どこへでもいけるドア、再会、邪魔

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どこへでもいけるドア、再会、邪魔

島のみんなが集まることは減った。外で会ってもみんなさっと目を逸して去っていく。 島の縁に沿ってぐるっと海をたどり、北の海岸に腰掛けた。普段来ることはまずない。もしかするとこの島へ来た時以来かもしれない、とぼんやり頭の隅で思う。なんとなく立ち上がって、なんとなく海に足を踏み入れた。ざぶざぶざぶざぶ、海の向こうを目指していく。ずっと歩いて、立ち止まった。海がちっとも深くならないのだ。海の家はもう結構小さくなっているのに。 「あーそうですか、死なせる気ないですか」 そうですかそうですか、知ってますよ、ええ、オレは死ねないことぐらいとっくに知ってますんで。ぶつぶつ言いながら浜に戻り、服を脱ぎ捨てた。今度はちゃんと泳ぎたいから。浜から少し進んで、すいー、と腕を掻く。体に当たる水流が気持ちいい。さっきより進まずとも、十分泳げた。基本したいようにできるのになぁ、と思う。砂浜で体を乾かす。服を着て、ふと海を見ると、一艘の小舟が浮かんでいた。舟に乗りたいなんて思ってないけど、と思いつつ、舟に乗ってゆっくりオールを動かす。ギィ、ギィ、ギィ、と音を立てて、舟は進んだ。雲一つない青い空。きっとそこに飛行機雲ができる、と思うと、どこからともなく飛行機が飛んできて、青い空にラインを引いた。海に思い出がなくてよかった。飛行機雲には、あるけれど。学校の帰り、時折小方のマンションの前で空の飛行機雲を数えたものだ。……楽しかった。 「……会いたいなぁ」 小方に。水木に。満弥に。そして誰よりも、昂希に。 どれほど舟を漕ぎ続けただろう。海の彼方に、何かがあるのに気づいた。小さい黒い点のようであまり気にしていなかったが、それは徐々に大きくなって。 「……島だ」 うんと遠くまで漕いだつもりはない。そういや水平線までの距離は三平方の定理で求められると聞いたことがある。そこまで遠いわけではなく、確か俺の身長なら水平線まで五キロほどだったように思う。三平方の定理って何だっけ、忘れてるよ、やっべえな、などと全く関係のないことを考えながら、島へと漕いだ。いつもいる島から見えていないだけで、この世界には別にも島があるらしい。でも水平線まで五キロ、と言うのは地球での話。この世界に地球のような半径たるものがあるわけもないし、そこまで遠くないと言っても、五キロも舟を漕げるほどの体力を持っているわけでもないから、それよりは短いのだろう。いつまでも遠くにある島なのかと思いきや、しっかりとその島に舟をつけることができた。 妙な島。その一言に尽きる。砂浜に扉がぽつんと立っているだけなのだ。某有名漫画のドアかと思うほどだったが、その扉はアンティークな白で、ドアノブは丸くなっていた。なんだこりゃ……としばらく眺めていたが、意を決して扉をひいて……押し扉だったので出鼻をくじかれた気分になった。もう一度深呼吸をし、今度こそ扉を開いて、オレは。 「……なん、で」 この扉は、本当にどこへでも行けるのか。いや、でも違う。あの時とそっくりそのまま同じで。明日もここへ人が来るのだと、信じて疑わないようなこの空間は、オレにとっては少し前、実際には七年前とそっくりそのままだった。この扉は、どこへでも行けて、時を遡れて。 七年前、オレが生活していた教室が、静かにそこにあった。 静かに扉を後ろ手に閉めて、オレは教室へ足を踏み入れた。学級目標も、掲示板も、オレの机に書いてある落書きも、オレを含めたほとんどみんなの机に入っている置き勉の教科書も。何もかも、卒業する少し前のオレの教室そのままだった。 教卓に立つ。これじゃあオレが授業中爆睡してたの見えただろうな、と笑う。隠れてたつもりだが。授業中お構いなしに後ろを見てしゃべる生徒たちはさぞかし目障りだっただろう。先生たちはそういうところを諦めないとキリがない。 「かわいそうに。お疲れ様でーす」 誰にともなくそう言うと、心の中の が「思ってないくせに」と笑った。誰の声だったろう。 朝小方と一緒に学校へ来て。「小方もウチのクラス行こうよー」と毎日のように教室の前で駄々をこねて。教室に入ったら、水木とお互い真顔で「ういっす」「ちーす」とあいさつを交わし。昂希の寝癖を押さえ。時間になるまで本を読んだり水木としゃべったりして。授業中は寝るかしゃべるかしていた。席が前後なのにメモを回すなんて、今考えればただのバカで、ただの中学生なのだけれど。 教室の前のドアはあの扉なので、試しに教室の後ろのドアから出てみると、見慣れた廊下が伸びていた。隣のクラスと仲悪かったよなぁ、とか、パソコンルームで部活中全然関係ない動画観てたよなぁ、とか。図書館も何も変わっていない。