27 母親

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27 母親

◇ ――心地よい感覚に、意識が浮上し始める。  夢うつつに、懐かしい声が聞こえた気がした。まだアイーダが、よく笑う子だった頃の声。そう、あの男の子、リリアナの子と一緒に、よく遊んでいた時の――。 「アイーダっ!」  その緊張した声に、一気に覚醒する。  見れば、アイーダが私の傷を治している。ジョシュアに切られた傷を。そして、  今まさに、同じ剣がアイーダを貫こうとしていた。 ◇  肉体が、凶悪な金属の塊に貫かれる音を、俺はもう聞きたくなかった。  うつろな瞳のジョシュアが、折れた剣を突き立てる。剣は体の奥へ奥へと潜っていき、やがて背中から姿を見せた。  アイーダの母、クイナの背中から。 「クソっ!」  ジョシュアに飛びつき、その体を拘束する。これ以上、こいつに家族を傷つけさたくない。 「お、母様……。なん、どう……して?」  アイーダが言葉を漏らす。呟きにもならない、か細い声だ。 「言ったでしょう……生きなさい、と」  そう言いながらクイナは、アイーダと、ジョシュアの手を握る。 「こんな……、なんのためにアイーダがここまで来たと思っている! あんたを助けるためだろうがッ!」  俺が言えたことではない。無論、分かっている。  そうだ。家族を殺されるということが、大切な人を失うということが、こういうことだっていうことくらい、俺はとっくの昔に知っている! そのうえで、俺は、殺すためにアイーダをここに連れてきた。  だというのに、今更、俺は……。  俺が一人、自分勝手な葛藤の中にいると、クイナがまた、残り少ない時間を削り、言葉を紡ぐ。 「それでも、ね。子を守るのが母なのよ……」 「何をしている、この人形が! 早くその女を、出来損ないを殺せぇっ!」  その言葉の邪魔をする無粋な声に、 「お前は黙っていろッ‼」  俺は詠唱もせずに魔力の塊を放つ。風の刃となった魔力はジョエルの髪をかすめて、虚空に消えた。ジョエルが腰を抜かしへたり込むが、そんなことはどうでもいい。  クイナが、震える体でジョシュアを引き寄せる。俺は思わず、ジョシュアの拘束を解いた。  母が子をなだめるように、いや、まさにその通りなのだろう、クイナはジョシュアを優しく抱きしめる。 「ジョシュアも、偽物だとしても、私の子……。わたしが、連れていきます」  その言葉はあまりにも弱々しく、けれど決して折れないであろう意志の強さが宿っていた。母親というのは、いつもそうだ。どれだけ救おうとあがいても、それ以上の意志で俺たちを、子どもを守り、勝手に死んでゆく。 「それが、……私たち、母親の……責任だもの」  私たち、と、そういったクイナは、俺の目を見て言う。その目が本当に見ていたのはきっと……。 「アイーダのこと、お願いね? ……ジーン君」  アイーダは殺す。魔法の象徴として、多くの人々の前で死んでもらう。そのはずだった。クイナも、アイーダの心を折るために俺が殺す、はずだった。  この状況は、イレギュラーではあるが機会としては絶好だった。なのに……。  俺は立ち上がり、アイーダの手を取る。 「いや、お母さま、……おかあ、さま」  いやいやと首を振るアイーダを無理やりに引っ張り、この場から離れようと走り出す。  ――その願いを俺が、断れるわけがなかった。  この場から逃げるのは並大抵のことではない。それはクイナもわかっているはずだ。それでも、彼女は俺に託した。託せると判断した。俺の戦いは見ていないはずなのに。彼女の中で俺は、魔法も使えない出来損ないの無能なままなのに。 「……つどえ」  背後で詠唱の起句が聞こえた。 「あ……」  母のもとに行こうと抵抗するアイーダを、力づくで抱き寄せ、抱える。 「我が……想いを糧とし、呼び起こせ……。踊る爆炎と暴風――。この身を……焦がし、すべてを破壊……せよ。求めるは……神をも穿つ、灼熱の炎」  ジョシュアを抱いたまま、彼女はゆっくりと詠唱を続けていった。知っている詠唱だ。その魔法は……禁呪『爆界(ムスペルヘイム)』。  なるほどと、納得する。謁見の間を吹き飛ばしたのは彼女の禁呪だったか。だが、今紡がれる魔法はきっと、そのときとは違う。もっとも強力な魔力で、もっと確かな意思で紡がれる魔法は、きっと何よりも大きな力となって紡がれてゆく。 「いっしょに……行きましょう」 「お……かあ、さ」  ――轟音と、爆風。  今度こそ崩壊する謁見の間とともに、アイーダの母、クイナ・キャバディーニは死んだ。  爆発を利用し、謁見の間から飛び出す。ローブを広げ、魔力糸を束ね即興の骨組みを作る。この勢いの爆風に乗れば、かなり遠くまで飛んでいける。  抵抗すると思われたアイーダは、意外にもおとなしく俺に抱えられていた。ただその視線は、崩れ行く謁見の間へと注がれている。  爆発が収まり、崩壊は謁見の間だけでなく王宮全体に及んでいく。崩れ行く王宮の中で、あの禍々しい扉だけがそびえたち、どこまでも視界に入った。  ――逃がさないと言わんばかりに。
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