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第九十二話 日常の影
───青く晴れ渡る空、春の穏やかな日差しが世界へと降り注
ぐ。
注がれる日差しは大地を駆け隅々と照らし、森深くに存在する村
へも当然として届いていた。村では緑色の肌をした小人、ゴブリ
ン達が暮らしている様子で、小柄な体躯に見合う小さな弓を携え
狩猟の準備をする者、クワを二人がかりで担ぎ足早に何処かへ向
かう者等。住人達は穏やかな生活の中に身を置いているらしい。
しかし。一部穏やかざる風景が村には混じっている。木柵に刺さ
ったままの矢、焼け落ちた家屋。小人の何人かが焼け落ちた一つ
で作業を行い、其処へ黒の男が歩き近付いて来て居た。
「進み具合はどうだろうか?」
私は無残にも焼かれた我が家の跡地を見詰めつつ、此処で作業し
ている建築組のゴブリン達。彼らの一人へ声を飛ばす。
「!」
すると声に気が付いた一人が此方へ駆け寄って来る。彼は代表者
の一人だ。
向かってくる彼の背後、今は帰れない我が家の悲しき姿。此処へ
足を運ぶ度、見る度に。何とも言えない思いと感情が胸の奥で疼
く。柔らかく暖かいモノ、固く冷たいモノ。
「……ふぅ」
私は疼きを少しの深呼吸で紛らわせ。家の処理を任せているゴブ
リンを迎える。
「あのガレキを退かしたら終わりゴブ」
「そうか。悪いな、私も手伝うべきだと分かってはいるのだが…
…」
「ダイジョウブゴブ。オヤカタ、別の所手伝ってくれてる。だか
らいいゴブ」
「すまない(彼はそう言うが、他が此方をチラチラ見ている)」
焼け落ち、住めなくなった我が家。狩りの後、そんな家屋達は暫
くの間私や村全体が忙しく、放って置かれていたのだが、このま
ま何時までも放って置いても良い事等無く、倒壊の危険性を考え
解体と言う運びに。
人手が減った事情もあるので私自身も解体を手伝っていた、が。
いざ我が家の解体を手伝う、と言うのはどうにも気が引けてしま
い、見るのもまた同じく。なので情けない話だが私は手伝いを他
所で行う事で、此処を彼らに任せていたのだ。……とは言え。
「(我が家解体の大詰めとも成れば、住んで居た者として一人は
立ち会わねばな。そう、私は、私達はあの家に確かに住んで居た
んだ……)」
視線の先。焼け落ちた家跡では瓦礫とかした家財道具に、壁だっ
た物が撤去されて行く。あそこは台所だったろうか? あっちは
リビングで……。
「(ッチ。こんな事なら逃したあの貴族、アレもいっそ焼いてし
まうべきだったか! 許し難い、許し難いッ!)」
最愛の娘と過ごした光景が記憶に呼び起こされ、問題なく続くは
ずだった日々を奪われた事を思うと。激しい怒りが私の身の内で
暴れ狂う。
あの時は自分でも信じられない事に、何とか怒りを押さえられた
が、今目の前に奴らが居れば一声も許さず燃やしている。間違い
ない。
ああしかし、激情に駆られ短絡的な行動は取るべきではない。大
人として、良識あるイリサの父親として。何よりも大事なイリサ
の為にも。だからこそあの時は耐え、先を見、復讐と言う考えで
頭と心を忙殺した。
まあ……。直接イリサが傷付けられておらず、怒りの対象がその
場に居なかった事も理由ではあるのだろう。果たして。
「(直接傷付けられていたら……。うーむ)」
この異世界へと喚ばれ、娘を持った日から今日までを思い返せ
ば。私はどうにもことイリサが関わる事と成ると自身を押さえら
れ無い節がままある様に思う。感情だけで先行した行いの多くは
問題を大きくするだけと相場が決まっているのに。
とは言ってもなぁ、心ある生物である限り、自らの行動から感情
切り離す、なんて事は難しい。それに感情が悪いモノとは誰も言
わないだろう? だから娘を貶されれば咄嗟に手が出てしまうか
も知れないし、危害が及びそうなら燃やしたりもするだろう。
うむ。当然だ。しかし大切なのは何事も思慮分別を欠いては行け
ない、と言う事。
幸いにもこれまでの行いでは大きく思慮を忘れる様な事は無く、
抑えずともいい、親として当然の感情から甚く正しい行動を取れ
ていたと自負している。親初心者として申し分なく振る舞えてい
るはず。ふふん。
……ただ今回、一人の貴族を生かして帰した事は、その限りとは
言い難い。静かではあった、だが確かに激しい感情に揺らされし
でかしてしまった行動。
「(アレは流石に不味かったかも知れない。感情に任せぶっつけ
本番で魔法の遅延発動を施すとは……)」
もしも上手く行ってなかったら、魔法が不発だったらのなら困
る。意図は伝わらず、伝言も聞けたか不明だ。
「(不発だったら彼だけを無傷に帰した事になるなぁ。誰も生か
す積りも無かったと言うのに)」
今回。結果としてこの村は多くの人間を殺してしまった。勿論全
て不可抗力なのだが、此方の常識では違うだろう。許せない事を
相手がして来たので、体裁を整えた上でやり返してやっただけな
のに。
「(しかし言葉の通じる相手を“狩る”連中だ。理不尽な報復は免
れないだろう)」
その前に娘だけを連れて逃げてしまえば事は簡単なのだが、此処
での今の生活全てを捨てる選択肢は───無い。
逃げる事を考えさせられる事態は今までもあったが今回は本当の
危機が差し迫っている。強い人間との衝突が。
だとしても、娘の為にここまで整え築き上げた生活水準をみすみ
す手放す事が出来ようか? 逃亡生活ではどれだけ悲惨な生活を
強いる事になるかも分からず、あの笑顔が曇ってしまう事を思う
