オトモダチ、29日、割り切る

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オトモダチ、29日、割り切る

海から帰ると、ポストに何か入っていた。何のためにあるポストなのだろう、と思っていたが、使われる時が来たようだ。誰からだ、とひっくり返すと、懐かしい字で、 オトモダチ とだけ書いてあった。オトモダチが何の用だ、と中の手紙を読んでオレは。 彼女は確かに南の海にいるのだと知った。 なんとなく慌てて家を飛び出したが、そうしたからとて何が変わるわけもない。 南の海の家で、ラジオからする曲に耳を傾けた。 「……ピストル」 「……ピストルで切んないでくれる?」 アムカが海に来た。そして同じように海の果てを眺める。 南の海の先に現実があるのか。それはわからないし、この島は坂口香乃自身の心の中にあるのだから、きっとそんなことはないんだろうけど。それでも南の海の先を眺めてしまう。 「……拾われたんだな」 「そう書いてたな」 いや、厳密に言えばオトモダチは今もこの島にいる。それでもオトモダチは、もはやオレが知っている、今までここにいて、共に過ごしたオトモダチではない。現実の坂口香乃がこの世界から拾い上げたのは、奪い取ったのは。 ピストルスターへ どうやら私は今日拾われるようです。なので今、こうしてみんなに手紙を書いています。とても急いでいるので、文のまとまりがないことは許してください。 私の全てが拾われるわけではありません。朝起きたとき、そのことがふ、と頭に入ってきました。そして、戻るのは愛想笑いだけだと言うことも。 自分が私を捨てたことを恨んでいるわけではないけれど、どうして今更、と思いました。新しい人が来たばかりなので、何か関係あるのではと思って聞いてみると、姉ちゃんの結婚式は来週だそうです。それで分かりました。きっと姉ちゃんを笑って祝福するためでしょう。 私が拾われてしまうことはもう免れられません。私はもう今までみたいに笑わなくなるけど、残った『人を信じる気持ち』とお付き合いください。 ここまでは皆同じことを書いています。ここからはピストルスターにだけ書くこと。 ピストルスターは、愛想笑いは無意味で、自分を辛くすると言った。確かに思ってもないのに笑うのは辛い時もあるかもしれない。でもそうしたら、人間関係もっと円滑に進むと思わない? 嫌味のつもりはなかったけど、それっぽくなっちゃった。 私ピストルスターと花火が見れてよかった。楽しかったよ。きっと拾われたら、ここでのこと全部なくなっちゃうんだろうけど。 私が拾われることで坂口香乃の人生が、少しでも良くなることを願ってください。今までありがとう。 オトモダチ 昨日夕方にオレが見たのは確かにオトモダチの一部だったのだ。 「あの子、帰ったんね」 みんながみんな、手紙を手に南の海に集まった。今この島にいる七人中六人。アムカ、ギャルもどき、乙女、小四、ねーちゃん。本人以外みんな集まっている。前こうして大集合したのは花火以来だろう。今まで、毎年毎年、ここで花火を見た。でも、今オレたちが見ているのは……一体何だろうか。 オレはきっとここにいる誰よりも、オトモダチと噛み合わなかったのだろう。ギャルもどきは嫌いすぎてもはや可哀想な位だ。可哀想というあまり好きではない言葉を当てはめてやる。乙女ともそりが合わないけれど、それはそうだ。好きな人が違うのだから。オトモダチとオレは、考え方が徹底的に離れていた。人を信じ、生きるために笑うオトモダチ。人を信じず、生きるために笑わないオレ。表面上は多分そこそこ良い関係に見えるのだろうけど。でもオレたちは、ノートの罫線のように、どこまでも交わらない者同士、その距離を保っていた。 「どこ行くんだよ」 「別に」 一人、立ち上がって海から離れた。本当はみんなわかっているだろうに。