乙女、消失、脅迫

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乙女、消失、脅迫

「ねえ、乙女見てない?」 「いや、別に。何か用あんの?」 「んー、そういうわけじゃないけど。最近あんま見ないじゃん? 絡みに行こうと思って」 さすがギャルもどきだ。かわいそうに。 「今日花火だから誘うかなぁって」 「……遠回しにオレも誘ってるわけだ」 「そー」 別に花火は嫌いじゃないからいいのだが。現実は二十二か。よくもまぁ毎年見に行くものだ。でもそれは自分ももれなくのことなので、口に出すのはやめるけど。 「そういやアンタ、他人が見えるってことはまだあんの?」 他人が沢山いて、その雑踏を見せつけられる日々はさぞかし辛いだろう。特に何も感じていなかったが、ギャルもどきも一緒に商店街でご飯をしたり、カラオケをしたりすることがあったので、以前のように都会に完全に縛られているわけでは無いのでは、と薄々気が付いていた。 「いや、最近『他人』を感じる事はないよ。まぁ都会はいるだけでなんか疲れるもんだけどね」 そう笑う彼女は、それでもどこか困ったように笑う。 「じゃあ、行ってみる。またね」 「ああ、またな」 確かにここ最近乙女を見かけないが、そこまで気にすることはないだろう。それより、現実の坂口香乃が、ギャルもどきに対して少しとは言え寛容になっていることの方が驚きだ。でも、ねーちゃんを見ると、それもおかしくない気がする。一人称が『俺』のことも、性別が嫌いなことも、半ば諦めて、無理に自分を周囲に合わせていたから。それが、自分の『変わった』部分を普通にするのが、大人になることだと言うなら。オレはやっぱり大人になりたくない。 家が近いねーちゃんとアムカにも、今日は花火だと伝え、浴衣を引っ張り出す。さて、今日は何食べるかなぁ、と考えてしまうあたりに、また一人苦笑した。 「あれ、おい、乙女は?」 「家に行ってチャイム鳴らしたけど、誰も出なくてね〜。ドアには伝言貼っておいたんだけど」 「ふーん」 花火に全員集まらないのは、オレがここに来て初かもしれない。そのうち来るだろう、ということで、砂浜に移動した。オレがここにきて七年。七年も経てば、現実の坂口香乃はだいぶ大きくなっているだろう。彼女は今誰と共に花火を見ているのだろうか――など、考えなければよかった。 表を見ても裏を見ても宛名らしきものは『坂口香乃』だけで、実際の差出人は誰なのかさっぱりわからない不気味な手紙がポストに入っていた。カランコロン、という軽やかな下駄の音とは裏腹に、その手紙を開くのは、何か怖かった。そもそもこの島では、手紙というもの自体が不気味でしかない。 暗い家のリビングに通ずる扉を開けた時、足先にツンと何かが触れた。何置いてたっけ、と電気をぱっとつけて、 「いやああああああああっ」 飛びのいた。 「……あ、帰ってきた……」 「っ、お前かよ! マジふざけんな! つか暑! この部屋めっちゃ暑い! 出かけた時熱籠んないようにそこ開けてたのに何閉じてんだよ!  てかここで寝んな! なんで花火来なかったくせにオレの家いいんだよ! お前の家西だろ!? マジ、もう、ホント……ふざけんな!!!」 「ボキャブラリー……」 外から帰ってきたらリビングに人が倒れてた、なんて誰だってビビるし、語彙力だって低下する。心臓に悪い。確かにこの島の家に鍵などないのだが、にしてもだ。 「いつまで寝転がってんだ。とっとと起きろよ」 「……い」 「はい?」 「起きれない……具合悪い……」 「……は」 この島に病気などない。心の病はさておき、身体がそうなることなどない。はずだ。 「自分で望んだのかよ」 「まさか、はは」 最近ずっと彼女を見ていなかったのは、こいつが、乙女が、具合が悪かったから? この体調不良はただ者ではない。 「えっと、とりあえず着替えるわ。なんか今すぐ欲しいものない? 水とか」 「いい」 着替えようとしてやっと、自分が謎の手紙を持っていたことを思い出した。今これはどうでもいい。 ばーっと浴衣を脱いで、Tシャツを着て。浴衣はそのままでいいか、と思ったが、やっぱり気がかりなので、きちんと浴衣用のハンガーにかけて乙女の元へと向かった。 「で。どうすりゃいい。オレの布団使うか? てかどういう風に具合悪いんだよ」 「椅子でいい」 おいこらしょ、と乙女をずるずる引き上げて、椅子に乗せた。特別体が熱を持っているわけではないが、力が入っていない。 「なんか、意識なくす直前みたいなのがずっと続いてて気持ち悪い……」 意識をなくす。オレは一度だけ気を失ったことがあるが、それと同じような感じか? 