第三章

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グラスを片手にキミは流暢に今の現状を語る。昔は全然お酒も飲めなかったのにな、なんて思いながらボクはうんうんと相鎚を打つ。しかし聞けば聞くほどに今のキミがボクに会いたくなった理由が分からない。ボクとは違って、キミの生活はとても充実しているように思える。今のキミの中には、ボクなんかが入り込む余地がないくらいの沢山の楽しいが詰まっているのに。今のキミは一人で何でもできそうなのに。 「あーなんか懐かしいな、この感じ」 と会社の愚痴を織り交ぜた近況報告を一通り終えたキミは腕を上に伸ばしながらつぶやいた。 「そうだね」 「昔もこんな感じで話してたね」 「ずっとキミが話してばっかりだったけどね」 「だって話しかけないとあんまり話してくれなかったじゃん」 「確かにそうだったけど…」 ボクが頭をポリポリ掻きながらそう言うと、彼女はいたずらっぽく笑ってみせる。それを見て、ボクも微笑む。かなわないなあと思った。そして、キミは新たなタバコに火をつけて、ふーっと煙を吐いて一言。 「あの頃に戻りたいなー」 頭が真っ白になった。キミは今なんて?あの頃に戻りたい?なんで?少しの間沈黙が続いた。向かいにいる店員さん同士の会話、反対隣りに座る上司と部下と思しきサラリーマン二人組の上司の説教等、色々と騒がしいはずの空間でボクら二人が座るカウンター二席だけが沈黙の中にいた。まるで別世界にいるようだった。その沈黙を破ったのはキミだった。 「なーんてねー」 照れくさそうにキミは笑う。 「ちょっと久しぶりに会って、楽しかった時のこと思い出しちゃった。ごめんね、変なこと言って」 そうキミは続けて、両手を自分の顔の前で合わせて謝るポーズをしてみせた。 ボクも何か言わなければと思い、とりあえずキミの発言に乗っかろうとした。 「ほんとだよ。びっくりしちゃったよ。あの頃になんてもど…」 ”戻りたくない”そう言おうとして、口が止まった。キミの目を見て、あの頃を思い出す。お金がなくて、なにもなくて、でも楽しかったあの頃を。 なんとなく香水のにおいが強くなった気がした。 「どうしたの?」 急に黙り込んだボクを心配そうに見つめるキミにボクは 「いや、戻りたいな。多分楽しいと思えたあの頃に」 と言った。
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