Ⅱ.縛りは突然に

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Ⅱ.縛りは突然に

◇ 「で? なんでそんなに働いてんのに金がないんだよ」  本来、見ず知らずの他人に金を貸して助けるほど四条はお人好しではなかったが、ニヤニヤしながら背後でこちらを見つめている爺さんの視線には勝てなかった。 「うちは、残業代が出ないんです。ですから、申し訳ありませんがお借りした入院費はなんとか分割で」  返済を…と、冴木が続ける前に四条が片手で顔の半分を覆った。  今日退院したばかりの冴木の顔色はすっかり良くなっており、生来の整った顔立ちで病院で見た青年と同じ人物とは思えないほどハキハキと話していた。正直、金を返してもらえるとは元々思っておらず、二度と連絡なんて来ないものと思っていた。それだけに、礼を言いに四条の家までわざわざ菓子折りを持って現れたこの男の律儀さには素直に関心したが。  そのおかげで四条は、残業代ももらえないのに正月まで働いて身体を壊した貧しい若者から金を取り立てる相談をこれからしなくてはならない。しかも自宅で。 「あー…いや、俺もなんつーか、あの時は勢いっつーか…」  まさか爺さんの前で格好をつけようと思っただけですとは言えない。  言葉を濁しながら四条は、何といえばこのクソ真面目…否、誠実な冴木青年が返済を諦めてくれるか必死に考えていた。  もう返さなくていい。この菓子折りだけで充分だ。誰でもいいからお年玉をあげたい気分だった。  ……どれも弱い。この堅物そうな青年が納得するとは思えない。 「はい。本当にあの時は助かりました。もうしばらくご迷惑おかけしますが、お金は必ず…」  明るい声で話す冴木の言葉を、四条が苦い顔で遮った。 「なぁ、冴木…さん、だっけ? あんま言いたかねぇけど、返せる算段はあんのか?」 「ええ…。正直、生活はギリギリですが、そこは、なんとか…」 「明日から砂糖と水で生活しようとか思ってねぇか? お前」 「…あ、朝と昼は、そうしようかと……」  思わず深々とため息をつく四条。そんなカブト虫みたいな生活をしてまで浮かせた雀の涙のような金をどんな顔をして搾り取れというのか。 「わかった。ならこうしよう。将来、アンタが出世して金に余裕ができた時、もし目の前で金に困ってる若い奴がいたら、この前俺がアンタにしたのと同じことをそいつにしてやってくれ。それが俺への恩返しってことで…」  営業スマイル付きで語る四条。その昔、爺さんに言われたセリフの受け売りだったが、これなら納得してくれるんじゃないかという自信はあった。  少なくとも、四条自身は今回それを言った爺さんの目の前で実践してみせて爺さんへの恩返しができたのだから。その恩返しも同じ方法でいいじゃないか。ああ、いい話だ。これで解決…。 「もちろんそのつもりです。親切にしていただいたことは決して忘れませんし、自分もそうありたいと思います。が、それと今回四条さんからお借りしたお金とは問題が別です」 「…………」  …しなかった。この頑固者は思ったよりしぶとい。  仕方なく、四条はあまり使いたくなかった手を使うことにした。 「んじゃ、バイトするか? 俺のところで」 「バイト? ですか?」 「おー。バイト代を支給する代わりに金の返済に充てるってことでどうだ? それなら納得だろ?」  名付けて、『ドン引かせて諦めさせる作戦』。  四条がガラガラとリビングの隣の部屋の引き戸を開けると、そこには決して他人にはお見せできない世界が広がっていた。 ◇  四条が開けて見せてくれた部屋で最初に目に飛び込んできたのは、デパートなんかで見かけるマネキンのようなトルソー。推理アニメの犯人のような真っ黒な顔のない頭部に何故か服を着た真っ黒な上半身と、太腿あたりまでしかない下半身。  その細いモデル体型には土色の麻縄が綺麗にかけられ、AVのモデルのような状態になっていた。  更に、室内物干しに掛けられた何本もの麻縄の束に、縛られている椅子やゴミ箱、ペットボトル、日本人形。…なんだか呪われそうだ。  完全に硬直している冴木に、背後の四条が説明してくれる。 「…見ての通りだ。緊縛モデルをしてくれるバイトを募集している。どうだ? 一日二時間で一万円。破格だろ?」  破格なのかどうなのか、冴木にはその手の相場は全く分からなかったが、それなら何日かで入院費は返せる。  腕を組んで試すような目でこちらを見ている四条に冴木は低い声で訊いた。 「では、それで。明日から会社であまり時間がとれないので、一回目は今日、今からでもいいですか?」 「…………マジか?」  目を点にしている四条に強い口調で言ってやる。 「これを見せたら逃げると思いましたか? 生憎ですが俺は……」  しかし、遮るように四条の大きな声が返ってきた。 「明日から会社っておま…ッ、今日まで入院してたんだよなッ?! 過労で…」 「え? ええ…でももう退院し…」 「いや明日日曜だろッ! 退院した次の日から休日出勤するか普通」 「来いって言われたので」  ごく自然に言われて四条が言葉をなくす。  こいつの辞書に反省という文字は存在しないのか。  いや違う。ないのは退職と転職という文字だ。…それに、有休とかもなさそうだ。 「では、四条さん、バイトの方お願いします」  キリっとした覚悟を決めた顔で言われて、言い出した四条の方が逆に面食らう。  さっきはああ言ったが緊縛モデルは別に募集していない。  趣味で緊縛写真家としてネットで活動している彼は緊縛の世界ではそこそこ有名人であり、彼の個展やネットを見たファンの中には無料でモデルをさせて欲しいという人も多いのだ。  実際、金を払ってモデルを依頼したことは一度もない。  だが…今のこの状況で冴木を追い返すのはあまりにも困難であり、その上追い返したとしても明日から冴木の生活がカブト虫になるのが目に見えている。  ……縛るしかない。  かくして、土曜の昼間っから男同士の緊縛が始まった。
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