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松本が電卓をたたいていた。
買い物を終えた長谷川は、ソファにどっかり座り、携帯電話をかけている。
ところが、そこにもう一人、梅田店一番の顧客、白鳩製菓の社長が我が物顔で入ってきた。
予定のない来店に、松本の顔が一瞬ひきつった。スケジュールの詰まった重役ともなれば来店回数は半年単位だ。したがって、スムーズに買い物を済ませたいから、担当者に事前に連絡をよこしてから来店する。急な用向きなどは、秘書が飛んでくることもしばしばだった。顧客のブッキング。手抜かりのない松本にとって、これは予想外の出来事であった。
店一番の顧客はすなわち松本の一番のお得意様だ。加えて白鳩社長はせっかちで知られている。待たされることが大嫌いだった。
販売員だって休みはある。事前に確認がないのは、裏を返せば、どの販売員だって構わないということなのだ。
手の空いている者は多い。だが、誰も動こうとしない。
ここで出しゃばれば、後々松本から容赦のない嫌味が待っている。すすめた商品にケチをつけるのは目に見えていた。ましてや白鳩社長は口うるさいお偉いさんだ。入社年数の浅い若手が太刀打できる相手ではなかった。
したがって大口顧客を前にして、誰もが動けずに二の足を踏んだ状態になった。
様子を窺いつつ鈴木は乱れたポロシャツのたたみ直しをしていた。
店長は昼食に出ていて不在だ。
この状況に、さて、どうしたものかと店内を見渡す。若い店員がちらちらと自分を見ている。
やはり、ここは最年長である自分が行くべきなのだ。客のご要望を伺い、担当者に引き継ぐ。これがスマートだと考えられた。
松本は気に入らないだろう。けれどお客様には関係のないことだと、鈴木は腹をくくった。
ポロシャツを素早く陳列し、白鳩社長に声をかけようと動いた。
それと同時に松本も動いた。腰掛けている長谷川に耳打ちすると、鈴木のところへ慌てて飛んできた。
「すみません、会計だけ代わってもらえますか?」
なるほど、そうきたかーー
「いいよ」
「信用していますから先輩。後をよろしくお願いします」
頭を下げるが“信用しています”に含みをもたせている。
ベテランなんだからうまいことやってほしい。若手に任せないのはつまらないクレームを嫌ったからだ。
この男、基本的に人を信用しない。周囲を不愉快な気持ちにさせても動じない図太さは、いったいどこからきているのだろう。鈴木は理解し難いと思うのだった。
鈴木は長谷川の座るソファーまでいくと腰をかがめ、膝をついた。
「長谷川様、お待たせしました。松本に代わって、私、鈴木がお会計させていただきます」
長谷川は構わないよと言ったものの目は笑っていなかった。
支払いはゴールドカード。背広の修理は後日、来店での受け取りになった。
買い物を終えて長谷川が席を立った。お見送りする鈴木の靴にふと目をとめた。
「きみ、いい靴履いているな……それ、コードバンか?」
コードバンとは馬の革のことだ。エナメル質が美しく、ローファーなどの素材によく使われていた。
「コールバンクはご存じですか?」
「知っているもなにも、名品じゃないか。高いだろう?」
「いえいえ、二十年前に買いましたから、当時はまだ今ほど高くありませんでした」
玄関まで見送るはずが、靴談義に花が咲く。判ったのは長谷川は最近になって輸入靴に目覚め、集めだしたということだ。
話は梅田の高架下に出没する靴磨きの青年にまで及んだ。
「そら、いいことを聞いた。さっそく靴磨きに行ってみることにする。ーーところで、鈴木さん、靴の修理ってここでも頼めるのかな?」
店でも輸入靴を扱っていたから、出入りの修理業者と契約を交わしていた。
「状態によりますが、修理は承りできます。一度、持ってきていただけますか?」
鈴木は笑顔で答えた。
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