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部屋の中で「何か」が起こった事は一度もなかった。
スマホが自分の番号を着信するのも、部屋の中ではない。
いつもこの部屋のドアの外だ。
そう考えると部屋の中では少し落ち着ける様にはなったが、出る時と入る時は恐怖で身体が震える様になっていた。
引っ越そうかとも考えたが、裕福ではない家庭だし、バイトを減らしたこともあり仕送りを少し頼んでしまった。
大学の間は辛抱するしかない。
きっと気のせいだと、雪絵は自分に言い聞かせていた。
九月に入り、警戒しながらドアの前に立つ日々は続いたが、あれ以来、おかしな事は何もなかった。
(やっぱり気のせいだった。働き過ぎて疲れてたんだ。大学にバイト、サークル、無理は良くないね。)
そんな風に考え始めて、気持ちが晴れて来た頃、大学の夏休みも残り僅かになり、バイト先の送迎会に参加する事になった。
九月のその日は雪絵の誕生日でもあり、それを知ったみんながお祝いしてくれる事になった。
「もうお酒解禁だな?ちょっと飲むか?弱いやつな。」
副店長に勧められて、初めてのアルコールを口にした。
楽しい時間を過ごして、アパートの前に来た時には二十二時を過ぎていた。
弱いチューハイを一杯だけ飲んで、ジュースみたいで美味しかったし、酔っ払ったりもしてなかった。
いつも通り、鍵を右手に握り締めて、左手にスマホの明かりを点けて準備万端で部屋の前に立った。
鍵穴に鍵はスマートに入る。
ホッとして鍵を回すと、左手のスマホが振動し音を鳴らした。
ビクッと反応して、時間が時間なので慌ててドアを開けながら電話に出た。
母からだと思っていた。
「もしもし?お母さん?」
電話はなんの反応もしない。
「お母さん?」
母は誕生日だから電話をしてくれたのだと思っていた。
「もしもし?お母さん?」
ドアを閉めようと、後ろ手にドアノブを引いた時、声が聴こえた。
『………にげ、て。』
「えっ?」
思わず慌てて思いっ切りドアを閉めて鍵をかける。
下ろしたスマホを持つ手を、もう一度耳に充てた。
「もしもし?どちら様ですか?」
『…………逃げて。逃げてぇ。ツーツー。』
絞り出すような声が耳に残った。
ゾッとした。
女性の声だった。
誰から、何から逃げろというのだろうか。
もしかしたらあの見えない何かから?
「ま、間違い!うん、間違いだよ。」
そう思い、部屋の中に入り鞄を置いた。
電気を点けて、気持ちを落ち着かせて改めて着信を見る。
「間違い……………。」
着信履歴には雪絵の電話番号が表示されていた。
ーーー通話時間、四十六秒ーーー
雪絵は青い顔でその場に座り込んでいた。
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