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戸惑い、倦怠期、歪んだ愛
次の日、もう一度みんなで集まった。六人。この島にいる、全員。真っ先に口火を切ったのはギャルもどきだった。
「えっと、乙女、が消えたんだっけ?」
「……そうですけど」
ごちゃごちゃ聞かれたくない。でもそれ以上に、ギャルもどきやオトモダチ、さらには小四の戸惑いの方がもっと嫌だ。どうしてだろう。オレやねーちゃんやアムカが持つ戸惑いとは、何か違うのだ。乙女が消えたことへの戸惑いじゃなくて、
「ごめんね。乙女って、誰?」
乙女と言う存在への、戸惑い。
「……は? え、アンタ、正気? マジで脳みそぶっ壊れたの?」
アムカが取り乱してギャルもどきの腕を掴む。彼女は困ったように眉を少し下げて、痛いよ、と言うだけ。小四もオトモダチも、見るからに困っていた。
「本当に乙女覚えてないの? 七咲広が好きな中二の二学期あたりのやつだよ?」
ゆるゆると首を揺らす。
「なんで? オトモダチのことは覚えてんのに?」
小四がこてんと首をかしげた。
「覚えてるって……ここにいるでしょ?」
「拾われてった方だよ、忘れたわけ?」
「拾われる……?」
さあ、と血の気が引いた。オトモダチが口を開く。
「自分が前よく愛想笑いをしてて、それが拾われたっていうのは知ってるけど、乙女ってやつは知らないよ。七咲広は知ってる」
「そうだっけ。よく笑ってたかなぁ」
まさか。ギャルもどきは、小四は。オトモダチの愛想笑いすら知らないのか。彼女たちの立ち直りがやけに早く、普通に接していたのは、そのためか。
「あれだよ、きっと」
ねーちゃんがぼそっと言った。
「こいつら、乙女を捨てたことがないんだもん。ここに来て初めて、自分が七咲広を好きなの捨てたって知ったんだよ。そいつが消えたら、こいつらの中から抹消されてもおかしくないだろ。オトモダチの時はきっと、手紙があったからいくらか保ったってだけじゃないの」
ねーちゃんの目に光がない。
「俺は捨てられて正解だし、姉のことは嫌いだ。でも、俺は姉が羨ましいし、今現実にいる坂口香乃も、乙女も、ピストルスターも、羨ましい」
大切な人がいると言う事。辛いことではあるけれど。それでもその人が大切だから。その人は心の中を灯してくれる灯火だから。ねーちゃんは大切な人が欲しかった。寄り掛かれるような、支えられるような、灯火が欲しかった。乙女は、オレは、それを持っている。
「乙女はこの島から消えた。アンタら三人から消えた。それだけでしょ」
絶対それだけじゃないにもかかわらず、ねーちゃんはくるりと踵を返して去っていく。
「今、ねーちゃんはどうしてその話をしたの?」
ギャルもどきに答えるつもりはなかった。わからない奴に言う必要はないと思う。ただ『恋がしたい』だけだ、お前らは。恋をして、キュンキュンしたいだけだ、どうせ。そんなのもうありゃしない。意図しなくても勝手に多角関係に巻き込まれる。それでも、自分を本当に大切にし、自分の『変な』部分を受け入れてくれる人が欲しい。
どうしてねーちゃんが今その話をしたのか。純粋に羨ましかったから。たかが恋が一つ消えたくらい、という思いが、かすかながら皆にあったから。いや、もしかすると本当になんとなくなのかもしれない。自分のことだから、それも十分にあり得る。
ねーちゃんの背中を見ていたアムカがばっと向き直って言った。
「アンタら、本当に意味わかんない……」
震えた声は、小四やギャルもどきやオトモダチに向けられたもののはずなのに。その言葉が、この島のすべてに、現実の坂口香乃に、向けられたもののように感じられた。