ほぼ全部の椅子の足は、はめられていたテニスボールが外れてガタついているし、シリーズものの本は途中が抜けている。オレここで死のうとしたんだよな、なんて。いつも座っていたカウンターに持ち出し禁止の漫画を持って座った。卒業までに全巻読む予定だったのに、結局二十何巻中、十巻ぐらいまでしか読めなかった。小方と、満弥と、オレ。いつも図書館にいたから、もしかして『主』化いたかもしれない。 卒業文集の編集員になった時は、原稿を取り立てに何度も職員室に通った。廊下は寒くて結露しているのに、職員室はいつも暖かいからズルい、とよく言ったものだ。 学校の至るところに、思い出がある。辛くて、苦しくて、嫌で、爆発しろと、何度も思ったけれど。それでもオレは、ここが好きだった。今だから認められる。もう、戻れないから。 学校出ることができた。田んぼのど真ん中にある学校は吹きさらしで、夏は砂埃、冬は突き刺すような冷たい強風がすごい。稲の時期になると、イネ科花粉の身としてはとても辛い。バスは一時間に一本。それも雨や雪だと遅れるし、そういう時は大体ぎゅうぎゅう詰めだ。小方はそれが嫌いなので、オレが奢ることを条件にいつもバスに乗るのだが、結局小方の家の前でくっちゃべるので、家に帰る時間は歩いた時と同じだし、体も冷えてしまう。夏はと言うと、オレだけ自転車通学なので、オレがチャリをノロノロ漕いでいた。でも時々、オレのザックをチャリの前籠に入れてチャリを小方に漕がせ、オレが走ることもあった。本当に時々、小方のザックもチャリの後ろの荷台に固定することもあったが、端から見れば相当滑稽だっただろう。昂希が「なんだこりゃ」とでも言わんばかりに顔をしかめてから、他人のように無表情で隣を通り抜けて行ったことを覚えている。 好きだなぁ。小方が。昂希が。満弥が。水木が。そんなくだらない日々が。そのすべてはもうオレのものではないし、もしかすると、元から、一度も、オレのものではなかったのかもしれないけれど、オレはそんな自分のものではないそれが、好きで、捨てられない。だから、オレは捨てられた。 気がつくとオレは自然と卒業式に通った道をたどっていた。引き返したい。そう思った。空はまるであの日のように、今にも泣き出しそうで。嫌だ。嫌だ。そう思っているのに足は止まらず、あの日と同じ道を、しっかりと辿っていく。足がオレの意思に反するように、全く違う考えを持っているかのように進んで行く。まるで何かの義務でもあるのかと思うほど。嫌だ、やめてくれ、何度心の中で叫んでも、そうすればそうするほど、鮮明に描かれていく。あの日、卒業式の日帰り道、オレと小方の前を歩いていた、彼の姿が。 ああ、嫌だ、本当に嫌だ。昂希の隣にいつもいて、オレをいつも二番以下に貶める彼女も然り、その彼女と表向きは仲良くしていても、心の中では彼女がいなければ、と思ってしまう自分も然り。 オレはポロポロと泣いていた。空もまた、同じように泣いていた。 「ねえ、小方、笑ってよ。こんなにいつまでも引きずっててバカだなお前って、嘲笑ってくれよ」 ぼろぼろ泣きながら言う。小方はいないのに。オレと共に中学時代を過ごした小方千花子は、もうどこにも存在しちゃいないのに。そんなオレを代わりに嘲笑うように進む二人の幻覚は、いつまでたっても消えてくれない。 幸衣(さちえ)。家は離れているが、昂希の幼馴染だ。幼稚園時代からずっと一緒らしい。姐さん、と言う感じのかっこいい系女子で、体育委員長だった。幸衣とは中一で同じクラスだったため、そこそこに仲が良かった。幸衣の幼なじみ、莉乃さんの友達の弟、と言うことで、昂希とは割とすぐ打ち解けられたわけだ。 幸衣と昂希の関わり方はずっと前から変わっていないらしい。肩を組んだり、幸衣がバックハグしたり…最初こそ、え、と思ったが、やがてなんともなくなって行った。本人たちはそれが普通でも、周りとしてはやはりカレカノ?となるわけで。昂希はよく幸衣との関係をからかわれていたものだ。オレはその話が出る度に、「アイツらただの幼馴染でしょ」と言っていた。その時はただ幸衣や昂希のために、と言うつもりだったが、今思うと、その二人が付き合っていると認めたくなかったから、なのかもしれない。 一番刺さったのは、ある同じクラスの女子との会話だ。 「香乃と昂希って仲いいよねー」 「え、別に」 「一番仲良くない?」 「幸衣いるじゃん」 「あー、まあ、確かに一番は幸衣だけど、同じクラスなら香乃だよ」 俺は確か、あんまうれしくないなぁ、と言ったと思う。昂希と仲が良い、と言われたことに対してではなく、一番ではないことに。 思えばオレはずっと前から昂希が好きだったのかもしれない。今まで認めていなかったが、ここでなら認めることができる。 「ほんっと嫌い」 何が? 昂希のことが? それとも幸衣のことが? 自分のことに決まっている。ここへきてから、何度も自己嫌悪に襲われる。