1.選ばれた側の話

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1.選ばれた側の話

 俺は一目惚れという言葉が嫌いだった。  ロマンチックな風を装っているが、相手のことを何も知らないのに好きになったというのは、要は外見だけで判断しているということではないか。  そんな捻くれた考えの持ち主だったので、バイト先に新しい同僚として稲葉卯月さんが入ってきた時、俺は湧き上がってきた自分の感情を素直に受け入れることができなかった。  まあ、つまるところ、彼女に一目惚れしてしまったのである。  卯月さんは、少し間延びした話し方も色白の肌も暗い茶色に染めたシニヨンの髪もどこか気弱そうな笑みも……とにかく、何から何までまるであつらえたかのように俺の好みに合っていた。  しかしながら、前述の通り俺は一目惚れというものを嫌悪していたので、極力その気持ちを表に出さないよう努めた。そしてあくまでもバイト仲間として彼女と接しながら、根拠を探した。  やはり一目惚れなどというものは間違いであり、よくよく人となりを知ってみれば、彼女は俺の好みに合ってなどいないと判断するための根拠を。  あるいは逆に、一目惚れしてしまったことはいったん脇に置いたとしても、彼女の人となりをよく知った上でやはり俺は彼女が好きなのだと判断するための根拠を。  俺がこんな面倒くさい性格になってしまったのには、それなりの理由がある。  死んだ俺の親父は、いわゆる軽い男だった。  独身時代は二股三股が当たり前で、ちょっと可愛い女の子がいると見るや、その時自分に交際相手がいようがいまいがお構いなしに手を出したそうだ。  結婚してからもその悪癖は治らず、俺が生まれる前は外に愛人を囲っていたらしい。俺が生まれたのを機にその愛人とは別れたそうだが、子供が生まれたからといってそうそう人間性が変わるわけもない。一時は控えていた火遊びも結局、俺が小学生の頃には再燃していたようで、子供心にもそれは察せられた。  うちの家はいわゆる名家で尚且つ事業もうまくいっており、全国レベルではさすがに無名だが、地元ではちょっとしたセレブといっても間違いではない。  そんな家に嫁いできた庶民出身のお袋は、親父の親族からは金目当てではないのかと白い目で見られ、立場が弱かった。結婚してから最初の子供である俺が生まれるまでに随分と時間がかかったこともあり、昔は『こんな石女とはさっさと別れるべきだ』などと時代錯誤なことを言い出す親戚すらいたらしい。  俺が生まれてからはそこまでは言われなくなったものの、立場の弱いことに変わりはなかった。  そういったわけで、お袋は親父の女遊びに気がついてはいても、ろくに文句も言えず、涙を呑んで耐え忍ぶしかなかったのだ。  お袋が何も言わないのを良いことに好き放題やってきた親父だったが、そんな生き方をしてきた報いというべきか、一昨年、当時つきあっていた愛人に刺されて命を落とした。それを知った時のお袋は、悲しむよりもむしろどこかほっとしたようだった。  俺は家族を泣かせ、殺されるほどの恨みを買い、死んだ時に安堵されるような生き方をしてきた親父を心底軽蔑した。そしてその時、けっしてああはなるまいと心に誓ったのだ。  大学入学を機にこの春から地元を離れて一人暮らしを始め、生活費の少なくとも一部くらいは自力で稼ごうとバイトを始めたのも、家の金にものを言わせて放蕩を重ねていたという若かりし頃の親父を反面教師としたためだ。
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