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     *  昼飯ってこれかよ、とタツヤは切り売りピザを見た。 「立派な飯だろうが」ホルヘはカップのコーヒーも運んできて、広場のベンチに座った。  それ以上に文句は言わず、タツヤもピザをかじった。 「あんたに聞きたいことがあるんだよ。ギンベラ氏と何とか話ができないかな」  タツヤは眉を寄せた。 「あの礼を言いたい人の話か? まだ付き合ってんのかよ?」 「いろいろあってな」 「大変だな。でも頼る相手を間違ってるだろ。一国の大統領に俺なんかが話をできるわけがないだろうが」  ホルヘは首を振った。 「違う、わかってるんだ。あんた、年代を考えても、ギンベラ氏と少年時代が重なってる。どっかで交差してるから知ってるんだろ? まったくの推理だけどさ」 「それは推理じゃない。妄想って言うんだよ」  タツヤはつまらなさそうに言った。確かに最高に美味いピザではないが、そんなにまずそうな顔をしなくてもいいだろうとホルヘは思った。 「手は尽くしたいんだよ。俺に残った手は、もうあんただけなんだ。ギンベラ氏がその人でなくても、一言声が聞きたいんだそうだ」 「演説を聞きに行けばいいだろう。今じゃインターネットで何でもダウンロードできるし」 「生の声が聞きたいんだ」 「無理だよ」  ホルヘはがっかりした。何とかしてみる、という答えが聞きたかったのに。 「リコとケンカしたのか? 契約が切れたとか何とか言ってたけど。そっちを何とか仲裁してやったら、俺に力を貸してくれるか?」  タツヤはホルヘを見た。薄笑いを浮かべているので、ホルヘはむっとした。 「俺には無理だと思ってるんだろう」 「いや、俺を誰だと思ってるんだろうと思って。相手は大統領だぞ。ちょっと電話して話してみるってわけにはいかないだろうが。もし例え、子供の頃に知り合いだったとしても無理だ」 「大統領就任おめでとうぐらい言ってもいいんじゃないか?」 「俺には無理だね」 「じゃあつなぎでいい。お礼が言いたい人がいるって」 「ギンベラ氏じゃないかもしれないけどって? そりゃ無茶だよ」 「じゃあどうしたらいいんだよ?」  ホルヘが言うと、タツヤはピザをむしゃむしゃ頬張り、コーヒーで流し込むように飲み込んだ。 「お礼を言ったところで、何が変わる? 相手が満足するとでも? それで政治が変わるとでも? 変わらないだろうが。心配しなくてもギンベラ氏はちゃんとコロンビアを立て直すだろうよ」  ホルヘはうなずいた。 「ただ、彼女は愛国心が強いんだ。もし、これはありえない話なんだけど、もしも彼女を救った人がギンベラ氏なら、国に帰って再建する国を見たいと思っているそうだ」 「ありえない、って何だよ」 「彼女を救ったのは、死んだとされてる人間らしいからだよ。『エルニーニョ』って聞いたことあるだろう?」 「ああ」タツヤは記憶をたどるように空中に視線を泳がせた。 「あんたなら、知ってるだろ? 当時のうわさ。何でも天使と悪魔両面を持ったみたいな奴だったようだな。ルイザにとっては天使だったみたいだが、実際はゲリラ軍の兵隊だ。政府側の人間を虐殺してた」 「それがギンベラ氏だと?」 「違うのはわかってる。でもさ、タツヤ。ちょっと考えてみてくれ。もし、ルイザの言うとおりだったら? それはすごいスクープになる。俺は一躍…」 「抹殺されるぞ、あんた」  ホルヘは目を丸くした。「どうして?」 「記者として、って意味だよ。『エルニーニョ』ってのは国際手配もされた奴だぞ。それが大統領だって言って、誰が本気にする? 第一、ギンベラ氏本人が死んだって証明してるものを、そんな亡命した老人の一言だけを信じて記事にしたところで、誰も信じないからさ」 「まぁな…他にも証拠は必要だろうな」 「そのルイザって人も非難されるぞ。