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◇
…勢いでやると言ってしまったものの、冴木は自分の発言に自分で軽くめまいを覚えていた。入院費として知り合って間もない男に今から縛られる展開なんて一時間前には想像もしなかった。
だが、明日からカブト虫になって再度入院するリスクを考えれば縛られて済むなら安い。
……安い、か?
自問自答しながら、言われるがままに上半身だけ服を脱ぐ。
下はそのままでいいそうだ。
エアコンの温度を上げてくれていた四条が戻ってきて、冴木にリビングの中央に座るよう指示する。
テーブルもソファーもなくただ絨毯がしかれただけのリビングはとても広い。
座っている冴木の背後からそっと両肩に四条が手を置いた。
「軽く身体ほぐすぞ。肩開くから、痛かったら言えよ」
返事も待たずにぐっと両肩に置いた手に力を入れられて、背中にそらすように両肩が開かれていく。
「…お前、結構身体柔らかい方か?」
「あ、ああ…はい。多分…」
変にドキドキしながら返した冴木に四条が手を放す。
「腕、後ろで組めるか?」
「こう?」
座ったまま、普通に立った時にするように背中で手を組む。すると四条がその腕をグッと持ち上げて肘を曲げて両腕が重なる形で止めて、訊いた。
「痛くは…なさそうだな。珍しいな。いきなりこんな姿勢にすると女性でも痛がることもあるんだが…」
着やせする方なのか、服を着ていた時に想像していたより冴木の体格は筋肉量が多く、引き締まった綺麗な造形をしていた。
「ええっと…柔らかい方だと、昔からよく言われます」
まだ少し緊張した声を出している冴木に四条が軽く訊く。
「背面合掌できるか?」
「え? はいめん?」
「背面合掌。背中で両手を合わせられるか? こんな感じで」
正面で普通に合掌して見せられて、それを背中でやってみる。
いとも簡単に背中でペタッとくっついた掌に四条が目を丸くする。
「ち、ちょっと上げていいか? 痛かったら言えよ」
念を押すようにもう一度同じことを言いながら背面で合掌したまま開いた脇を締めるようにグッと二の腕を押す。
背中の低い位置で合わさっていた手が肩甲骨近くまで持ち上げられて脇が完全に締まる。
「……え。や、お前これ、我慢してるとか…じゃないよな?」
冴木の顔はとてもではないが痛そうには見えなかった。
涼しい顔でこれができる者は女性でも多くはない。
「まぁ…前にこれやったモデルの女性が言うには、できる奴は普通にできるから痛くも何ともないらしいが…。男で出来る奴は俺も初めて見た」
心底感心したように言われて冴木の方が逆に不思議な気持ちになる。
これは果たして喜んでいいのかどうなのか。
先ほどの部屋に戻った四条が、綺麗に束に纏められて括られている麻縄が沢山入った箱を持って戻ってきた。
てっきり吊るされていた縄を使うものとばかり思っていた冴木が不思議そうに訊く。
「あの、物干し台の縄は使わないんですか?」
箱の中からいくつか縄を出してほどいて準備しながら四条が返した。
「ああ。あれは卸したての新品だからまだメンテナンス中だ」
「め、メンテナンス?」
ようやく少し緊張がほぐれてきたらしい冴木に、軽く笑いながら説明してやる。
「買ったばっかのジュートロープは硬いからな。鍋で茹でて干しとくんだよ」
「な、なるほど…。結構大変なんですね…」
一生懸命話を合わせている冴木の肩をもう一度開いてやってから、両腕を背中で床と平行にぴったり合わせて縄を通していく。
「…それだけじゃねぇぞ? その後、毛羽をコンロであぶって焼いて、馬油で鞣すんだ。縄は生き物だからな。そうやって愛情かけて育ててやらねぇとすぐ機嫌悪くなっちまう」
「へ…へぇ…そーなんですね…」
もはやついていけなくなったのか、乾いた声で返事をしている冴木の腕を完全に拘束してしまうと、そのまま腕を縛った縄を正面へ回す。
今度は正面から背中へ。身体に添わせるように縄を回して交差させ、軽く力を込めて締め付ける。肩に沿った縄が食い込んで、冴木が軽く息を飲んだ。
考えてみれば、このまま殺されたって抵抗できない状態だ。
…まぁ、仮に万が一この男が悪人だった場合は殺されるより緊縛写真で脅迫される可能性の方が圧倒的に高そうだが。
そこまで考えた時、胸から上を締めている縄に比べて最初に縛られた背中の両腕がそこまできつく縛られていないことに気づいた。
「…腕の縄だけ、緩くないですか?」
体格のいい冴木の身体はあっという間に縄の長さを使い切ってしまうらしく、早くも二本目の縄を継いで手際よく縛り続けながら四条が当たり前のように答えた。
「今ここが火事になったらどーすんだ。腕だけは本人が力いっぱい引っ張りゃ抜けるようにしとくんだよ」
「な、なるほど…」
どうやら、殺す気はないらしい。
肌に食い込んだ縄と肌の間に四条の指が入り、縄のラインに沿って滑らせるように動いていく。すると縄の締め付けが均等になって、食い込んだ部分が楽になった。
縄を引き抜く時にも、同じように指を挟んで肌を擦らせない。
SMのイメージから痛めつける印象が大きい緊縛だが、今回はモデルだからなのか、とにかく傷がつかないように最大限配慮してくれているらしかった。
「……なんだか、思っていたより…」
「エロくねぇってか?」
「いえ、優しいなと思って」
「…………」
肌に触れる男の手は乾いていて温かい。
壊れモノを扱うような丁重さでもなく、だが決して物を扱うような手裁きではなく。
手際よく冴木の骨の位置まで細かく考えながら綺麗に縛り上げていく。
「…縄ってのは、モデルの形を美しく見せるように考えながら縛るんだよ」
「人間なんて誰でも大差ないでしょう?」
縛り続けながら、四条は冴木の背後から返した。
「同じ人間は一人もいねぇよ。心も身体も。そいつがバラバラになっていかねぇように、その綺麗な形をとどめていられるように考えて縛ってくんだ」
それは不思議な言葉だった。
『縛る』という言葉から想像される窮屈さではなく、大切なものを繋ぎとめておこうとするような温かさ。
冴木にはそれが、人を人として扱わない会社でかわされる言葉より、よほど血の通った言葉に思えた。
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