靴を修理する男

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 結局、西田はワイシャツの他に、鈴木が提案した赤いネクタイも一緒に購入し、機嫌よく帰っていった。  鈴木は今年で三十五年目のベテラン販売員だった。百貨店から移動してきたばかりで、梅田店に来てまだ日が浅かった。西田のようにデパート時代の顧客も訪ねてはきたが、できるだけ新規のお客を増やそうとしていた。  若い客層にはサラリとした接客を心がけ、老練の常連さんには丁寧に、服好きのマニアに向けてはこれまで得た知識を披露した。  鈴木が接客を終えて、ネクタイの後片付けをしていると、店長の工藤がすっと横に並んだ。 「鈴木さんまさかと思ったけど、あのお客さんをシャツとタイだけで帰したの?」  ようは一客の単価を上げろと言いたいのだ。 「あれ以上、無理にすすめてもね、来にくくなったらもともこもない。次に繋げてこそ客数が増える」鈴木は反論した。 「鈴木さん、今の会社の経営方針、判っていますよね? ベテランであろうが売れない販売員は店のコストなんですから、そこんとこよろしくお願いしますよ」  工藤そう言い残すと、柱の陰でこそこそやっている販売員を睨みつけ、昼食をとるため店を出た。  ゴールデンウィーク明けの日曜日。店の予算は高かった。工藤も本社からプレッシャーをかけられているのだから判らなくもない。  しかし世の中の働き方が変わってきている今、ビジネスカジュアルの浸透に伴い、スーツ産業は厳しいのが現状だ。  会社は売上の低迷から個人の売り上げを重視し、過度な競争を推奨するのだった。  鈴木はあと十年で定年を迎える。この先、あと何年、会社にいられるだろうと考える。  本来なら管理職になってもおかしくない年齢だったが、すでに同期はリストラされ、残った鈴木は出世の道から外れていた。  妻も、子もいない独身の身。背負うものは無いのだから、この先の自分の食い扶持(ぶち)くらいなんとでもなるかとも考えた。    
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