と……。何より、あんな連中に脅かされてイリサの平穏を手放す
と言う事自体が、私には我慢ならない。
それに、今や私が守るべき者の範囲が広がっている事もまた、逃
げ出す事を許さない一つの荷だ。
イリサを可愛がってくれるリベルテ、友人のタニア。畑を管理し
てくれる優しきオーク、ヴィクトルに農業組の面々。コスタスに
……憎めないニコと。此処での生活は楽しい。生々しくも幻想的
で。
私と娘が大事と思う者、場所。娘にとって必要な環境……。
「おいそれとは投げ捨てられない荷がまた多くなってしまったもの
だ」
面倒とは思うも嫌な気はしない。こんな状況でもそう思えるは、
未だゲーム感覚を引きずっているのかそれとも。
「ふ」
「ゴブ?」
「! ああいや、なんでも無い」
「ゴブ。もう終わるゴブ」
呟きに反応したゴブリンが言う通り、物思いから目の前の光景に
意識を戻せば、我が家の解体作業は最後と成り。家としての面影
は床と土台を残しほぼ無くなったと言える。……。
「建て直せれば良かったのだがなぁ……」
「ごめんゴブ」
「! いや責めてなどいない。君達は今でも十分よくやってくれ
ているさ。ありがとう」
「ゴブ!」
私の失言で落ち込みかけたゴブリンだったが、素直な感謝を示す
事で気を持ち直してくれた模様。この彼は建築組の“新しい代
表”だ。前の者は貴族の狩りで生命を失ってしまったからな。
彼だけじゃない、建築組で経験豊富だった人材の多くは狩りで失
われてしまっている。畑や狩猟に出てた組に比べ、村で待機して
いた建築組の被害は大きかった。後で聞いた話だが、彼らは女子
供を逃がそうと自ら囮を買って出たからだとか。
狩りの被害は建物などよりも住人の損失、精神的被害。それらの
方がずっと大きい。
彼らへ意趣返しを行った事で精神的な物の方は何とかなっている
が、失われた生命と言うのは非常に重い。技術と言う意味を含め
ても。
「やはり一から立て直すのは……難しいか?」
「ムズカシイゴブ。ゴブ達のタテモノと違うからゴブ」
「そうか」
「……」
「怒ってないし失望何かもしてない。だから気にするなよ?」
「ゴブ!」
彼が悪い訳は無い。生命と共に次へ継承される筈だったモノ、技
術が失われてしまっただけの事だ。責任があるとすれば、その全
てはこの地で血を流させ、あの地で血を流してやった奴らだけ。
「二度と奴らの狩りを許すものか。ああ許さないさ」
「オヤカタ!オヤカタ!」
「「! オヤカタ!オヤカタ!」」
側に居たゴブリンが興奮した様子で私を呼び、離れた場所のゴブ
リンの何人かも同じ様な行動を取る。
行為が意味する所を考えると応え辛い物だったが、今は頷いて応
えて見せよう。すると彼らの何人かはその場で飛び跳ね喜びを示
す、が。
「「「……」」」
何人かはただ此方の様子を伺うのみ。以前なら私が望まぬとも、
ゴブリン全員がしていた事だった。しかし今はそうじゃない。
……それも仕方ないがな。望んではいないが、無いと不安にもな
る。アレはアレで分かり易い指針だったのだから。
「瓦礫。撤去。終わりました?」
考える間に背後から声が掛かる。
「ええ終わりましたよ」
振り返った先には声の主、暗いブロンド髪に村人服姿の女性。名
をドロテアと言いこの村に住んでいる住人の一人。彼女は撤去が
済んだ家跡を見渡しては。
「なら早速」
「足元には気を付けてくださいね」
「わか……この辺? 此方?」
返事もそぞろに家の跡地へ歩を進める彼女。
「オヤカタ。ゴブ達は?」
「ああ、此処はもう良いよ。本当にありがとう。今日はゆっくり
休んでくれ」
「わかったゴブ。ゴブブ!」
「「「!」」」
新たな代表となった彼が合図を送り、作業を終えた建築組を率い
その場を後に。私は瓦礫で怪我をしないか、魔法研究者を遠目に
見つつ考える。
ゴブリン全体もそうだが、建築組の人数低下、先人の習得技術未
継承と。今現在残っている建築組では我が家を建て直す事は元よ
り、修繕すら出来ないのが現状だ。出来る事と言えば、ああして
焼かれた家屋を安全に取り壊す事ぐらいだろうか? それだって
大助かりな事に違いはないが……。
「いいや贅沢過ぎるか。幸か不幸かで言えば、幸なのだろうか
ら」
襲撃者は面白半分に家々を焼いていたらしく、焼かれず済んだ建
物は以外にも多い。まあ、我が家は何故か他よりもしっかりと焼
かれてしまったがな。デカイと目立つからか?
しかし彼らが村全体を焼き払う、何て事をしなかった理由はちゃ
んと分かっている。“次”の為だろう。
だがその次とやらは此方から潰してやった訳だ。ふん、それを考
えれば少しは胸がすく思いだ。……勿論私が愛する娘の生活を脅
かし、良き村人を殺した事への対価としては、酷く安い報いでは
あったがね。
「それにしても」
私は狩りの事故としての体裁を整え、宣戦布告にも近い忠告を貴
族に届けてやった。なのですぐさま町の人間、騎士等が押し寄せ
て来るものだとばかり思っていた。
「思っていた、のだがね」
あの後。直ぐにでも此処へ報復が飛んでくるかとも思ったが、か
れこれ三日と経つが音沙汰は無い。報復が来れば私が対処して、
次への時間稼ぎをする積りだったんだがなぁ。
敵の接近に直ぐ気が付けるようゴブリン達に警戒を頼んで居るの
だが、今の所静かな物だ。
相手が忠告を聞き怖気づいたか、はたまた本格的な行為を準備し
てるかは分からん。だが三日も何も無いと成ると、時間的猶予が
僅かばかりはあると。そう希望を持っても良いのだろうか?