肺炎になり、高熱で鼻血が大量に出てしまい、貧血で倒れたのだ。幸い二時間後に目を覚ましたので、大事には至らなかったが。いや、でも二時間気を失いっぱなしっていうのは、大事だったのかもしれない。まぁ今生きているのだからいいとする。あの時は目がぼうっと霞み、ゆらゆらしてきて、頭の奥が徐々に冷えてくるような……そりゃ気持ち悪いだろう。 「なんで。心当たりは? つかなんでオレのところ来たのさ」 別段良い関係でもなかったくせに。 「ウチさ、多分そろそろ消えるんだ」 「……ほよ?」 「恋はよく消えるんだって。小四も今までいろんな恋が消えたって言ってるし。だから、現実の坂口香乃は、もう広のこと完璧に冷めてきてるってことなんでしょ」 ……そうか。オレらはあくまでそっと心の隅に置いておくためにここにいるわけで。本当にその気持ちがどこにもなくなってしまったら、薄れてしまったら。オレたちは消えてしまうんだ。その事実に気づいて、すう、と心の底が冷えていった。 「大切な人がいる奴の近くで消えたいじゃん?」 なんだよ、それ。乙女は初めてオレの前で微笑む。オレは初めて、乙女の前で泣きそうに顔を歪める。行かないでくれ、とは言えなかった。どこかに行くわけではないから。消えないでくれ、とは言えなかった。消えるのはどうしようもないことだから。言える言葉なんてない。言う資格のある言葉なんてない。すべてが気休めで薄っぺらだ。 「……いつ」 「さあね。そのうち?」 本当はいつか知ってるくせに。いらない気遣いだ。それともあれか、何も告げずにそっと去っていくヒロインみたいなのでもやってみたいのか。ありえる。この感じ、それに周りの感じからすると、オレの他には誰も言っていないのだろう。「オレにしか言っていなかっただなんて……みんなにも伝えていればよかった。そうすればみんな……」なんて、ラノベじみたことは死んでもするものか、と心に決めた。 「大丈夫、好きな事してなよ」 椅子にだらんともたれかかり微かに微笑む彼女は、もういつ消えてもおかしくなさそうだ。きっと乙女は、もう間もなく消える。 「何見てんだよ、気にすんなって」 「……うん、ワリ。」 どうしてだろう。乙女が好きなのは、広で、広の前では作ってばっかりで。オレは昂希の前でなら本物になれるから、昂希が大切で。 どうしてオレは、泣きそうなんだ。 そういや、この手紙誰からだ、なんて、今更ながら思い出した。乙女は何か知っているだろうか。 「なぁ」 この部屋は、この世界よりも、手紙よりも不気味で。静かだった。 「っ、なぁ」 。 「……、なぁっ!」 。。 「返事しろよ! オレの反応楽しむとか趣味悪すぎだろ!」 。。。 振り向くのが怖い。振り向けない。封筒が歪んだ。波打った。 「ねえ、乙女?」 ただ眠っただけで、目を覚ましてくれればいい。なんだよ起こすなよ、そう言ってほしい。そうすれば、なんだよビビらせんなよ、と言うのに。でも、ずっといくら待っても、声はしない。 オレはリビングのテーブルに背を向けて、封筒に顔埋めながら泣いた。 消えないでくれ。いなくならないでくれ。乙女が消えたらオレもいつか消える可能性が高いってことが証明されてしまう。そんなのいやだ。オレが完全に昂希が大切ではなくなってしまうのが、とても怖い。 手紙を置いて、誰もいない家を出て、海へ戻った。一つだけ取り残されたような屋台でビールを注文し、一人で飲んだ。ビールなんて久しく飲んでいなかったから、顔をしかめた。 西に回りこんだが、そこにあったはずの家が一軒なくなっていて、ビールをぐいっと飲み干した。 人のいない都会に入って、ギャルもどきの部屋のチャイムを鳴らす。 「はいはい……って、うわ! 何? どうかした?」 「乙女が消えた」 それだけ言って、踵を返す。追ってきたらどうしようと思ったが、意外にもそうではなく、 「え? うん?」 と言うだけだった。その程度なのかよ、と思って、別にどうでも良いと思い直す。 都会を突っ切り、東へ。小四の家のドアを叩こうとして、明日にしよう、と決めた。こんなことのために、まだ幼い彼女を巻き込んではいけない。 オトモダチのところに行って、同じ旨を伝えると、当然のように慌て……なかった。ギャルもどきと同じようだった。どうしてだ。もしかすると、彼女はオレだけに伝えていると見せかけて、本当はみんなに言っていたのか? 少しの恐怖を持ちながら、アムカにも伝えた。 「え……いつだよ、それ」 その反応に何故かほっとする。 「今日。つかさっき。じゃ」 「え、おい、ちょっと待てって」 「心の整理、ついてねーから。また明日にしようぜ」 乙女が消えたことも。オトモダチやギャルもどきの不可解な反応にも。 最後にねーちゃんにも同じように伝え、家に戻った。