9-1

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 その日の午後五時を迎えた。  数人が帰ろうとしていた。松田の爺もまた。  睦月は、いや、俺はもう正之と内心では呼んでいた。いつも彼の姿を見ると、女装姿に脳内で変換するのだった。そんな原石のような正之を眺めるのは心が躍った。じつのところ、正之にインデザインやフォトショップの使い方を訊かれると、俺は身体を彼の身体に密着させた。  いつかはこうなるのではと危惧していたことが現実になってしまった。  松田の爺が入っていった給湯室に、正之が続いて入っていったからだ。  このクソジジイは必ず定時で帰宅する。それはべつにいいのだが、松田は自分がオフィスの主であると思い込んでいるらしく、定時に上がる際、自分がもう使わないポットのコンセントを抜いてから帰るのだ。  当然、まだ残って仕事をしている連中もいるのでふざけた真似なのだが、なぜかこれに固執しており、ポットのコンセントをその場でまた接続させてインスタントコーヒーなど飲もうとすると、「おめぇはちゃんとあとでコンセントを外すのか、火事になったらどうするのか」と大声でなじるのだ。  正之に松田の爺の件は教えてやったが、このポットの件は言い忘れていた。と、同時に給湯室から松田の爺の怒鳴り声が響いてきた。 「どうして人が抜いたコンセントをまた繋げるんだ、バカなのかあんたは! なにかあったときはあんたの責任だぞ」 「大丈夫です、そのぐらいはできます」  と、あとから正之から聞いて、話を補完するとこういったやりとりだったのだという。俺の机からはリアルタイムで聞けなかった。ただ、オフィス内にも漏れて響きわたる罵声を録音したのはいうまでもない。
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