祖国に悪いイメージを抱かせたって。『エルニーニョ』ってのは、あんたにはわかんないだろうけど、コロンビアじゃ反応が複雑なんだ。死んだって聞いて喜んでる人のほうが多いんだから。もう今じゃ口にする人もいないだろうよ」  タツヤが半ば憎々しげに言うので、ホルヘは彼を見た。 「なぁ、あんたの両親が殺されたのも、その『エルニーニョ』ってのにやられたのか?」  そう言うと、タツヤはホルヘを見返した。その視線には棘があったので、ホルヘは答えなくていいと断ろうかと思った。 「そんな感じだな」  タツヤが先に答え、ホルヘは唇を噛んだ。 「すまん、悪いことを聞いた。そんなつもりじゃなかっ…」 「コロンビアには、そういう奴が山ほどいる。名前を出すだけで、あんた、本当に殴られるかもしれないぞ」 「いや、ルイザに聞いた話では、教会を守ろうとしたり、農民を助けたりもしたって言うから」 「別人じゃないのか?」  タツヤが言って、ホルヘは息をついた。タツヤが『エルニーニョ』を憎んでいるなら、このスクープに協力は望めなさそうだ。『エルニーニョ』の美談なんて、彼は聞きたくもないだろうから。 「その、ルイザって言う人、もう忘れたほうがいい。礼を言うなんて、相手も期待してやったことじゃないだろうに。礼がほしかったら、自分の名前ぐらい言うさ」  ホルヘはうなずいた。彼女も聞いたと言っていた。でも答えなかったと。 「これ、ありがとう。もらっていく」  タツヤがファイルを取って、ベンチから立ち上がった。 「ああ。リコとはどうするんだ?」  ホルヘは歩き出そうとするタツヤの背中に聞いた。 「たぶん、もう会わない」  タツヤは振り返って答えた。 「タツヤ、言わないでくれって言われてたんだけど…」 「じゃあ言うな」 「マリアが泣いてた。あんたが、ある時から頼ってくれなくなったって。それは、自分たちがあんたを諦めようとした時だって。後悔してた」  タツヤはホルヘをじっと見た。 「聞かなかったことにする」 「聞いてくれよ。俺は友人じゃないかもしれないけど、リコとは友人だろ? もう一回、心を開いて話をしてみろよ。マリアもリコも、あんたをちゃんと迎えてくれるからさ」 「聞かなかったことにする」とタツヤは踵を返した。 「おい、聞けってば!」  ホルヘはタツヤを追いかけて行って、前に回り込み、服をつかんだ。 「いつまで戦争孤児の影をひきずってるつもりなんだ? 相手をちゃんと見て、つきあってみろよ。うわべだけの付き合いばっかりしてないで。怖いんだろ? 本当の自分を知られることが。そんなのな、誰でも一緒なんだよ」  タツヤはホルヘを睨んだ。そして自分の襟をつかんでいるホルヘの手を、ぐいと押しのけた。 「俺に触るな」  ホルヘはその口調に少しだけひるんだが、すぐに気を取り直した。 「うるさい。悪ぶるのはよせ。リコもそういうのに嫌気がさしてるんだ」殴られたくないから、今度は口だけで言った。 「だからもう会わない」  タツヤは他に何も言わせないという態度で断言した。 「俺が戦争をひきずってるのは認める。それが日常で普通だと思ってた。それが戦争だってことを知ったのは、そこから抜け出した後だ。そんなことを理解しろっていうのは、あんたらには無理だろうが」  タツヤはそう言って、歩き出した。  ホルヘはしばらく反論できずにタツヤが小さくなるのを見ていたが、思い立ってその背中に声をかけた。 「リコもこうやって怒鳴られたいんだよ!」  おまえにはわかんないだろうけどさ、とホルヘは思った。
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