もしかしてリビングに、と思ったが、当然のように何もなかった。いや、あの謎の手紙しかない。すっかり忘れていた。カサ、と波打った便箋を取り出す。整った字が見えた。 人を大切にするとは、愛するとは、どういうことですか。 私はもう中三の時以来誰かに恋し大切だと思った事はありません。 相手の好意をありがたく受け取れません。 私はきっと今ある男性とお付き合いしているのでしょう。 それでも、自分の気持ちが分かりません。 彼が好きですが、好きではない。 教えてください。人を大切にするというのは、どういうことですか? 差出人の名もない。用件しかない。手紙とは言えない。どういうことですか、なんて、そんなのオレも知りたい。差出人はわかった。でもイライラした。腹が立った。このせいで、まさにこのせいで、乙女が消えたんだ。オレが、現実のオレが、誰かと付き合うようになって。それで広への想いが完全に冷めてしまったんだ。 オレに聞くなよ。オレだってわかんないし知りたい。そもそもどうして現実から手紙が届いたのだろう。この島の存在など知っているわけもない。 どうして、と思いつつ返事を書かなければという義務感に駆られて、どこかにある大学ノートを引っ張り出し、一枚雑に切り取った。 元気そうで何より。オレたちを捨てて楽になったんだろうな。オトモダチの一部を返せとは言わないけど、乙女は返せよ。 ぐしゃぐしゃ、と丸めてゴミ箱に投げ入れた。出来損ないの手紙は、いつかの別の手紙に触れて共鳴する。こんなふうにノートを切り取って手紙を書いたことがある。オレにとってはつい最近のようだが。昂希。昂希にこうやって、ノートを一枚切り取って、手紙を書いた。まぁその前にも、授業中にノートの切れ端で文通する事はしょっちゅうだったが。ちゃんと切手を貼った手紙を出したことが一度だけある。卒業式の後に告ったものの、フラれたのか何なのかよくわからなかったので、離任式に聞こうと思ったら、なんとまぁ、アイツは離任式に来なかった。「え? 離任式あったの?」――なんて、やっぱり家まで殴りに行くべきだったかもしれない。その結果、小方や満弥や水木に背中を押されて、だかケツを叩かれてだかわからないが、手紙を書く羽目になった。何度も何度も書き直して、やっとの思いで書いたのは、 すみません、フラれたのか何なのか教えてください。ごめんなさい。 だけ。小さく「高校合格おめでとう」と添えた。後悔する前にとっとと出してしまえ、とポストに投函したが、もちろん後で一人、あれで良かったのか、そもそも住所合ってるのか、などと悶々とした。メールが来た時は飛び上がり、着信のたびにびびってコーヒーをプリントにこぼし……どうでも良い話、と言っては失礼だが、誰が受かった誰が落ちたと言う話をして、二週間後にオレが、「生かすか殺すかしてくれる?」と言って、フラれた。懐かしい。もし途中で、言葉選びをしっかりしていれば、メールではなく実際に会って話すことができたのだろうか、と思う。オレはもう、卒業式以来昂希に会っていない。昂希に、会いたい。 わかっていた。オレが捨てられたのだから、現実の坂口香乃は、他の人に恋してもおかしくない。それでもそれがオレは嫌だ。もう坂口香乃は昂希のことが大切ではないなんて、できることなら考えたくない。それでもきっと、それは坂口香乃が大人になったと言うことなのだろう。それじゃあオレは、大人になんかならなくていい。 もう一枚だけノートを切り取った。 お前に言うことなんてあんまないけどな。 とりあえず好きな人は親友じゃなきゃだ めでしょ。まぁそんなことオレに聞 かれたってオレもよくわかってるわけじゃね えし。その人の前になると自分を取り繕うのに せいいっぱいとか本当の自分になれないならやめとけ。 あいつはこの島のことを知らない。ここに乙女がいたことも、彼女が消えたことも知らない。それでも、言わずにはいられない。乙女を返してくれ、と。 この手紙というか、脅迫状はどこに出せばいいのだろう。といっても、この手紙がそのまま坂口香乃のもとに届くわけもないけど。きっと彼女だって手紙を出しただなんて思っていない。恋の壁にぶち当たって悩み、そういえば、と昂希が好きだったことを思い出して、聞ければいいのに、とでも思った、その程度だろう。お気楽なものだ。人を愛するとは何か知りたきゃ勝手に持っていけばいい。手紙のような脅迫状のような。そんな紙切れを机のテーブルに置いて、寝室へ向かった。ベッドに寝転がって思う。脅迫しても、相手がそうだと理解できない脅迫状ほど、価値のない脅迫状なんてないよな、と。
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