わないけど、ちゃんと、友達になりたかった。対等でいたかった。  素に近いとこっていうか、本心を見せるのも、それに対する反応を見るのも、実はちょっと怖い。視線はココアに落ちたままだ。 「す、好きな人の好きな人が、自分の初恋の人って、結構クるものがあるのよ……まだ、あんまり蒸返したくないっていうか……自問自答と人に話すのは別物っていうか」 「え?」  思いがけない話に顔を上げたら、後藤ちゃんは少しだけ頬を染めて言いにくそうに口をもごもごしてる。言葉を探してるのかもしれない。  こっちはこっちで、どう返したらいいのかわかんなかった。初恋云々は、なんとなくそうかなって思ってたからそこじゃない。そっちじゃなくて、そもそもさ。 「……コイバナ、してくれるの?」 「したかったんじゃないの?」  思わず出た問いに聞き返されちゃって、ちょっと言葉に詰まった。  だって、ぼく男だよ。後藤ちゃんと同じ人が好きな、男だよ。話、してくれるの。聞いてくれるの。気持ち悪く、ないの。結月ちゃんもそうだけど、どうしてそんなにみんな優しいんだろう。  告白の現場に居合わせさせちゃったのに、態度を変えないでいてくれただけで十分だと思ってたのに。あの日の翌日、普通におはようって言ってくれた時、本当に救われたんだよ。 「だ、だって……後藤ちゃん、こういうのあんまり話さないタイプだと思ってたし」 「うん、まあ、あんまりしないけど」 「……ぼく、男だし」 「それ、関係ある?」  不思議そうな顔で聞かれると答えようがないんだけど。普通は気にするじゃん。普通じゃ、ないんだから。  話を振ったのはぼくだけど、実際話してくれるってなったらどういう顔したらいいかわかんなくなった。目が泳ぐ、喉が乾く、言葉が出てこない。えーと、えーと、何話したかったんだっけ。ほんとに話して、いいのかな。 「男だの女だの気にするんだったら、そもそもあの二人が付き合うって言い出した時点で文句言うなり縁を切るなりしてるわよ。わたしは、あいつらも、仲原の気持ちも否定しない。拒絶しない。心を決めるのはその人だもの」  そんな簡単に、ぼくの不安を一刀両断しないでよ。悩んだり、話すの我慢してたの、バカみたいじゃん。  後藤ちゃんは、少しだけ遠くを見る目をした。ふわって笑う顔は、見てるこっちが泣きたくなるくらい優しい。 「わたしは、あいつらが……わたしの大事なひとが笑ってれば、それでいいの。仲原だって、大事な友達だと思ってる」  ああ、なんだ。後藤ちゃんはぼくが思ってたよりずっと器のでかい子だった。  いいなあ。後藤ちゃんみたいな子が想ってくれて、見守ってくれて、そばにいてくれて。悩んでも、迷っても、この子がいれば大丈夫って思えるんだろう。最強の味方じゃん。  本当に、救われた気分だ。  ぼくがゆーくんを好きだって、誰かに知ってほしかった。共感はいらないから、認めてほしかった。  ずっと欲しかったものが思いがけず手の中に落ちてきて、嬉しくて、無性に安心して、涙腺が緩みそうになるのをごまかすように無理矢理笑う。 「ねえ、スグルくんのどこが好き?」 「え……ええ?」 「初恋だったんでしょ?」  首を傾げて聞いてみる。ここまできたら勢いだ。溜め込んだコイバナしたい欲に任せて、後藤ちゃんとめちゃくちゃ仲良くなってゆーくんたちにヤキモチ焼かせてやる。  ね、教えてってねだれば、迷った挙句にため息を吐かれた。だめ?って上目遣いでもう一押ししたらデコピンをくらう。 「優が、一番わたしを女の子扱いしてくれてたのよ。ずっと」  地味に痛む額をさするための手で視界が狭まった時、聞こえた声にそのまま体が動かなくなる。