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プロローグ
頭の中が追い付かない。ぼふっと背中が柔らかなスプリングに受け止められる。和也さんが私の腕に絡まってずり落ちかけていたトートバッグを取り上げて、床に置いた。
それから、私の両側に手を置き覆い被さるようにして天井を隠してしまう。
「ひゃっ」
その拍子にスプリングが揺れる。一瞬だけ目を閉じて、また大きく見開いた。ようやく状況判断が追い付いて、今、自分がベッドの上に押し倒されているのだと理解した。
しばらく、沈黙のまま見つめ合う。彼の顔は、笑っているけど目は真剣だった。しかし、これまでずっと紳士的だった彼に、まさかこんな暴挙に出られるとは思わなかった。
いつもと違う和也さんの様子が怖い。だけど、それを悟られないように大きく深呼吸をすると、私は出来るだけ冷静さを装って声を絞り出した。
「……あの」
「ん?」
「どうしてですか。離婚予定日には、予定通りに。そう言ってくれたはずです」
どうにか、身じろぎをして逃れようとする。
彼は、私の意思を尊重してくれたはずじゃなかったのか。確かにそう言ったのに。
目の前の黒い瞳に、飲み込まれそうになる。これほど近くでこの目を見るのは、もう何度目だろう。真っ黒で、見つめられるたびに、いつも先に逸らしてしまうのは私の方だった。
だけど今日は、それも許されそうにない。彼の片手が私の頬に添えられ、顔を背けることも出来なくなった。
「今日はその話をしに来たはずです」
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