42 アイーダ

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42 アイーダ

――この世界の、神が。 「ジーンっ‼」 「っ!?」  アイーダの叫びに正気を取り戻す。気が付くと、何か黒いものがすぐ目の前まで迫っていた。 「クソっ!」  慌てて退避する。恐怖で体の神経がおかしくなったのだろう。魔族にやられた傷の痛みはまったく感じなくなっていた。  改めて、迫ってきた黒い何かを見る。  ――それは巨大な腕だった。  それを視界に収めた瞬間に、本能的恐怖が襲ってくる。 「~~ッ!」  身がすくんだ。  それでも足を止めず、アイーダと二人、必死に移動と回避を繰り返す。幸いなことに、腕はその図体の通りに速度は遅い。避けるだけならば簡単だっだ。けれど……。  ――いつまで続く? どこまで追って来る?  その答えは、明白だった。 「アイーダ! まだ戦えるか!?」 「少しならっ! そっちは!?」 「――俺もだ!」  ちまちまと攻撃しても効果がないのは感覚で分かる。最後の攻撃になってもいい。今打てる最大の魔法を放つ!  言葉にせずとも伝わったようで、アイーダも詠唱を始めた。 「集え――我が力、我が憎しみを糧とし、顕現せよ。すべてを飲み込む災禍、酷烈の嵐よ!」 「集え――我が望むはすべてを焼き尽くす灼熱、すべての時を止める氷結。あまねく大地を飲み込み、今ここに地獄の地平を呼び起こせ!」  詠唱が終わる。先に魔法を放つのは、アイーダだ。 「――『轟雷(テンペスト)』‼」 「――『氷炎地獄(ニヴルヘイム)』」  アイーダの嵐が腕へと迫る。灼熱と絶対零度が追随する。  ――ここだ!  二つの魔法が接触する瞬間、俺はもう一つの魔法を完成させる。 「――『邂逅(エンカウント)』!」  灼熱と絶対零度が荒れ狂う暴風と融合する。禁呪同士の融合。「轟嵐」の苛烈さの中で、「氷炎地獄」の熱が続けざまに腕を襲う。  この世に壊せぬものなどない。そんな感想を抱かせるほどの破壊の力が、真っ向から巨大な腕を襲っていた。俺も、アイーダも、自分たちで放った魔法の威力に恐怖すら覚えた。  ……地獄の嵐が止み、周囲にはひと時の静寂が訪れる。  その威力に周辺の地形は変わり、前が見えないほどの砂ぼこりが舞い上がる。そして、視界が晴れたその場所には……。  扉と腕は、何も変わらずに佇んでいた。 「嘘……だろう……」  膝をつく。  心のどこかで、何かが折れる音が聞こえた。  それを戦意と呼ぶのか、希望と呼ぶのかはわからない。けれど確かに言えることが一つだけあった。  ――この存在には、勝てない。  もう、勝つとか負けるとか、そういう次元の存在ではなかった。魔族も最初に見た時は存在の格が違うと思わされたが、この腕は、魔神ベル=ゼウフは明らかにそれ以上だ。  勝つことは不可能。逃げることもできない。なら俺たちに待っているものは……  ――死  絶望に、目を覆いかけた。その時――。 「ジーン。あなたはまだ、戦える?」  耳を疑う、とは、まさにこの時のために存在した言葉なのだろう。そんな風に思うほど、その言葉には現実感がなかった。 「……アイーダ……?」  彼女を見る。その顔を、瞳を。今なお立ち続ける、その姿を。  立っているのがやっとだろう。見ればわかる。足は震えているし、肩で息をして、その呼吸もひどく浅い。体力も魔力も使い果たして、気力だけで立っている。  どうして、立っていられる?  圧倒的力を目の前にして、持てる手札をすべて切って、それでも傷一つ与えられない相手を前にして、どうして立っていられるんだ。 「ごめんね、ジーン。先に謝っとく。私、もう戦えない。魔力は空っぽ、足もガクガクふるえちゃって、立ってるだけでやっとなの」  当たり前だ。むしろ立っているほうがどうかしている。現に俺は……、俺は……! 「――っ!」  ゴッ! と、音を立てて自分の眉間を思い切り殴る。指と、頭の真ん中に新しい傷ができた。けれど、痛みを感じた。体中の痛みが戻ってきた。今すぐにでも意識を手放したいほどの。けれど、痛みが戻ってくると同時に、体に巣食う恐怖が消えた。 「ああ、俺も似たようなものだ」  立ち上がりながら、答える。 「もともと魔力がない分、お前よりは動けそうだが、戦力にならないことには変わりない」 「魔法は?」  その問いに、首を横に振ってこたえる。 「だめだ。アレ、魔神ベル=ゼウフからは意思が感じとれない。ジョシュアが洗脳された時と一緒だ。きっと不完全な復活をしたせいだろう」  意思がなければ俺の魔法は無意味だ。