日常、くだらない、今はまだ

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日常、くだらない、今はまだ

九時四十五分、起床。家を出なきゃいけない時間まで三十分。まあ、いつものことだ。大丈夫。母の作る弁当が間に合えば。歯を磨く。顔を洗う。制服を着る。本当に地味な制服だ。高校行ったらかわいい制服がいいわ、というのはみんな言うこと。もちろん服装なんて気を使わない小方はそんなこと言わないが。 貴重な三十分のうち半分ほどを使って髪を人前に出れる程度にする。いくら整髪料やアイロンやヘアオイルやスプレーやワックスを駆使して一時ストレートにしても、汗をかいたり雨が降ったりするとすぐくるくる、いやぼわぼわになるのはつくづく辟易する。だったら最初からテキトーでいいじゃん、と小方は言うが、プライドというものだ。 ぐあーっと朝食を掻き込み、歯磨きをし、弁当をつかんで家を飛び出す。小方のマンションに続く坂をチャリで上り、(脳内の)昂希を追い越し、小方のマンション前に勢いよくチャリを止めて、部屋番号を押す。  うぃっす 「ちーっす」 マンションの扉が開く。小方早く来ないかな、今日朝会ないよな…など考えながらうたた寝をする。  おい、起きろてばよ 「……ん?おはよ」  ん アニメの話、授業の話、くだらない話をしながらチャリを押して学校へ向かう。と言っても大体の話はお互い聞き流しているので、ちゃんと聞いてほしい時はきちんとそう伝えないといけない。リアクションが「はー」「ヒィ」「フゥー」「へー」「ほー」なら聞き流している。「なあなあ聞いてよ、」と話し出すなら話したいだけ。「あ、そうだ、ちょっとそういえばさ、」ならしっかり聞いたほうがいい。絶妙なルールというか、決まり文句のようなものだ。 「あ、ちょい、チャリ停めんのついてきてよ」  えーめんどくさい 遠回り 「そんな遠くないって」  だるい 少しの労力も惜しい 「労力って言うほどじゃないじゃん」  起きるのも労力いるっつったの誰よ 「そうだけどさぁー。いいじゃん。ほら行こ」  へいへい チャリを停めて教室へ向かう。 「階段ダルい」  まだ一階ですね 「遠い」  お前は教室三階じゃん 俺四階なんだけど 「ドントマインド〜」 飛んでくるパンチをさっとかわして、ようやっと三階に着いた。 「俺宿題持ってきたかなぁ」  は今かよ 俺教科書入れたっけか 「お互い様じゃん」  まぁいいや もしもの時はよろしくな 「えー」  ん? 貸してくれるよね? 「威圧せんでも貸しますって」  さすが あざーす 何も知らない人から見れば、主人とコケにされる犬なのかもしれないが、そんなことはない。  じゃあ今日も頑張れよ 「小方もオレのクラス行こうぜ?」  ばーか俺行くぞ 頑張れよ 「……うん。じゃあ、元気でね」  お前もな 「小方もねー」 ひらひらと手を振って教室に入る。一時期教室に入るのにも勇気が必要で、まずそこで疲れてしまった。ドアを開けて入るとみんなが見てくるようで、それが怖かったのだ。  おはよ 「おはよー」  ザック今日重いっすね 「だからさー。マジ勘弁」 と言いつつオレは大量置き勉組なので、テスト前で教科書を持って帰る時や学期始め末以外はそう重くもない。水木は几帳面に毎日全部持ち帰るからすごい。荷物を机に移し、ザックを後ろのロッカーに置きに行く。ロッカーの前にいる昂希の頭をたたいた。  って 「おはよ」  ああうん 頭叩く必要あったか? 「寝癖。ついてる」  頭全部寝癖野郎に言われたくねーな 「オレのは癖っ毛だから?」  あーはいはいそうでしたねー いつものように売り言葉に買い言葉。それでオレらの関係が成り立つ。そうじゃない時はなんだかしっぽりしてしまう。そういう雰囲気も嫌いではないが。 一人机で本を読んでいるうちにチャイムが鳴る。担任は大嫌いだった。卒業直前まで目を合わせたことすらなかったと思う。嫌いだったけど、無理に近づいてくることもなく。その点はありがたかった。一時間目の授業で使うものを机に出す。今見てみるとつくづく落書きだらけだ。社会に至っては落書きしかない。確かに社会はいつも寝ているか関係のないことをしているかワークを進めているかだった。よくもまあテストで百点取れたものだ。相当嫌な生徒だっただろう。目をつけられていたのは確かで、九十三点で「こんなものですか」と社会教師が言うものだから、とにかく腹が立った。そのくせして成績はオールAで五。嫌いなら成績を下げればいいのに、と思うが下げられたら絶対オレは文句を言っただろう。テストで百点とっているのにどうしてですか、と。言ってしまえばテストがすべてな気もするが、そんなことを言えばおこちゃまと言われそうなのでやめた。今でも腹が立つ。 合計八回なったチャイム。二回ごとに教科書などを取り替える。八回鳴ったので机を動かし、班体制にして弁当を広げた。  手を合わせてください いただきます 「いただきます」 箸を手に取る。  てかさーお前まじ授業中寝すぎ 見られてたよ 「げぇ、マジ? やべえな」 水木や昂希と同じ班。つくづくいい班を引き当てたと思う。  あ そだ 消しゴム借りた 「え、いつ?」  お前が寝てる間 「忘れたん?」  ボロッボロに割れよった 「うわー最悪じゃん」  思ってねえな? 「いつもと声の調子変わってませんが?」  常に感情なし子かよ 「感情なし子て。否定はせんけど」  え できんの? 