あんな事をされたのならその日の内に動きがあると思っていたが
……。ふーむ。町で何かあったか? 或いは伝言が届かなかった
か? 何方にしても謎だな。
「あはー! あったあったあった!」
「?」
不可解な敵の動向を考えていれば、跡地で探し物をしていたドロ
テアさんが目当ての物を見付けたらしい。
解体工事が始まる前。焼かれず無事だった物は仮の住まいへと運
び出してあるのだが、今探しているのは彼女が個人的に隠して置
いた物との事。
彼女曰く私の助けにもなるとの話しだが……。果たしてなんだろ
うか? 多少の興味に背を突かれ彼女の側へと歩を向けた。
「あー……開かない」
彼女は焼け焦げた床に手を当て開けようとしている。
「? その床下に何かが?」
「はい。これがこう、“パカ”って外れたんですけど。燃えた所
為で板が上手く外せ……外せ……。ないです」
見る間に彼女の手が煤だらけに。こう言う時にこそ魔法が欲しい
物だが、生憎私も彼女も持ってない様だ。やれやれ。
「ちょっと良いですか?(いつの間にそんな仕組みを我が家に作
ったのか後で問いただそう)」
「是非」
私は彼女と場所を替わり、剥がそうとしていた床板に手をかけ、
力の限りで床板を引き剥がす。すると板の下から四角い空間が現
れ中には。
「三つのクリスタル?」
「そうです。私これでも研究者、控えは作ってるのです」
「控え、ですか?」
「ええ……。ああそうだ是非! このクリスタルの中を覗いてく
ださい。きっと、きっと驚きますよ。ヒュヒュ!」
「(なぜ其処で笑う……)」
何時も通り魔法が絡むと言動が怪しく成る彼女の勧めを受け、私
はクリスタルの一つ、その中身を魔法で覗く事にした。
甚だ言動は怪しくとも、彼女が悪人では無い事ぐらいはもう分か
っている。それに、個人的に他の者が作った魔法道具と言う物に
は興味が唆られるしな。
「どれどれ……。 !?」
彼女から学んだ魔法を視る魔法。正確には“仕組み”視る効果な
のだが、行使すれば中には見慣れぬ複雑な魔法文字、それと驚く
べき事に私が研究していた魔法についての資料、焼失した魔術書
の内容等。全部では無いが、それらの写しと思われる物が収めら
れているではないか!
「驚き、ましたね。これは……これはクリスタルで魔法を使うた
めに、魔法を記憶させた物ではなく。正に資料、情報を保管する
事だけに特化されたクリスタル」
「そーうですそうです! ちょっと見ただけでその理解、きっと
アンラさんなら分かってくれると思っていました」
心底驚く。何せこれは記憶媒体そのものじゃないか! 素晴らし
い発明をした彼女を見詰めて居ると。
「んん」
少しの咳払いを挟み。
「私は此処へ来るまで、クリスタルの存在は知っていたし研究で触
れる機会もありました。ですが前にも話しましけど其処では決め
られた事以上は何も出来ない、させてもらえない環境だった訳で
すね。研究施設とは名ばかりの……」
顔に薄い嘲笑の色が浮かぶも直ぐに沈み、替わりに瞳へ僅かばか
りの光が灯る。
「しかし、しかしです! 此処では貴方と研究を共にさせてもら
える! だから私はクリスタルが魔法の記憶に適していると識る
事ができ、そればかりか考えが、そう考えが! 頭に芽生えたの
です! 以前のアナグラ、いえ此処以外の場所でなら即摘み取り
諦めていた芽。研究意欲を殺され続けたの日々の所為で、私が
無意識に摘んでしまっていた芽! ああでもそれが再び芽吹いて
くれたの!」
頬に紅色が浮かび唇がジグザグと歪む。それは多分笑みなのだろ
う。ゴブリンといい勝負、と言う感想は失礼だろうか?
「だから私は考えました!『クリスタルの性質は魔法発動に必要
な情報を記憶し、指向性魔力の充填で再生出来る。では情報その
ものの保管、再生もできるのでは?』とねッ! 他所なら絶対に
許されない試み、神への冒涜と糾弾される行い! ずっとずっと
したかった魔法を、夢見た研究を自分でしてやったんだ!
急造な魔法でも創作の魔法! ですけどけどクリスタルを記憶の
ためだけに特化する魔法の仕組みを作り上げ、上げたぞ!