手の影から盗み見た後藤ちゃんは、思い出の宝箱の蓋をちょっとだけ開けるみたいな顔をしてた。少女みたいで、それでいて大人びた、切なさ混じりの優しい顔。 「男ばっかのとこで育って、お世辞にもかわいい女の子って感じじゃなかった。まあ、それは今もだけど……それでも、優は小さい頃からわたしにかわいいって言ってくるし、守ってくれようとするし」  いつからとか、どこがとか、意識したことなかったんだろう。気づいたら好きで、大事で、傍にいられれば幸せ。わかるよ。わかるけど、それでいいのって思っちゃう。  ぼくの考えは顔に出てたみたいで、後藤ちゃんが眉尻を下げて笑った。 「もう……恋じゃ、ないよ。でも、優はずっと、わたしの特別」 「……愛じゃん」 「否定はしないわ」  大人ぶって笑ってるのがなんだか悔しくて、ちょっといじわる言いたくなる。 「じゃあ、ゆーくんのどこが好き?」  もう一度聞くと、さっきまでの堂々とした後藤ちゃんはどっかに行って、また少し赤くなってミルクティーを口にした。そう、それだよ!そういうの待ってた!  ゆーくんのことだって、どうせ後藤ちゃんが身を引いちゃったんだろう。そんな恋する乙女な顔するくらい、まだ好きなくせに。もっと自分本意でいいじゃん。ぼくらはまだ、他人の幸せ守れるほど大人じゃない。  言いたいことはいっぱいあるけど、それはまた今度だ。強がってるだけなのも、わかるから。大人のふりしてないと、ゆーくんたちの隣にいられないんでしょ。  今はいい。十七歳のコイバナがしたいんだもん。さあ吐け!って身を乗り出したら、カップで口元を隠して、小声で教えてくれた。 「……まっすぐな、とこ」 「……後藤ちゃん普通にかわいいと思うんだけど。これで落ちなかったとかスグルくんもゆーくんもどんな趣味してんの。あ、スグルくんは後藤ちゃん好きか」 「なんの話よ!」 「そんな恥ずかしがんなくてもいいじゃん。スグルくんとはこういう話しないの?」 「し、しないわよ!ノロケ聞かされるだけでいっぱいいっぱい!な、仲原こそどうなの⁉」 「ぼく?」  あーあー、真っ赤になっちゃった。ちょっといじりすぎたかな。  聞いてくれるなら、話したいこといっぱいあるなあ。どこから話そう。 「うーん、ぼくはねえ……外面じゃなくて、ぼくを見てくれるとこかなあ」  ずっと、かわいいって言われて育ってきた。見た目に釣られて寄ってきて、マスコット扱いして、ぼくを見ようしない、ぼくの見た目以外に興味ないやつらばっかだった。親ですらそうだ。かわいくして、黙ってアクセサリーの一つになってればそれでいい。  ぼくが何を考えてるのか、何を好きか、何が得意で、何が嫌いか。知ってる人はほとんどいない。 「ゆーくんね、ぼくのことカッコイイって言ってくれたんだ。そんなこと言われたの初めてだった。……うれしかったんだぁ」  高校一年の二学期、イチョウが黄色くなった頃。うまく立ち回ってるつもりでも、なんとなく気に入らないとかそんなくだらない理由でちょっかいかけてくるヤツらはどこにでもいる。  靴を隠されて、探して探して、木にひっかかってるのを見つけて。舌打ちして木に登った。男の娘じゃ木登りはできないとでも思ったのか、なめやがって。  危なげなく回収して、すとんて地面に着地して聞こえてきたのは拍手だった。 ——すげー!カッコイイ!なあ、オレにも木登り教えて!  小学生みたいに目をキラキラさせて寄ってきた男子。外見じゃないところを褒められるなんて滅多にないから動揺した。 ——い、いたずらされるような惨めなヤツに何言ってんの? ——いたずら?……うーん、それも、おまえがスゴイからだろ?ていうか、自分でなんとかしちゃってるじゃん。 ——す、すごくないし!……誰かに頼って、迷惑かけるわけにいかないじゃん。 ——ふーん……かわいいって騒がれてたからどんなヤツかと思ってたけど、カッコイイヤツだったんだな。  笑って言われて、ドキドキした。もっとその目で見てほしくなった。  イチョウ舞う黄色い世界で、ぼくは恋に落ちた。 「単純でしょ。自分で言っててもキッカケしょぼ!って思うもん」 「そうかな。そんなもんじゃない?なんか、想像できるし。……感想が素直すぎて恥ずかしいのよね、あいつ」 「わかるー!でもやっぱ嬉しいんだよね。時々悔しい」  ナイショ話するみたいに顔を寄せ合って、きゃらきゃら笑って、こんなに楽しいコイバナ初めてだ。女子のグループに混ざると、自慢とか愚痴ばかりであんまり楽しくなかった。でも、後藤ちゃんと話すのは楽しい。嬉しい。  あれこれ話して、楽しくて楽しくて、なんだか無性に鼻の奥がツンとするのを耐えてたら、後藤ちゃんが頬杖をついて窓の外を見た。 「わたしは、相手が男なら、もうどうしようもないかーって諦めついたとこもあるけど」  誰かを好きでいることに蓋をして、相手の幸せを願って、友達の恋に耳を傾けて。優しい子は大変だね。  冗談にしようとして、微妙に失敗したみたいな顔と声で、後藤ちゃんが不器用に笑った。 「仲原、男の子だもんね」  諦めらんないよね。そんな風に続いた気がする。  どうしようもないことをとやかく言うのはあんまり好きじゃない。虚しくなるだけだから。  多分、後藤ちゃんも同じタイプだと思うけど、言わずにはいられなかったんだろう。冗談にしようとした優しさは拾ってあげようと思って、にやって笑ってみせる。 「なんだと思ってたの?」 「いや、知ってたけどさ。時々、わたしなんかよりよっぽど女の子らしい時もあるじゃない」 「まーね!今日の服とかね!今度一緒に買い物行く?なんなら今から行く?」 「えっ、ほんとに?」  素で嬉しそうな顔するから笑っちゃう。笑いすぎて出てきた涙をぬぐったら、後藤ちゃんが顔をくしゃってさせてた。真面目だなあって、頬が緩む。 「ごめんね。わたしは優も大事だから……仲原のこと、応援してあげられない」  知ってるよ、そんなこと。それでも、プレゼント選びを手伝ってくれるくらいには、ぼくのことも想ってくれてる。  それに、ちょっと嬉しいんだ。相手がゆーくんとスグルくんじゃなかったら、後藤ちゃんは応援してくれるってことでしょ。  そこまで言ってない、なんて後藤ちゃんは言わない。なんなら当たり前でしょとか言ってくれる。それってなんて心強いんだろう。なんて、幸せなことだろう。  無性に嬉しくて、そんな申し訳なさそうな顔しないでほしくて、笑って言った。 「なーに言ってんの。気持ち悪いって学校中に言いふらすヤツだっているよ、こんな話。態度変えないどころか話聞いてくれるだけでお礼言いたいくらい!」  机の上に握り締められた小さな手にちょこんて触れる。大丈夫。平気だよ。  諦めたわけじゃない。確固たる自信があるわけじゃないけど、できることはしたいし、諦めるのはがんばってからでも遅くない。でも。 「泣きたくなったら、肩借りにいってもいい?」 「うん。いつでもどうぞ」  ほら、その即答が勇気をくれる。だから、大丈夫。 「後藤ちゃんも、泣きたい時は頼ってね」  きょとん、てされちゃった。うーん、そこまで踏み込んじゃダメだったかな。でも、後藤ちゃんが泣くとこ、ほんとに想像できないな。  そんで、もしかしてって思う。目の前のかわいい女の子は、スグルくんの前でさえ泣かなさそうなこの子は、誰の前でなら泣けるんだろう。 「後藤ちゃんだって、泣いたでしょ?」 