「いーえ」  あだよね びっくりした 「何ガチびっくりしてんの。失礼か」  いやガチびっくりでしょ 「こいつナチュラルに失礼だな」  失礼ではない 「水木まで言うかよ」 くだらない話をしていれば弁当を食べる十五分などあっという間に過ぎてしまう。それが大切で、愛おしい。  ごちそうさまでしたー  したー 「ごちそうさまでした」  今日はやけに丁寧だな  いつも挨拶してないのに 「え、そ?」 家でよくするようになったからだろうか。家族との時はろくにしていなかったのに、一人になったから、か。……家って、どこだ。オレは一人で暮らしてるんじゃなくて、父母と三人で住んでいるんだ、そうだ。昂希が、水木が、ぼうっと揺らぎかけて――びゅん、と首を振った。  え、何  こいついきなり首振り出したんだけど ついにか  ついに壊れたな 「……ついにって何だし。ちょっと耳鳴りがひどかっただけ」 耳鳴り。そうだ、さっきの変な考えは耳鳴りだったんだ。よし。 「図書室行くわ」  あっそ  行ってら 廊下に出る。上の階、満弥のクラスの隣が図書室だ。  あ、香乃〜 「満弥!」 ひし、と抱き合った。もはや恒例行事化している。一、二年が え、と言うふうに見ているが、それもいつものこと。気にしない。 「で、今日の鍵当番は?」  んー、一年だねー 「だと思った。図書室の鍵当番ちゃんとやってんのって三年だけだよね」  ちょっと教えに行ってあげたい 「そうねー」 満弥はほわほわしているようで、実はかなりの毒舌だ。その塩梅がとても好きだが。 「鍵取りに行こっか」  うん 図書室は四階、鍵のある職員室は二階。これがかなり疲れる。 「きっとまたさー、図書委員何してんだよおせーよとか言ってるよねー」  当番すらできない一、二年に代わってやってあげてるウチらに痛い視線が来るってヤツ? 「そうそれー」  一、二年使えないなぁ 「残念ながらそのようで」  あ 本持ってるよ 「ありがとー。鍵とってくるね」 持っていた本を満弥に預け、職員室のドアを叩く。 「失礼しまーす。三年四組の坂口香乃です、鍵を取りに来ましたー」 びゅ、と腕を伸ばして入り口近くに置いてある鍵を取り、軽くシツレイしましたーと言って外に出る。 「ありがと」  ううん大丈夫ー それ面白そうね 「次読む?」  今日本持ってきてないの いつか見つけたら借りようかな 「面白かったよー」 こんな日々が本当はこんなにも愛おしく大切なのに。どうして自分はそれを理解しなかったのだろう。失って初めて人は有難みを知る――失って? オレは何を失った? 何も失ってなんかいない。オレは中学三年生。現役JCだ。オレは何一つ失っていない。大丈夫。 図書室の鍵を開け、二人でカウンターに腰かけた。漫画を読んで、時折来る生徒は適当に受け流し。チャイムが鳴る三分前には「閉めまーす」と半ば無理やり他を追い出して、二人だけの図書館を三分間楽しむ。と言ってもするのはやっぱり漫画を読むことだけで。でも、それだけでも、充分だから。二人だけの静かな図書室、聞こえるのは秒針の刻む音とページをめくる音だけ。たったそれだけで、この世界の全てを手にしたような、そんな気持ち。それを優しく破壊するのはチャイムの音。  鍵返しに行こっか 「そうね。閉めまーす」 他には誰もいないのに、そう言って鍵をかける。あの時も、そうだった。……あの時? あの時って、いつだろう。  次授業何? 「あーえっと、国語かな?」  国語!? やばいじゃん 急がなきゃ 「国語はマジ先生怖い。国語だけは寝れん」 国語で寝るなんてそんなのもはや自殺行為だ。  じゃあまたね 「うん、また」  国語がんばれー 「ありがとー!満弥もがんばってねー!」 教室に飛び込み、教科書を用意する。  おい、漢字のワーク今何番だよ 「ん? 五十三だけど」 へーえ、とまるで興味のないように前を向いたが、あの様子じゃオレが勝っているのだろう。ワークの進み具合の競争など、はっきり言えばくだらないのだが。くだらないことが重要で、いつだって真ん中にあって。くだらないことを源に、必死に何かをしたり、笑ったりするのだ。 国語だけしっかり受けて、六時間目はまた寝て。掃除時間は適当に済ませて清掃場所で駄弁る。本当にくだらない。くだらなすぎる。ホームルームが終わればのんびり荷物を片付けて、水木や昂希とまた駄弁る。 「今日はゆっくりか。五組まだ終わってないっぽいもんね」  おう 「幸衣さん待ち?」  待たないと怒られるからな 他の人にそう言われればわかりやすく嘘をついてはぐらかすのに。中途半端な“特別扱い”は嫌いだ。それを信頼として受け取っていいのか、諦めとして受けとればいいのか。 「五組、終わったよ」  おう 「またね」  ん 小方のクラスは、まだのようだ。  君らってさあ それで付き合ってないんだもんね 「幸衣待ちしてる男ですぜ? なんか出る幕ありませんて」  昂希が悪いのか 「そうね」 どうしてだろう。何か、胸が痛い。昂希のことなんてなんとも思っちゃいないのに。まるで、昂希に恋してるみたいだ。そんなわけない。そんなわけ、ないじゃないか。そんなわけ、ない。 ――今は、まだ――  じゃあウチもそろそろ行くわ またね 「ああ、うん、またね」 自分もそろそろ行こう、小方のクラスも終わる頃だ。 ウチはまだ、昂希のこと、好きじゃないんだよな。
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