三年後、大人、鍵のかかった部屋

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三年後、大人、鍵のかかった部屋

「なあ」 「あれ、珍しいね、ピストルスターから来るなんて」 「いやだって」 こういうことをちゃんと教えてくれそうなのはこいつしかいなく、散々渋ったが結局ギャルもどきのところへ来たのだ。アムカも乙女も『知らね』のひと言だし、オトモダチも『そういうのは見つけた人が、っていう暗黙のルールだもんな〜』と言うし、小四の自分にいろいろ押しつけるのもどうかと思い、結局こうなってしまった。 「アパート一軒増えてんだけど」 「へえ! 確かにピストルスターが来て三年くらい経ったんだっけか。じゃあ高卒だね。今度来るのは誰だろ」 「で? オレは何をすべきなの」 高校時代、坂口香乃が捨てたのはどうやらオレだけだったらしい。現実の坂口香乃が高校時代、どんな日常を送り、小方と、昂希と、どうなったのかオレが正確に知る術も、必要も、無いのだが。 「すべきっていうか、新人さんを家に案内すればいいんじゃない?」 「この島の正体は?」 「それは本人が探すものなんじゃないかなあ」 「今更だけど、それは決まりだったの?」 「暗黙のルール、ってヤツ?」 なんとなくか。何せこの世界の管理人は坂口香乃。ひょい、と肩をすくめた。 「じゃ、いってらっしゃーい」 「はいはい」 アパート、ということはそこまで大切にされているわけでもないのか。まあ、本当に大切なものはここへ来ることなどないのだろうが。 自分の三年後か。会いたいような会いたくないような。複雑な思いを胸に、南へ向かった。頬にあたる風が生暖かい。今度来た自分に会ったら、オレはとても傷つくのではないか。何故かそう思った。 一人ぽつねんと座る背中が見えた。背中と髪に草が付いている。遠くからでもわかる、その哀愁漂う背中を、オレはしばらくじっと見ていた。空はぼんやり霞みがかっていて、柔らかい影を落としている。 「……髪、伸ばしてないんだね」 彼女がゆったり振り向いて、目を大きく見開いた。 「言っとくけど、夢じゃないからね。ドッペルゲンガーだと思うなら思えば」 彼女は変わっていた。ストレートパーマのせいか、コンタクトのせいか、はたまたもっと立派に施すようになったメイクのせいか。それとも、全てに疲れたような表情のせいか。でも、その表情には見覚えがある。いつか、鏡の中に見た。 「……夢だか、ドッペルゲンガーだか知らないけど」 七分丈のゆるりとしたブラウスから覗く腕に刻まれた跡は、遠くからだとわからないまでになっている。オレの声は変わっていない。いや、歳を重ね、より一層似たかもしれない。あの人に。 「とりあえず、ここ、いいとこだね」 「……うん、実際いいとこだと思うけど」 彼女はドッと寝転んだ。草をむしって、宙に放った。草はハラハラと落ちて、彼女の顔にかかる。 「家。アンタの家、案内する」 「……あっそう」 彼女もまた、オレと同じようについてきた。彼女は、誰だろう。 「…で?」 「で。」 彼女が聞きたいであろうことはありすぎて、どのことかわからない。まあ、その全てなのだろうけど。 「ここの正体は自分で探すもんなんだと。」 「…へえ。てか、なんかその言い方、昂希に似てる。懐かしい。」 言葉が、どこかへ消えた。 そりゃそうだ、あれほど側にいたのだから。あれほど彼を想ったのだから。似るのは、もはや仕方がない。でも、三年後の自分が見てもわかるほど、オレは昂希に似ているのだろうか。 「…昂希は今、」 「昂希?ほんっと時々しかやりとりしないけど。大学合格したってよ。」 現実にいる今の昂希は想像もつかない。自分の中にいる昂希ですらあやふやなのだから。昂希はもう昂希じゃない。 「会ったりすんの?」 「中学の体育祭行った時ちょっと会ったくらい?何、そんなに気になんの。」 ひょい、と肩をすくめた。 「小方は?」 「アイツ県外。ってもそんな遠くないけどな。ほら、アイツ頭いいから。」 「そんなの知ってるよ。で?医者、なるの?」 「なるんじゃない?」 「うわあ。」 両親共に医者の彼女は、自分もなんとなくそうするというようなことを言っていたが。なってほしくないというのが正直なところ。患者がかわいそうだ。それに、小方にはもっと合う仕事があると思う。もし小方がいい医者になれるというなら、大きく変わったのだろう。それはオレがよく知る小方千花子ではない。きっともう既に、オレの知る小方千花子ではなくなっているのだろうが。 