本当は全てを好きでいたかった。愛想笑いも。人を信じる心も。自分を高める気持ちも。いつかの他人を好きだった自分も。将来の自分も。自分が嫌いだと言う正直な思いも。昂希も、幸衣も、自分自身のことも。オレはいつだって不器用で、大切なものを大切なままにしておけない。本当に、大切だった、そうしたいと願った。幸衣の事。でも、昂希を知らず知らずのうちに好いていたオレは、どうしても幸衣を一筋縄に好きになれなかったのだ。 邪 頑張って消そうとした。こんな感情あってはならないと。 魔 消してしまいたかった。その感情がちらつけばちらつくほど、自分が嫌いになっていったから。それでもオレは思ってしまった。卒業式の時彼女と写真を撮った時でさえ。昂希と幸衣が一緒に歩いている背中を見ていた時も。 邪魔だ。 そう思ってしまった。昂希は幾度と無く幸衣の関係や気持ちを否定し、好きな人なんかいないと言ってきたけれど。それでも卒業式の帰り、幸衣や小方と別れた後に、好きな人いんの? と尋ねたら、「うーん、まあ、ああ、さあ」と言ったじゃないか。「誰?」と聞けば、「わかってんだろ?」と言ったじゃないか。 わかりたくないよ(わかんないよ)。 本当は付き合ってたんじゃないか。オレが昂希に告ろうとしているのを、幸衣は昂希に教えていたんじゃないか。昂希とのメールのやり取りだって全て幸衣が指示していたんじゃないか。オレは彼らを疑ってしまうほど、とても醜い人間なのだ。 でも昂希。アンタはそれでいいの?そう言いたくなってしまう。いつも幸衣の言う通り。確かにそれは彼の意思なのかもしれないけれど。しっかりしているようで、それでいて本当は優柔不断。進路希望調査はほぼ毎回白くて、締め切りの朝書いてる、なんてよくあることだった。彼がそのまま、したいことも見つけられず大人になってしまったら、どうなるんだろう。なんとなく高校を卒業して、なんとなく大学に入って、なんとなく卒業して、なんとなく就職して、なんとなく結婚して、なんとなく親になって、なんとなく退職して、なんとなく死んでしまいそうだ。いつだって、なんとなく。中学で学級委員を勧められても、幸衣に「アンタ体育委員の副委員長なんだからそーゆーのやんないでよ」と言われれば、どんなに言われてもやらなかったくせに、高校が幸衣と別になれば、内申点につられて学級委員をやる。昂希はそれで本当に幸せになれるだろうか。幸衣に頼りっぱなしじゃなくて、自分で歩きなよ、なんて、オレが言えたことではない。そう思うのだって、百パーセント昂希を思ってなんかじゃなくて、昂希と幸衣を引き離したいという自己中心的で醜い考えが下でくすぶっているのだから。 そんな自己中心的な考えを持っているのであれば、オレはやはり昂希が本当に好きで、大切なのではないのかもしれない。卒業式の日、昂希と三十分以上駄弁った交差点で、オレは馬鹿みたいにあぐらをかいて、空を眺めていた。 特別汚くはないが、キレイでもない我が家もまたそのままだった。乱雑に置かれた教科書も、目覚まし時計も、積まれた皿も、散らかった母の机も、風呂の隅の黒カビも。何もかもがそのまま。やっぱりなんだかんだ我が家が一番なワケで。久しぶりの我が家を堪能し、ゴロゴロぐでぐでした。腹減ったなぁ、と思っていると、七時半ごろにいつもの味噌汁の匂いがしてきた。いつもの島と少し勝手が違うようだが、その方がありがたい。「香乃ー、ご飯運んでー」と言う母の声がした気がしたので、一人でご飯と味噌汁を居間に持っていった。いただきます、と呟いて、いつものようにトマトを食べて、生姜焼きとキャベツを皿に取り、一通り食べたらテレビをつける。好きなアニメの録画を繰り返し繰り返し見るのはよくあることだ。食べ終わって机についてから、風呂洗わなきゃ、と思い出す。立ち上がるのは億劫だが何とか自分を奮い立たせて立ち、風呂の水を抜きに行く。九時ごろにやっと風呂を洗って、「十時までにはあがりなさいよー」と言う母の言葉を聞き流しながら、九時半過ぎに風呂へ向かう。体重計に乗って、正月から四キロ増えたのが戻らない、とため息をつくが、いや自分はかなり標準より下だ、太ったなんて言ったら小方に殴られてしまう、と言い聞かせるのだ。風呂に入ってぼーっとしていると、二十分などすぐ過ぎていくから、そこからどれほど急いでも、十時を十分ほど回ってしまう。髪を乾かすのも一苦労、気づけば十一時。日記を書こうにも、日記帳の横の漫画に手が伸びて、はっとしたときにはもう次の日だ。いつもは父が鬱陶しいほど「寝ようぜ」と言ってくるが、それもない。日記は適当にして、ベッドに向かう。親がいないのに明日起きれるだろうか。布団を体に巻き付け、目覚まし時計をセットした。 明日も、学校へ行かないと。
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