どれだけ俺を信じてくれる人が隣にいようが、魔法の対象がこちらを見てくれなければ、それは変わらない。 「……そう」  アイーダが、何事か考え込むように下を向く。少しすると、決意を固めたようにその顔を上げた。 「なら、あれに意思を与えればいいのね?」 「なっ、そんなことができるなら――」 「できる」  俺の言葉に、アイーダは食い気味にうなずいた。その言葉は確信で満ちていたが、俺にはどうしても、それが信じられなかった。 「……理由は?」 「――言わないと、だめ?」  なぜかアイーダは言い淀む。 「当然だ。勝算がない賭けには乗らない」  きっぱりと言うと、アイーダは一度だけ、深く、深くため息をついた。 「……魔神に意思がないのは、不完全な復活だから。魔族の言葉を思い出しても、過去の魔神に意思があったのは間違いない」  アイーダの言葉にうなずく。ここまでは何の疑問もない。かつて魔族は魔神を頂点とした世界を築いていたと、確かに言っていた。ならば当然、完全復活した魔神には意思が宿る…………っ! 「お前はッ‼」  思わず、アイーダの両肩を強く握りしめる。  完全復活したら、意思が魔神に宿ったら、俺は魔法を使えるようになる。戦えるようになる。だが、魔神を完全復活させるということは、……つまり。 「そんなことッ、俺が許すと思っているのかッ!」  今までで、一番強い怒りの感情だった。  そんなものは作戦じゃない。ただの無謀だ。完全復活した魔神に俺の魔法が効く保証なんてどこにもないし、そもそも本当に意思が宿るのかだって確定していない。そんな、そんな状況でアイーダを犠牲にするなんて……。 「できるわけないだろうがッッ‼」  一瞬だけ、静寂が訪れた。けれど、その静けさを破るように、アイーダが口を開く。 「このまま逃げ続けても、いつか捕まる」 「だが、それはっ」  反論できない自分に嫌気がさす。 「ここで食い止めないと、被害はきっと広がっていく」 「だとしてもっ」  肩を握る両手に、どんどん力が入っていく。 「私にしか、できないことだから」 「っ、お前じゃなくてもいい! いつか、また完全適正者が生まれれば!」  言っていて、どんどん悲しくなる。情けなくなる。自分の言う言葉がどれだけ現実離れしているのか、どれだけ都合のいい話をしているのかわかってしまう。  そしてその分だけ納得してしまう。  アイーダの選択が、正しいのだと。 「お願い。――私に行かせて?」  優しい、まっすぐな瞳に撃ち抜かれて、俺は、きつく目をつむる。 「嫌だ! ――行かせたくないっっ‼」 「――――っ」  やわらかい、  ――やわらかい何かが唇を塞いで、  強く握っていたはずの手のひらから力が抜けた。  目を開けるとそこに彼女の姿はなく、  もう追いつけない場所に、その背中を見つけた。 「――……っ」  声にならない叫びが彼女に届くことはなく、  その背中は、黒く、暗い扉の中へと消えていった。 「っっ――あああああァァァァァァァァァァアアッッ」  扉から、黒い二本の腕が、胴が、足が、這い出して来る。言葉にできないほどの存在感を持って、俺の元へと這い寄ってくる。  俺は、それを見て、 「――――――――ッッ‼」  ただ声にならない叫びをあげることしかできなかった。  魔神が俺の元へとやってくる。  ああ、何の抵抗もできずに、俺もここで終わるのだろう。母のように、メイアのように、クイナのように、ジョシュアのように、そして――アイーダのように。  真っ黒い腕が伸ばされる。その手が俺の顔に触れ……。  ――頬をつたう涙をぬぐった。 「――っ」  見上げた黒い魔神に、先ほどまでの禍々しさは感じられなかった。 「――アイーダ、なのか」  その問いに、神は答えなかった。  けれど、その思いは十分に、伝わった。  ――ごめん、約束守れなくて。  ――ありがとう。俺を守ってくれて。  そして俺は、一つの魔法を唱える。  遠いむかし、アイーダから一度だけ教えてもらった、最後の魔法。 「――『L.claudere』」  黒き光が世界を覆う。  体から、あらゆる力が失われていく。  無音とも、轟音ともとれないあやふやな空間で、  一瞬とも、永遠ともとれるあいまいな時間を――。  生きているのか、死んでいるのかも分からない。あの魔法で、すべてが無に帰ったのかもしれない。何もわからない。何もかも、わからない――。  でも、もし同じ場所に行けたのならば、    そのときは、もう一度……。
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