「えー?ないない」 「泣くのはかっこわるいことじゃないよ。弱いってことでもない。泣いちゃいけないなんてこと、絶対ない!」  なんだか無性に悔しくなって、笑ってごまかした後藤ちゃんにキツイ言い方しちゃった。眉毛が八の字になって困ってるのがわかるけど、撤回するつもりはない。  いっぱい言葉を探すけど、なんて言ったらいいかわかんなくて唇を噛んだ。 「後藤ちゃん、泣いたでしょ。ひとりで。夏休み明け、いつだったか覚えてないけど……目、腫らしてたの知ってるよ」  思い出すのは、おはようって笑った後藤ちゃんの顔。あんまりいつも通りで、聞かないでって言われてるみたいだった。誰かを守る鎧みたいだと思ったあの薄化粧に、知らないフリするしかなかった。  一人で恋を終わらせた女の子は、あの時どうして笑って立っていられたんだろう。 「ぼく、声かけてあげられなかった。……ごめんね」  後悔が一粒落ちて、握った拳に落ちた。喉が重い。鼻水出そう。  でも、俯いたりしない。涙が溜まって後藤ちゃんがぼやけるけど、視線を外したくなかった。後藤ちゃんがどうしてほしいのかを見逃しちゃいけない、見逃したくない。今度こそ。 「仲原、わたしね」  小さなリュックからハンカチを出して、後藤ちゃんが僕の頬と目元をぬぐってくれた。使っていいよって渡されたそれは綺麗だけどシンプルで、とても柔らかかった。見た目の可愛さより質がいいものって感じ、後藤ちゃんみたい。 「人前で泣けるのって、すごいことだと思うんだ。わたしは……人に弱いとこ見せるの、怖いもの」  たくさんの人に大事に想われている後藤ちゃんが泣かないのは、想われてることを知ってるからだろう。僕が泣きたい時にわんわん泣くのは、僕が泣いたって心配する人がそんなにいないからだ。  手の中の柔らかいハンカチは、ゆるんだ涙腺を本格的に壊しにくる。ねえ、後藤ちゃん。周りが優しくたって、どんなに想われてたって、泣いちゃいけない理由にはならないんだよ。 「仲原は強いね。それに、優しい」  うっすらと張った涙の膜はきっと綺麗なはずなのに、僕の視界はボロボロこぼれてくる涙でボヤけたままだ。でもさ、だから、ちゃんと見えないから、泣いてもいいよ。 「ありがとう」 「……うん」  ちょっと震えた声にまた泣けちゃって、貸してもらったハンカチを目に押し当てた。ああ、腫れちゃうなあって思ったら、机の端にあったおしぼりも渡される。できすぎだよって笑えてきちゃった。  嫌われるのが怖くてちょっとだけ距離を置くのはもうクセみたいなもので、いつもそこから一歩踏み込めない。ゆーくんの時はちゃんと自己紹介する時には好きだったから勢いに任せられたし、スグルくんの時は気持ちで負けないための精一杯の意地だった。  深呼吸を繰り返して、涙がちゃんと止まったのを確かめる。顔を上げて、背筋も伸ばした。泣いてないけど、泣いてた顔で向き合ってお願いをする。 「ねえ、翼ちゃんって呼んでもいい?」 「うん。わたしも、央って呼んでいい?」 「もちろん!」  ふへへって笑って、また泣きそうになるのに気づかないフリをした。我慢してるわけじゃなくて、今は笑っていたい。  へらへらしてたら、翼ちゃんが頭を撫でてくれた。小さいけど、安心する不思議な手だ。 「応援は、してあげられないけど。央が笑ってられる答えが出るように願ってる」  ちゃんと答えを出した友達が背中を押してくれるのに、がんばらないわけにはいかない。でもきっと、どんな答えでもまた泣くんだろうなと思いながら、うんと頷いた。
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