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やまない雨はない。
あれほど暗く重かった雨雲は流れ去り、無情にも空は少しずつ明るみ始めた。
雨にかき消されていた街の喧騒が少しずつ音を取り戻していく。
結局、彼女の絵は完成しなかった。
しかし絵を見た彼女は少しほっとしたような、張り詰めていた何かが解けたような、そんな表情を浮かべた。
「私いつもこんな顔をしていたのね……。描いてくれてありがとう」
彼女の抱えていたものを、すこしでも絵に表せているだろうか。
「全部描ききれなくてごめんね」
男がそう謝ると、小さく首を横に振り彼女が口を開く。
「もうずっと雨の中に立ち止まっていたの」
そして、ふと顔を上げると彼女は真っ直ぐな目で男を見つめた。
「この絵……私にゆずってくれないかしら?」
「えっ。いや、でも…」
手渡して大丈夫だろうかという思いと、手放したくないという思いが男の中でぐるぐると回る。
男の一瞬見せた迷いを見逃さなかった彼女は、髪に手を当てカンパニュラの髪飾りを外し男に差し出す。
「これは私の戒め。差し出せるのは、これくらいしかないのだけれど」
彼女は男の手のひらに髪飾りをそっと置いた。
なんとなく、彼女はもうここにこないだろう。そう直感でわかった。
「……充分だよ」
髪飾りを壊さないようにそっと胸にしまうと、男はできるだけ明るい声で告げた。
「仕方ないな。この絵気に入ってるけど、お代をもらっちゃったからには譲るしかない。雨は止んだけど、濡らさないように気をつけてね」
手渡した絵をゆっくり眺めた彼女は、男と目が合うと、初めて少しだけほのかな笑みを見せた。
「……ええ、もう雨の中を歩くのはやめるわ」
男が渡した絵を大切に抱え、彼女は店の外へ去っていった。
雲間から差し込む光が眩しくて、すぐに彼女を見失ってしまう。
男が話しかけなければ、彼女はこの先もあの雨の窓辺で外を眺めていただろう。
きっと二度と会えないと思うけれど、男に不思議と後悔はなかった。
少しばかり感じる淋しさは、炭で描いた線のように時間とともに薄れていくだろう。
外はもう青空が見え始めていた。
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