見てるか?聞いてるか? 探究心の亡くなった傀儡共! これこ
そが研究だぁウヒャヒャヒャ!」
目の端に涙を浮かべ。口早に言葉を紡ぎ続けた彼女は、言うべき
を言い切った様子で。
「ヒィー! ヒィーー! ヒィーーー!」
後はし損ねた息継ぎを下手な呼吸で繰り返している。
ふむ。何時も書斎に引き篭もっているなと思えば、コレを内緒で
作っていたのか。成程。
魔法のある異世界、手にしたクリスタルもただの結晶石では無い
場所。此処でのクリスタルはその中へ魔法と、魔法の仕組みを記
憶でき、魔力をも貯める事が出来る優れた魔法の道具。クリスタ
ルのそれら性質、機能を考えれば容れ物や記憶装置としての活用
も考え浮かぶ。いや実際私も考えはしたのだ。しかし単にクリス
タルへ情報を記録しようとしても、出来るのは無秩序な文字の羅
列。文書をバラバラにして箱の中へ放り込んだ様な物、それしか
出来なかった。だから情報を取り出そうとしても、元の文章では
出てきてくれないし、そもそも取り出す為の穴を作る事から始め
ないと行けない等。文を文として見せてくれる機能、それら規格
が必要となってくるのだ。
生憎と自分にはそれら生み出す技術がその時は存在しなかった。
感覚の理解力を使うにしろ応用するにしろ、前提条件となる情
報、知識、技術、発想と言った物の最低基準値が必要。簡単な話
し、字を知らないでは本を読めず。読めなければ内容は物に出来
ない、と言った具合にだ。学ぶに極当たり前な事だが、どうすれ
ば良いかが何となく分かり、応用できてしまう所が正に能力と言
える。
「(だが感覚の理解力で得た物はあくまで『其処までのモノ』応用
も新制作も其処からでしか産めない)」
恐らくは私が生み出せなかった新技術、魔法こそが一緒に記録さ
れている見慣れぬ魔法文字達なのだろう。
これは新たな魔法。クリスタルの活用方法を画期的に広げる程の
な。私は漸く息を整えた彼女へ。
「ドロテアさんは凄いですね。私ではこんな仕組みを作れません
でしたよ」
「ヒィー? そんな事は無いでしょう。だってこれの発想の元は
貴方何ですから」
凝った仕組みを作った物だと思い呟けば、急に冷静を取り戻した
彼女が素面で此方を見詰め言う。
「私ですか?」
「ええ。貴方が研究作業中に零した、話してくれた言葉達。
通信、記憶、書き込み。ハード、ソフト。それらは考えた事も無
い発想の地へと私を導き、多面的な着想を抱かせ。枯れた畑に雨
を降らせたんです!」
冷静に詩的な言い回しを吐きつつ、徐々に喋る速度、数が多くな
り息継ぎも無く。
「本当に、本当に貴方は私の発想の恵み、芸術家ならばきっとヴ
ィーナスと呼んだでしょう! ああいえ、私にとっても神ですよ
勿論勿論! ひ、ひひひひひひ!」
「(正す所は其処か?)」
見開いた目は爛々とし、引き攣るように上がった口端は笑みを象
っているのだろう。多分。
私は『人間の顔とはこんな表情も出来るのか。凄い』と思いつ
つ。
「そ、それはさて置き。この仕組は大変素晴らしい物、それに焼
けてしまった資料の補完も。ともなれば……資料を盗み見た事は
不問にしましょう」
「あ。あ。あ。……バレ?」
「当然。私が見せなかった資料もコレには入ってましたからね」
彼女には珍しく顔を強張らせ慌てた様子を見せ。
「ちょっ、ちょっと覗いてみただけなんです、だからどうか怒ら
な───」
「怒りませんよ。結果を見れば全てを許し、それでもお釣りが来
るほどの偉業だ」
「───?」
クリスタルを記憶装置としての活用、それは考えてはあった事。
だけど私にはそれを実現するために必要な仕様、規格の基礎すら
作る事が出来ないでいた。
単純に割く時間を捻出できなかったと言うのと、実際問題技術力
が私に無かった。『感覚での理解力』があったとしても、それは
感覚上での理解。知性での理解が十全でなければ感覚頼りの手探
り作業となってしまう。それでも膨大な時間と手間暇をかければ
できそうだが、精緻に欠くモノしか出来ないだろう。
だから私は僅かな期待に掛け、知識を得ようとあれこれしていた
のだが。そうか、もう技術の基礎は此処に、私の手に入った。
既に今までの知識とどう組合わせればいいか、感覚だけで組み上
がって行けるのが───分かる。は、はは。
そうだ。生み出す地点さえ得られたのならば。
「そう、これは偉業。お陰でもっと先にと考えていた事も実現の
可能性が見えて来ましたよ」
思い浮かべ、想像するはある幻想の兵器。獲得までの技術ツリー
は既に視えている。
「なななにを、なにを考えてたんですか?」
興味津々なドロテアさん。話すのは、とも思うが現状は一刻も早
く技術環境の向上を求めている。それに彼女の技術力は研究者を
自称するだけに高い。こんな物を生み出せる程に。
であれば彼女には本格的に私が元の世界で得た情報、それを発想
として提供し。其処から此処に即した技術を抽出、或いは創造し
てもらった方が良い。彼女の使い道が出てきたな、うむ。
「貴方が作ったコレは、まさに私がこれからしたいと思っていた
備え、それらを実現するの為に必要な初期条件その物です。
クリスタル自体を仕組みとした新たな技術体系、その研究に使え
る物ですよ、これは。だからこれをもっと改良しましょう。例え
ば“通信”や“出力”と言った物。それから視覚化にタンク等」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!」
「……聞いてます?」
「!!!(女性の激しい頷き)」
興奮状態の彼女は急いで家に帰ろうと身振りで示す。百貨店で玩
具を買って貰った子供か?
