靴を修理する男

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   販売員たちは羨ましさ半分、悔しさ半分の眼差しで彼を見つめてた。  売り上げナンバーワンの男、松本が今日も飛ばしている。  カウンターにお買い上げの決まった商品が山と積まれていた。  二十万クラスの背広が四セット。その他に替えズボンやワイシャツ、ネクタイなど細々としたものが含まれていた。  店の隅では松本の快進撃に、若い販売員たちは嫉妬の眼差しを向けながら、こそこそ囁きあった。 『あれは百万コースだ』 『まだ勧めるって、相変わらずヤツだ』 『とことん搾り取るつもりだぞ』  手柄を根こそぎ持っていかれるさまを、彼らはただ見ているしかなかった。  そんなやっかみを尻目に松本は、スマートな身のこなしで新色のポロシャツを広げている。鮮やかなオレンジ色はゴルフコースのグリーンによく映えますなどと言ってすすめていた。  客の名は長谷川修一といった。不動産やフランチャイズ事業を展開する経営者だ。紳士用品を取り扱う“First Clothing〈ファースト クロージング〉梅田店”のお得意様だった。  松本がトップセールスマンでいられるのは退社した先輩販売員の顧客を、そっくりいただいたからだ。職場の定着率はけっして高いとはいえない。店舗間の人事異動も頻繁にあるため、五年間同じ職場にいる松本は他のスタッフより有利だったにすぎない。  要領よく顧客の名前と顔、サイズを覚えていた彼は、したたかにも誰よりも早いアプローチで自分の名を売り込んだ。今や、自ら開拓した客より、先輩から引き継いた顧客の方が多い。  したがって、他の販売員から松本への不満が噴出していた。    だが、東京から転勤してきた店長は、要領のいい松本を買っていた。店の売上をアップさせるために、多少のいざこざは目をつぶる。社員たちの不満を見なかったことにするのが、彼の常套手段だった。   こんな状態の店が居心地がいいわけないのだ。ふらりと入ってきた客に、販売員がついて回る。何か買わなきゃいけないという圧に、慌てて店を出る者も少なくなかった。  そんな中、べテラン社員の鈴木は、一人マイペースに仕事をこなしていた。  この時間、鈴木が接客していたのは、買い替えのシャツを選びにきた営業マンだった。医療機器メーカーに勤める彼は、どちらかというと買い物は二の次だった。たまの休みに鈴木を目当てに喋りにきていたのだった。   小一時間、経済や時事ネタなどで盛り上がり、話題はようやく買い物へとたどりついた。 「鈴木さん、実はね、来月に東京出張があって、なんとアメリカの偉いさんの前でプレゼンしなきゃならなくなってさぁ、ネクタイとか、どんなのしめたらいいと思う?」   「それは大役、西田さんの腕の見せどころじゃないですか」鈴木は話しながら、頭の中は西田が今まで購入したネクタイの色柄を思い浮かべていた。 『良き販売員とは顧客のタンスの中身を判っていなければならない』  鈴木が新人のころ、先輩から教わった言葉だ。 「お持ちじゃない赤系なんかどうです? それとも、西田さんの会社、赤色はNGなんですか?」 「赤ね、会社は問題ないけど、僕に似合うかな?」 「似合いますとも。西田さん普段ダーク系スーツが多いから赤は似合いますよ」鈴木は言い切った。「それに、赤いネクタイはパワータイといって、アメリカの政治家や実業家が、いざ勝負という時につけていますからね、きっと会社にくるアメリカからのお客さんにも馴染みのある色かと思います」 「ああ、なるほど。大統領選なんかの映像は確かにそうだ」   「いざ、勝負するなら、僕は赤をおすすめします」  
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