本当はみんなそこに行きたくて、でもなんだか怖くて。でも誰か行ってしまったら、他に何人も行くのはおかしいとわかっているから、早い者勝ちだと、それもわかってるのに。勇気が出ない。無理に自分の身体を動かして、海から離れていく。なんとか金縛りから抜け出す。その金縛りの呪いをかけているのは、自分自身に他ならないのだが。 「誰から来るかと思ったら、意外。ギャルかと思った」 オトモダチはニコリともせずにそう言った。本当に、別人だ。改めて笑顔の強さを知る。 「アンタは、誰」 見た目というか、体型や髪型、顔つきはそれまでと何一つ変わっていないのに。 「普通にオトモダチでいいんじゃない? 私は人を信じる坂口香乃だよ。どうせなら全部拾えばよかったのにね。悪いもんじゃないんだから」 無意識に下瞼を上げていたらしい。 「どうかした?」 言っているセリフは前とさほど変わっていないのに。表情と言うのは、本当によくできたコミニケーションツールだったのか、と今更のように理解した。 「これからよろしく」 「え、うん」 オトモダチじゃない。あんなのオトモダチじゃない。人を信じる気持ちは残っているのだから、『オトモダチ』と言う呼び名は決して何も間違っていないのに。あの見るたび何かが痞えるような愛想笑いが、今は恋しくもある。でも、オレが彼女を捨ててしまった時、周りも同じように思ったのだろうか。いや、そんな事は無い。どこか寂しく感じるのは同じ自分だから、それだけだ。きっと周りはオレが笑わなくなってむしろありがたかっただろう。オレの笑顔が誰かから必要とされていたことなどないのだろうから。 「じゃあね」 「うん、またね」 具合が悪かった。何か気に入らなかった。家を出ても、何一つ晴れなかった。 「顔面ひどいことになってますが」 「……いいんです」 自分の顔面がひどいことになっているのは、アムカに言われずとも、鏡を見ずともわかる。余計額に皺を寄せた。 「ねーちゃんさん」 「はい?」 「酒を、ください」 島の真ん中、交差点にみんな集まっていた。今はとにかく、何かムカムカしている。それを晴らすのは、ひとまず酒だろう。 「……いいえ」 「は?」 「酒はあげません。十五歳の未成年者が酒で鬱憤晴らすんじゃない」 「未成年者って、オレもう成長しないよ? それにここ、坂口香乃の心の中だけど? オレはもう、大人になれない。だからしたいことする。アンタとだって飲んだじゃん」 「酒でイライラから逃げるのが大人? 別に現実じゃないんだからただ飲む分にはどうでもいいと思うけどさ」 「アンタはもう大人じゃん。一生子供のままのオレらの気持ちがわかんの?」 大人になりたかった。でも、なりたくなかった。大人になればできることは増えると思った。でも、大人になったら、できることは減るとも思った。大人になることのメリットだけ欲しい。責任はいらない。だからオレはいつまでも子供なのだ。 「……俺はもう、ずっとこのままだ」 ねーちゃんがポツリと言った。 「もう、誰かを愛せない。お前はいいよな、ずっと同じ人を愛せて」 もう叶わないのに同じ人を愛し続けんのは辛いんだよ、わかってるだろ。 そう言いたかったのに、言えなかった。去っていくねーちゃんを見るだけで、みんな、何も言わなかった。 水だけを飲んだ。別に何かを食べずとも生きていけるけど、水で流し去ってしまいたかった。言えなかった言葉も、見つからない言葉も。もう何日、水しか飲んでいないだろう。もう何日、家を出ていないのだろう。今まで、ごみ箱の中身は数日で消えていた。なのに、ごみ箱に放り込んだオトモダチからの手紙は、いつまでも残っている。早く消えろ、と思っているのに、ごみ箱を覗く度、よかった、まだ残っている、と、何処かホッとする自分がいる。まるで、メールのごみ箱だ。昂希とのメール。フラれてすぐ、ごみ箱行きにしたけれど。でも、二十九日おきに、復元させては、また捨てていた。