普段物静かなのは喋る事が無いだけで、こうして何かあれば感情
を憚らない。最初は憚って欲しいとも思ったが、最近は見てて面
白いので、そう思わなくなって来ている。
「これの為に早く家に帰りたいのは分かりますが、その前にキッ
チンで昼食を取りましょう。イリサ達も待たせて居ますし」
「……? そうでした。行きましょう。」
「(うーん本当にアッパー状態とダウナー状態でバンジーする人
だなぁ)」
この場所へは我が家の最後。その確認をしに来ただけで、対して
時間を使う予定ではなかった。なので必要な物も回収出来たの
で、回収品をさっそく抱きしめ薄ら笑う彼女を連れ。村の中心に
立つ建物、煙突が目印の『キッチン』へと向かう事に。
「……チャンスに感謝します。貴方は本当に私の───」
一歩踏み出す私の後ろで声が飛ぶ。
「はい?」
「いえ。速くキッチンへ」
「?」
彼女が呟いた言葉の全部は聞こえず。だからもう一度と振り返っ
たが、もう一度は無かった。まあ、感謝されたのだ。悪い事を言
われた訳でも無し、良いか。止めた足を再び動かす───
───広くも狭くもない村の中心部。目的の建物近くには外に置
かれたテーブル席、其処へ腰掛けるゴブリン達に混ざる、ゴブリ
ン以外の人影。その人影が此方に気が付き。
「あ! お父さーん!」
「アンラさん此方此方ー!」
綺麗な金色の髪を陽の光で瞬かせるイリサと、結われた赤髪を小
さく揺らすリベルテ。
用事を済ませるからと、先に此処で待たせていた二人だ。
私は此方へ手を振るイリサ達へ手を振り返し、娘の隣の席へ着
き。ドロテアは対面、リベルテの隣へと腰を落ち着けた。
「待たせてしまったね。すまないイリサ、リベルテ」
「ううん大丈夫です」
「アタシも気にしてない」
二人から無償の気遣いを感じる。
「お父さんの用事の方はお済みに?」
「ああ。やっぱり建て直すのは難しいって話だったよ」
イリサ達へ我が家について話すと。
「まあ……」
「あのお家大きかったしねー……。他の事も考えると当然だと思
うけど、それでもちょっとだけ残念だわ」
「ええ残念です」
イリサとリベルテのそれぞれが感想を零し、二人共は残念と言う
思いで同じらしい。
「(仕方の無い事だ)」
どうにかしたいが、どうする事も出来ず、無力な自分を納得させ
る為に心で呟く。
かつて村長が住んでいた家と言うのは、それはそれは広かった。
何せこの村で一番大きな家屋を選んだのだから。他の家も田舎特
有の広さを持ってはいるが、村長の家ほどでは無い。
「全く、困った事をしてくれたものだ。家を焼くなどと」
「あはは……」
何故かリベルテがバツの悪そうな表情を一瞬浮かべ。
「でもアレから音沙汰が無いのって変よね」
「? 何か変なのですか?」
真剣な表情で疑問を口にし、リベルテの言葉にイリサが小首を
傾げ、疑問気な視線を飛ばす。
「だってその、アタシ達あんな事をしたのよ? それも貴族に。
町から騎士の集団が討伐に来てもおかしくない事態、いえ来て当
然の事件。なのに騎士も何も来る気配が無い何て、ちょっと異常
な事だわ」
「うーん……」
傾げたまま悩んで見せるイリサ。だが直ぐに確信した様子を見せ
ると。
「そうです。きっと彼らは自らの大きな過ち、お父様の庇護下に
手を出す愚行、その大罪に気が付いたに違いありません。だから
彼らは今お父様へどう謝罪するか。それを考えているのでは無い
でしょうか? きっとそうに違いありません。ふふ」
「……」
イリサは極々自然と話し笑みを浮かばせ、笑みを向けられたリベ
ルテは……何とも微妙な表情。
「ねぇ? そうですよねお父様?」
「………」
二人は此方へと顔を向けて来る。面白い事に、話が聞こえたらし
い周りのゴブリン達の視線も此方にそっと向いている。
「そうだね。そうかも知れない」
これ以外応えようが無い。
愛する娘からの評価が高い事は嬉しい。それが、私へ逆らう事が
罪だとか過ちレベルの人物と思われていたとしても。娘なら何ら
問題ない。私は期待通り偉大な存在だと肯定する他に無し。
「! うふふ」
「! …………」
娘はまるで信じた通りの答えだと笑い、何故かリベルテはゆっく
りと飲み込む様に数回頷いて見せた。彼女は正真正銘の人間だか
らな、流すにも一苦労なのだろう。
この手の話はこれ以上長引かせない方が良い。そう思い私はそれ
以上は言わない事にして。イリサも聞いてこなかった。
「「「………」」」
少しの間を置き。静かだった周りから話し声や食器の音等が戻
る。ゴブリン達も耳を欹てる事をやめたらしい。
数は多くないが、様子を窺うゴブリンが増えたな。
……それにしれも。
「(確かにこれだけ何も無いのは変な話しだろうに)」
此処でのただの平民と貴族の違いがどの程度かは、生憎分からな
い。ただそれでも人々の反応から要人を殺したに違いない、その
事だけは分かる。それも大勢な。だと言うのに報復の様子は無
い。
あれからコスタス達には何時も以上の警戒を頼んでいるが、誰か
がこの村を訪ねる気配は今日まで無し。それはなぜなのか?