「…なんか、懐かしい。」 「何。」 薄いストッキングに包まれた脚をちゃぶ台の下でゆらゆらしながら、彼女は遠くを見つめている。今は使っていないが、コンシーラーを使うようになったのだろう、目の下の濃いクマがない分、疲労が隠されているようで、逆に目の暗さが滲み出ていた。化粧でいろいろなものは隠せるはずなのに、目は隠せていない。隠せないところだけが浮いてしまう。自分の将来の姿は、特別予想から大きくそれているわけではなかった。 「なあ、私、捨てられちゃった系?」 私。 「こういう世界、ちょっと憧れてた。自分が作る、自分だけの世界。あの小説の世界も好きだけど、自分だけの世界が欲しかった。ここって、そういう感じ?私は捨てられるべきだと思ってたから。」 ただ、晴れ晴れとしている。 ここへ捨てられたことを、なんとも思わないのでもなく、諦めるのでもなく、疑問に思うのでもなく、現実を悲しむでもなく、現実を羨むでもなく。彼女は、捨てられたことを喜んでいる。 「アンタは誰?」 「失くしものは見つかりましたか、じゃなく。」 「オレらはみんな失くしものでしょ。ここではそういう自己紹介なんで。」 「ガキのくせに上から目線ウザい。」 大人の余裕、とでも言いたいのだろうか。冷蔵庫から缶ビールを出し、ストッキングを無造作に脱ぎ捨てた。 「ガキって、アンタも十八でしょ。」 「十八はもう成人ですー。成人式しましたー。ビールだって飲めるんですー。」 ああ、そういえば。オレらの代から十八で成人になるのだった。飲酒解禁年齢も十八に下げられたらしい。 「成人式行ったの?」 「行ってない。みんな来いって言ってきたけど、めんどいから行かなかった。だって三学年同時だよ?だるいって。」 中学校ひとつ分じゃないか。それはだるい。行かなくて正解だろうな、と思った。 「でもさあ、成人なんて表向きだけでまだまだお子ちゃまでしょ。『大人』には程遠くないですかね。」 「どの口が言ってんの。」 ゆらり、とオレも立ち上がった。足が痺れてしまいそうだ。冷蔵庫から同じようにビールを取り出す。 「成人とかアレでしょ、年金とかの税金納める人増やすためだけじゃん。どうせ十八なんてみんなほとんど大学なのにさ。」 「ド正論かよ。つか、お前酒飲む気?」 「悪い?ここじゃなんだってできるの。オレは三年前から飲んでるから。…どうせもう成長とかしねーんだし。一生十五のままだし。大人になったらやりたいこと、なんて、もうほとんどしちまったんだよ。」 大人になっていくことに伴う責任も、楽しみも、ここへ来てしまえばもうありゃしない。そこで止まってしまうのだから。オレは一生、必要なものは全て勝手に提供されるこの世界で、子供のままだ。もう誰かに何かを与えることなんてできやしない。もらってばっかり。もうオレは一生大人になんてなれっこない。 「これって夢じゃないんだよね。」 「そう言ってるでしょ。」 それからお互いカクテルを作ってみせた。 「何それ。」 「ナップ・フラッぺ。」 「星は君、月は僕、か。」 「あぁ、カクテル言葉。」 「何が言いたいのって思うんだけど。キールの『最高の出会い』みたくわかりやすいのにしてほしいんだけどね。」 「コンクラーベ作った奴がよく言うよ。『鍵のかかった部屋』のほうがもっとイミフだから。しかもそれノンアルでしょ?」 「一応未成年なんで。」 でも言ってみれば、ここは確かに『鍵のかかった部屋』だ。何をどうしても、外から鍵を開けてもらわない限り、出ることができない。いつか誰かに、開いた扉が現れることはあるのだろうか。オレの前には?現れないだろうな、と言うより、現れて欲しくない。だって、そうだろう?たまにしか交わさないメールでしか繋がっていない。オレはもうフられている。そんな女に三年も経ってどうして関わる状況ができるだろう、と思う。それにオレは昂希の一番にも、ヒロインにもなれやしない。いつだってどんなことだって、オレはいつも二番目以降だ。ほんの些細なことも。ほとんど変わっていないように見える眼鏡の変化ですら、気づいたのはオレが二人目。だから昂希は、こんなポッと出の女なんかじゃなくて。その一番の人と、幸せになればいい。オレは、その幸せを願えないけど。 コンクラーベは、苦くもないし、頭を朦朧とさせもしない、ただ牛乳の甘ったるさが舌にまとわりついていた。 彼女の家を出て満点の空を見上げた。 「…アイツ、誰だったか結局聞けてないな。」
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