三十日経てば、本当に消えてしまうから。完全に消えて欲しくはなかった。ただそっと、ごみ箱の中で光っていて欲しかった。でもきっとオレが捨てられたことで、本当にあのメールたちは消えてしまったのだろう。でもオレはこの島でずっと、いつまでも、二十九日おきに復元させ、そして捨てる。 そう考えると、きっとここも同じなのだ。完全に消すことなく、ただそっと、ごみ箱の中で息づいていてもらうための、この島なのだ。それじゃあずっと、あの手紙の置き場は、ごみ箱だ。 島はどこか冷たく。秋風のせいだけではない。何か、みんな心の底が冷えていた。何か、曇り空が続いていた。 オトモダチの愛想笑いが拾われて一週間ほど。オレはやっと家からフラフラ出てカフェのコーヒーを飲もうとした。 「あのさ」 突然の声に顔を上げると。 「……オトモダチ?」 そう呼ぶのはなんとなく躊躇われたけど。それ以外なんとも呼べなかった。 「ちょっと一杯飲まない?」 「コーヒーを、だよね?」 「うん」 オトモダチと共に人のいないカフェに入る。少し目を閉じた隙に、コーヒーは出てきてしまった。 「単刀直入に言うけど、はっきり言って今、すごくイラついてる」 オレはまだ熱いコーヒーのカップを手のひらで包み、黙って言葉を聞いた。 「私は私。確かに私の一部は帰った。それでも私は私だよ。ギャルもどきとか小四なら、私が笑わなくなって寂しいって言うのはわかる。でも、他は違う。君たちが私を捨てたんだよ。そして拾いもしなかった。今も、どうして自分が捨てられたのかちゃんとわかってない。教えてももらえない。なのに、その一部が現実に戻ったからって、なんかよそよそしくなるのはおかしいと思う」 コーヒーはまだ熱かったが、一口飲んだ。コーヒーは苦いし、彼女が言うことは正しい。オレは彼女を捨てて、拾わなかったのに。ここへ来て、その愛想笑いが嫌だったのに、その偽物の笑顔が好きだった。それを見てどこか安心していた。 「……ごめん。慣れるまで待って。ワリィ」 そうじゃ、ないだろ。オレはアンタに、偽物だとわかっていても、笑っていて欲しかったんだ。オレは、もう笑わないアンタが、怖いんだ。 「ま、確かに慣れないってのはあるよね。わかった。でも、私は私だから」 「うん」 わかってるんだろ。オレはその言葉をただ純粋に鵜呑みにできるほど馬鹿じゃなかっただろ。でも、アンタはそう言うことしかできない。オレも、そう言うことしかできない。 「じゃあ、私行くね。他も回る」 「ん」 コーヒーは好きだ。それでも、今はどこか不味い。ただ苦いだけ。オレはこの新しい『オトモダチ』にも慣れていくのだろうか。早くそうなってほしいと思う反面、慣れてしまうのが怖くもある。謎の義務感でコーヒーを喉の奥へ流し込んだ。 そうだ、もうどうしようもない。こっちがいくら足掻いても、もう『オトモダチ』は帰ってこない。いくらごみ箱の中のものが、拾われた元・ごみを返してくれと言ったところで、叫んだところで。帰ってくるわけもない。またそれが捨てられない限り。割り切るしかないのだ。オトモダチがもう前のように笑わないことも。また捨てられない限り戻ってこないことも。オレたちは現実に拾われない限り、ここを出られないということも。オレはもう一生成長しないのだということも。自分の大切な人にとって、自分はそうじゃなかったということも。割り切るしかない。でも最後にあげたことは、割り切ろうにもそうできずにいるし、もう成長しないということも、割り切っているつもりでも実際はそうではないのだろう。それでも、オトモダチの件では割り切りたい、と思った。割り切るという名の慣れなのか、割り切るという名の諦めなのか、割り切るという名の心の整理なのか、そこはわからないけれど。
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