まさか本当に私を恐れているのだろうか? 今回私は最後だけし
か手を出していないので恐れるならゴブリンを、だろう。
「送るに送れない事情でも町にあるんじゃないんです」
「「!」」
「?」
興味も無さ気に呟いたのはドロテア。彼女は掘り出したクリスタ
ルを撫でては薄ら笑いを浮かべている。
「事情って……例えば?」
尋ねたのはリベルテ。私も気になっているので耳を傾けてみる、
が。
「さあ?」
「さあってアンタ……」
「幾つか適当な理由は考えつきます。だけどどれも確かめようが
無い事で、違う事を考えだした私にはもうどうでも良い。分かり
ました?分かりましたね。」
「あ……そ」
心底の呆れ顔を見せるリベルテ、だったが。
「でも確かに。何か送れない事情がある……のかも? 後ろめた
い事……。領主……。貴族との……」
ブツブツと何かを呟き考え込んでしまう。彼女が漏らすワードは
興味を惹かれる物だ。しかし何にせよ。
「この村への危機が去った訳じゃない事だけは確かだ。それを考
えてこれからを過ごさないと行けないね」
「! うん、それはそうね。」
「お父さん……」
心配した様子で此方を見上げるイリサ。娘は、きっとまた襲われ
る事を思って不安なのだろう。そう思った私は見上げる娘の視線
をしっかりと見詰め返し。
「何も心配いらないよイリサ。何時かの約束通り、私は全力でイ
リサを守る。絶対に」
父親経験はまだまだ浅いが、それでも娘の不安を取り除いてやる
のが父と言う存在だろう。だからこそ力強く、そして決して裏切
る積もりもない事実を確かと伝えた。
「はいッ! お父さんならどんな危険からも私を守ってくれる。
そうイリサは固く信じています」
話す途中からイリサが席を立ち、此方へ来ては私を後ろから抱き
しめる。細くしなやかな腕で。首に掛かる娘の手にそっと自らの
手を添え。深い信頼の温度を確かめた。裏切れない、裏切っては
いけない唯一絶対のモノ。この異世界での存在意義。
「リベルテもどうですか?」
「へ? な、え、あ、アタシ!?」
「!」
意外な誘いに驚いたのはイリサだけでは無い。私も内心で驚いて
居た。だが気が付かない、もしくは二人の反応にも構わないと思
っているイリサは。
「ええ。触れる事でより一層深まるモノもありますよ。ふふ」
「……じゃ、じゃあ」
「!!(誘いに乗るのかッ)」
立ち上がったリベルテがイリサとは逆へ周り。
「「……」」
背後左右から二人の女性に抱きつかれる状態。なんだろうか、こ
れは。
「綺麗な女性に抱きつかれたご感想は?」
一瞬の間に頬を赤く染めたリベルテが私へ質問を飛ばす。羞恥の
感情が揺れるならしなければ良い物を。まあ彼女も不安、なのか
も知れない。この前の事は異世界云々に拘らず、大きな出来事だ
ったからな。此処は大人として冗談に付き合うとしよう。
「勿論世の紳士達が羨む状況だと思います」
「思います? ちょっと距離のある言い方よね~」
「?」
イリサが疑問気だ。何か繕おうかとも思ったが、リベルテの方が
早い。
「あ。まさかアタシに抱きつかれてアンラさん照れちゃった?
良いのよ。アタシこれでも美人だって言われてたもの。イリサも
美人だし、照れるのもムリ無いわ」
「! まあ。お父さんは照れているのですか?」
「……」
顔を前にピタリと向ける私の、その両端の視界からは二人の視線
が此方へ注がれているのが分かる。
確かに、今の状況は見れば誰もが羨む物だろう。何せ二人は元の
世界、いやこの異世界でも美女と呼ばれるに相応しい存在だ。し
かし一人は自らの娘で。もう一人も……ああそうか。燥ぐほど羨
まれたいと思わず落ち着いているのは。
「何方かと言えば」
「「?」」
「美人に抱きつかれている、と言うよりも娘二人に抱きつかれてい
る気分で、照れると言うよりも嬉しい、家族が味わう穏やかさを
感じられる心地。だからですかね」
「ッ!!? ふ、ふーーん!」
感想を言い終えると同時。リベルテが“キビキビ”とした動きで
私から離れ、直立し。
「どうしたんですかリベルテ? 嬉しい事じゃないですか」
「い、いや。その───」
「はは。どうやら照れているのはリベルテさんの方らしいです
ね」
私はイリサと互いを一度見合う。互いに穏やかな笑みを湛え
ている。
「……」
何故かリベルテは黙ったままだ。
「? あの、どうしました?」
様子に心配したイリサが声を掛けると。
「ん。ちょっとね」
「……気分を害してしまったでしょうか? だとしたらごめんな
さいリベルテ」
「私も少し調子に乗ってしまったかも知れない。すまない」
二人で謝るとリベルテは首を左右に一度振り。
「ううん。違う違う」
彼女は一度小さく深呼吸をしては。
「そこまで望んで、良くしてもらっても良いのかなって考えち
ゃったの。アタシ何かを二人の間に混ぜるってのは、さ」
「まあ。そんな事を気にしてらしたのですか?」
「そんな事ってねぇ……」
「リベルテ。お父さんが家族と思うのなら、私にとっても家族
なのよ? ね?お父さん」
イリサが柔らかな笑みを此方に向ける。
「ああ。私が思い、イリサが家族と認めたのなら。リベルテさ
んは、リベルテは家族の一員ですよ」
「二人共……」
暖かと言うか、こそばゆい時間だ。
「おまたせゴブー!」
「「「!」」」
何とも言えない時間に終わりを告げたのは、建物の中からおたま
を持って現れたゴブリンのニコと。
「お待たせしましたー」
トレイを持ったオディ少年の二人。
二人が此方に近付く間に、リベルテは元居た席へ“いそいそ”と
戻り、イリサも少し名残惜しそうに自らの席へ戻って行った。
二人が席に戻ると。料理の乗ったトレイを運ぶオディ少年が辿り