オレがいくらねーちゃんの言葉の真意を探ろうとしたって、それはただの憶測に過ぎない。ただの偽物。オレとねーちゃんは、同じ坂口香乃で、オレより三年長く生きた全くの別人。オレは唇を噛み締めることしかできない。乙女はもう帰ってこないし、乙女がこの島にいたことを現実に伝えることもできないし、その三人に乙女との記憶を戻すこともできない。オレは、オレらは、なんて無力なんだ。悲しいのでもない、悔しいのでもない、腹立たしいのでもない。言い難い無力感がオレを襲う。
オレはくるりと家の方へ体を向けて、足を踏み出した。
「帰る」
きっと、リビングのテーブルには何も乗っちゃいない。
「ギャル! オトモダチ!」
不意にアムカが叫んだ。
「アンタら、七咲のこと好きでしょ⁉︎」
はっとして離れかけていた足を止める。そうだ。オレが七咲広を好きになったのは小五。
二人はふい、と目を伏せた。
「うん……でも、」
「知ってるでしょ? もう冷めてきてる。それがどうしてまたあんなに、」
「広に執着しているのか、って?」
被せたオレの言葉に、彼らは頷いた。いや、俯いた。
間違いなく、あれは執着だ。本当はわかっていた。乙女は、乙女の正体は、『七咲広が好きな気持ち』ではなくて。『七咲広にしがみつく自分』だ。本当はもう、彼への恋は解けているのに。それにもかかわらず、自分は彼が好きで、大切で、必要なのだと、言い聞かせていた。
「広に恋してるんじゃなくて、広を愛してるんだって思いたかったんだよ。アンタらは、そんな風にアイツに狂ったように恋したことも、その歪んだ恋を捨てたこともないでしょ」
歪んでいた。正しさなんて不い。歪で、歪んでいる。オレの広への恋は、最初も最後も、無理矢理だ。
今度こそ、オレはもう止まったり振り返ったりしなかった。
七咲広を好きになったのは、小五の時。七咲広は幼なじみだ。小五の時、あるクラスメイトへの恋で失恋した。今思えば、相手に彼女ができたと言うありきたりで何でもない失恋だったが、その当時には当然だが大事だ。苦しいし辛い。この気持ちをどうにかしたい一心で、『私五歳上の幼なじみ好きなんだ』と言うようになった。自分はそいつじゃなくて広が好きなんだ、と嘘をつくことでいくらかは楽になったのではと思う。気休めに走って、自分に嘘をつき続けて――やがてその嘘は、嘘じゃなくなった。オレは本当に広を好きになった。なんだかなぁ、と今も思うし、当時も持っていたが、まぁ今更引っ込みがつくものでは無い。
幼なじみ同士家族ぐるみの付き合いをしていたため、一緒に遊ぶ機会はよくあり、良い思い出も結構できたのでは、と思う。小五の後半から中二のあたり。それで三年間。
ある話を聞いた。人が恋をするのは、あるホルモンの働きによるもので、そのホルモンが出続けるのは、長くても三年らしい、と。『三の倦怠期』とやらは実際にあるものだったらしい。だから三年を超えれば、恋以上なのだと。自分はそれを超える、超えられると思っていた。
でも。やがて自分ももれなくのことなのだと知る。中二に入ったあたり、急速にわからなくなったのだ。自分は広のどこが好きだったんだ、と。ギャルもどきやオトモダチはこの辺だろう。
やがてオレは歪んでいく。オレは三年を超える、恋を超える、オレはずっと広を好きでいるんだ。オレは広が好きで、大切で、必要で、愛しているんだ、と言い聞かせた。
でもそんなの間違っている。歪んでいる。こんなの恋はおろか愛なんかじゃ全然ない。こんなの自分をダメにするだけだ。オレはそう気づけて良かったんだと思う。乙女は――もうずっと気づかないし、気づきようもない。
一度だけ乙女に尋ねられたことがある。
「広は元気?」
と。元気だよ、酒も飲んでる。そう言えばよかった。でもオレは、さあ、と言うだけだった。昂希を馬鹿にされたのが悔しかったから。
乙女は本当に馬鹿だ。いい子ちゃんなんてクソくらえ。偽物なんて一生大切にされるものか。本当に、馬鹿。
……どうして、オレは、泣いているのだろう。
「乙女、返せ」
現実にそう言っても無駄なのに、オレはポツリ空に向かって言った。
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