着き、トレイから料理をそれぞれの前へ。その最中私は体をずら
し、少年と一緒に来たニコへ。
「私が訪ねる度奥から出て来なくとも良いと、何時もそう言ってる
だろう?」
「そんな訳行かないゴブ! オイラの生命の恩人ゴブよ!」
力強く話すニコ。私の視線は彼の姿、片方の肩から布を纏った姿
に視線が動き、既に知っている事実を改めて確認してしまう。
揺らめく布、その下にはあるべき彼の腕は───存在し無い。
腕を失った狩りの後、元気の塊のような彼は酷く落ち込んだらし
く。その彼が再び元気な姿を見せた事、その事は嬉しく思う。し
かし前と全く同じ明るさが彼にあるとは、どうしても私には思え
ない。そう感じるのは私だけでは無い。
「「……」」
イリサとリベルテも笑みを浮かべてはいるが、何処か控えめだ。
奪われたモノは本当に大きなモノで。大切な日常を汚い手で触れ
られた様にも感じ、私は気分を害す。端的に言えばムカついて居
たのだ。
「……」
「? どうしたゴブ?」
「! いや。何でもない」
“ジッ”と見詰めていた事をニコに不思議がられてしまう。
憤っていた等と話しては彼や周りの者を不快にさせるだけ。なの
で。
「料理長職は順調かと、そう思っただけだ」
話しを逸らす事に。言葉を受けた彼は自慢げに胸を張り、おたま
を軽く揺らし。
「ゴッブゥ! しっ~かり監督してるから味はバッチリゴブよ
ぉ!」
「そうか。それは安心だ」
「ふふ。ニコさん達が作ってくれる料理は何時も美味しいですから
ね」
「ああ」
イリサと笑い合いっては。
「本当本当、アタシ此処で食べるのが楽しみなのよねー」
「皆~。もー褒めすぎゴブよぉ~!」
リベルテを含め彼に料理への期待を話す。そんな中で。
「指示は的確なんだけど、味見の回数が多いんだよね」
「ギ!?」
オディ少年が呟く。
「ほほう?」
「まあ」
「へぇー」
少年から齎された内部告発。それを受け取った私達からの視線を
受けたニコは。
「た、たまたまゴブ。ゴブ。ゴゴ、ゴブ!」
「あはは」
最初に少年が笑い、続いて皆が少しの笑顔を零す。それはぎこち
なさの無い声と表情だった。
「オディ! 内緒って言ったゴブよ!」
「ごめんごめん」
「ゴブー。副料理長だから許されるゴブけど、次は分からないゴ
ブからね!」
「分かりました。ニコ料理長」
「ゴブブ。もっかい、もっかい言ってゴブそれ」
「ニコ料理長」
「ゴブゥ~」
彼らが楽しんでいるのは役職名。それはオディ少年がニコへ話し
た事らしい。ニコから料理を教えてもらっていた彼は、料理長と
言う役について語り、それをニコが気に入ったと言う話しだ。
「でも大変じゃない? 副料理長ってのもさ」
リベルテが尋ねると少年は少し照れた様子を見せつつ。
「いえ。その、とっても楽しいです。必要とされて、頼ってもら
えるのは……」
「ゴブゴブ。オディは見どころがあるゴブからな!」
「あはは」
オディ少年は現在片腕を無くしたニコに代わり、通称キッチンと
呼ばれる食事処、其処の厨房で調理を担当している。最初それは
ニコを励ます為にと始まり、見事ニコを励ます事に成功した。
「オディさんは本当に楽しそうですね。でも、エファさんはどう
なのでしょう?」
「あー! エファ。エファは文句ばっかりゴブッ!『何でアタシ
がゴブリンの命令を~』とかばっかりゴブよ!」
「あはは……。でも彼女も満更じゃない、と思うんだよね。きっ
と料理を作る事自体は楽しいと思ってるんじゃないかな」
「ゴブ~? 本当ゴブかぁ~? なら何で口に出さないゴブ?」
「ふふ。それがエファさんらしさ、ではないでしょうか」
「あーあの子っぽいわね、それは」
「???」
皆の言葉に混乱した様子の料理長。私も同じ思いだが、その事は
場に出さずに置こう。どうやら置いてかれているのは私とニコだ
けらしいからな。
「あ、そうだアンラさん。家の方はどうでした?」
「……」
料理を並び終えたオディ少年から問われ、私は首を横に振って見
せ。
「培った技術の損失を改めて思い知らされたよ。大工技術を学ぼ
うにもなぁ……」
技術者は今はもう骨の鎧のどれか。詰まり聞けないって事だ。
「うーん。それならメンヒの大工さんに頼んでみる、と言うのは
ダメですか?」
「? ドーワフのって事か?」
「あ、そうじゃなくて。えっとですね、あの村には人間の大工さ
んが確か居ましたから、そのヒト達にお願いとか出来ないかな~
って」
「成る程……。メンヒの大工か……。ふむ、ふむふむ」
あそこは此処と違い元廃村でも何でも無い。だから其処で家を建
てた者、廃村一歩手前の状態から修繕を施した人物が居るはずだ
な。
以前村へ労力として貸したゴブリン達には、建築技術を建物から
学んで貰おうと言う含みがあった。しかし彼らは既に回収し、ま
た同時に失われてしまった存在でもある。
しかしそれなら今度はメンヒの人間、それも大工から直接技術を
学べば、損失した技術の補填が叶うかも知れない。
大工、大工か。掲げられた看板などは無かったが、それはうちも
同じ。居るかどうか聞き訪ねてみる価値は確かにあるな。
ただ……。人に害されたこの村へ人を招く事、それは少し不安だ
な。
「交流の成果を試す良い機会、と考えるか……」
様子も見に行きたい所だしな。
「あの、ボクの話しは役に立てました?」
「ああ。うっかりとして思い至らなかった事を気が付かせてくれ
たよ。ありがとうオディ君」
「そんな、えへへ」
礼を述べると嬉し恥じらう少年。うーん。この年頃の事は、自ら
の過去に在った事実と言えど客観視は難しい。私もこの様に当時
恥じらったりしたのだろうか?
「さてっと。オディくん、アタシのはこの二つよね?」
「あ、はいそうです」
テーブルに並べられたのはサンドイッチ。その二つを手に立ち上
がるリベルテ。彼女の腰には二つの剣が下げられており“カチャ
リ”と小さな音を鳴らす。そんな彼女へイリサが。
「一緒に食べては行かないのですか?」
「ん。今日は昼食時を代わるって約束の日だからね。一日置き
に彼らとは交代なのよ」
彼らと言うのは警戒を担当するゴブリン達の事だな。
リベルテにも偵察のお願いはしてる。偵察に出る時彼女は一人だ
が、正確には一人では無い。
「まあそうだったのですね! そうと知らずにお誘いしてしまっ
て……」
「もーそんな気にしないの。元々お昼は受け取りに来る予定だっ
たし。此方こそ一緒に食べれなくて悪いわね。最初に言うのを忘
れたわ。ごめんなさい」
「いいえ。私も気にしてないです。ではまた今度にお昼を」
「ええ今度こそね」
応えながら彼女は遠くへ手を振って見せる。すると遠くから飛翔
体が近付き、キッチンから少し離れた場所に降り立つ。それは紫
色の鱗を持ち、二枚の羽に二足の姿。異世界にしか居ないであろ
う幻想生物、飛竜。
彼女は降り立った飛竜に手にしていたサンドイッチの一つを放り
投げ、飛竜がそれを“パクリ”と丸呑みに。何とも羨ま素晴らし
い光景だろうか。機会があれば私とイリサにもと頼んでみよう。
うむ。
「んじゃ今日も偵察に出てくるわ」
「気を付けてくださいね、リベルテ」
「何か見つけたら手を出さず、直ぐに知らせてください」
「勿論。それじゃ───」
リベルテは口にサンドイッチを咥え飛竜へと跨り、首から下げた
クリスタルを一度握り込んでは、飛竜に着けられた手綱を掴み。
「ッ!」
『!』
飛び立ちの指示を受けた飛竜がその場から走り出し、彼女は飛竜
共々空へ。
「うわぁー……。凄い、本当にワイバーンって乗れるんだ……」
「ゴブゥー……」
感慨深げに見惚れる二人。何度見てもアレは良い物だ。
「っと。そろそろ厨房へ戻るゴブよ!」
「うん。それじゃあアンラさん、イリサさん。ごゆっくり」
「親方、お嬢。またゴブ!」
此方へ挨拶を送り厨房へと戻る二人。
三人が去りテーブル席には私とイリサ、それと。
「……」
いつの間にか昼食を食べ終えていたドロテア。周りに流されなけ
れば直ぐ、か。
「お待たせしましたクロドア。はい、あーんですよ」
『ッ! ッ!!』
おっともう一人、いや一匹居たな。
娘の足元では今か今かと食事を待っていたペットの姿。
「貴方も沢山食べて大きくなりましょうね。ふふ」
『!!』
イリサが千切って渡すサンドイッチを頬張る黒いドラゴン。……
あの飛竜と言いこの龍と言い。
「本当に竜種とは雑食だな」
「そうですね……。お野菜もお肉も果物でも、何でも好き嫌いせ
ず食べますからね。ね? クロドア」
『……』
ドラゴンは話に興味も無い様子で、長い首を伸ばしイリサの膝上
に頭を乗せた。その頭をイリサが擦り撫でる。
何でも食べるからか、すっかり大型犬並に成長した我が家のドラ
ゴンペット。それを膝上に、と言うのは難しい話だ。出来てああ
して頭をって所だ。
「このまま大きく育ち続けたら、何時か私が乗れるほど大きく成
るかも知れないですよね」
「うーん。だが生まれた時が子犬サイズだったからなぁ。其処ま
で大きくなるかどうか」
「そう、なのですか……。リベルテの様に私もクロドアに乗って
見たいと思っていましたのに。残念です」
いかん。私の発言で娘の夢を壊してしまったか!何とか挽回せね
ば。
「ま、まあドラゴンの生態は謎だから、もしかしたもしかするか
も知れないよ」
「はい……」
「そそそ、そうだイリサ!」
「?」
「この後メンヒを訪ねようと思っているんだけど───」
「是非ご一緒します」
「うん、それは分かってる。だけどね、今回ドラゴンや飛竜って
言うのは難しいけど。───馬になら乗せてあげられると思う」
「まあ! それはお父さんと一緒にと、そう言う事ですか?」
「ああ。ゆっくりと馬の背で揺られながら、久しぶりの散歩と言
うのはどうかな?」
「まあ!まあまあまあ! それは何て素敵で楽しみな事でしょ
う! 勿論応えは『はい』です!」
乗馬への誘いは娘に好意的に受け入れられた様子で、イリサは上
機嫌にクロドアへ構っている。
ふう。夢にケチを付けた事もこれで何とかなっただろうか? 元
の世界で役に立たなかった乗馬技術が此処で役立つとはな。何に
せよ、取り敢えず今日の午前は大工の件を確かめるとしよう。
「(それ以前にメンヒへは頃合いを見て訪ねねばと思っていたか
らな)」
あの後からメンヒへは立ち寄っていない。いや、狩りの遭った日
から私はメンヒへ行っていない。
あちらへ気を回す余裕も無かったからな。物資の運び込み等はタ
ニアらが継続してたらしいが……。そろそろ訪ね自分の目で様子
を確認した方が良いだろう。
ああそうだ。メンヘ行くその前に、一度タニアの所を訪ねねば。
「クロドア、楽しみですね」
『?』
メンヒへの道筋を考えつつ、私はイリサと共に昼食を済ませる─
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