紛い物、馬鹿、気休め

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紛い物、馬鹿、気休め

なあ、今日って何日、と問おうとして、はっと口を噤んだ。いつまでたっても卒業式前でいなくちゃいけない。何日、なんて、禁句だ。す、と目を細める。 どうして いや、違う。こんな考えは違う。間違ってる。 ここは ここが本当で、本物なんだ。そうだろう?昂希、水木、小方、満弥、ウチを否定してくれ。何ふざけたこと言ってんだって。授業集中しろよって。 現実じゃ ここは現実だ、現実なんだ。昂希が言う、水木も言う。小方と満弥は、クラスが違うから、それはいい。彼らはきっと言ってくれる。そうだろう?ここは、こここそが、ウチが見ているこの世界が、 「ピストルスター‼︎」 切り裂いた。  …知り合い? 「さあ。知らないよ。そもそもピストルスターってなんだろ」 ウチはピストルスターじゃない。坂口香乃、中学三年生だ。 「授業中だってのにうるさいね」  あれだろ、ほら、ちょっと頭のネジどうかしてんだよ  お前それはひどくね? あんな人たち、ウチは知らない。今は授業中なんだ、邪魔しないでくれ。 「ねぇ、そういえばさ、変なこと聞くけどさ」  いつもの事だろ 「ここって、現実、だよね?」  はぁ?  何言ってんだよ、そうに決まっ 「ピストルスター! 何してんの! そこは現実なんかじゃない!」 ……うるさい。あの学校から浜辺など見えるわけもないのに、見えてしまうのは、あいつらのせいだ。教室の壁が、浜辺に見える。 「あーやっべえ、ウチとうとう目までブッ壊れたらしいんだけど」  頭が壊れてるなら目が壊れてもおかしくねえな  元からじゃないの 「お二人様が冷たくて悲しい」  いつもじゃん  いやそれアンタ特大ブーメランだよ 「うんまぁ、知ってたけど」 そうだよな、ここが現実なんだ。間違いない。ウチが見ている世界は、間違ってなんかいない。これが正解なんだ。よかった。 「ピストルっ!」 ピシッ 突然誰かがウチの頬をひっぱ叩いた。 「……誰よ。」 知らない。こんな人知らない。ウチに似てるけど、こんないきなりビンタ食らわせてくるようなやつ、ウチは知らない。 「アンタ誰。知らないんだけど。授業中に話しかけてこないでくんない?」 手を払いのけて言う。 「、アンタみたいなやつ、知らないから」 自分そっくりなやつ。気持ち悪い。寄ってこないでほしい。現実に自分そっくりなやつが何人もいるわけない。自分の泣きっ面など見てもなんとも思わないし、むしろ不快だ。 「アンタさぁっ、一ヵ月も帰ってこないと思ったら、こんなところで何してるわけ? ふざけたことしてないでとっととあの島戻ろうよ」 最悪だ。ウチはクラスで目立つほうではないし、目立つことはできるならとことんしたくない。これでは本当にクラス内で目立ってしまう。 「触んないで。話しかけないで。ウチはアンタらみたいなのは知らない。授業の邪魔。不快。鬱陶しい」 何度手を払いのければいいのだろう。 「っ、ホント、バカなの⁉︎」 手が伸びてきて、ウチの横っ面をぶっ叩いた。ぐい、と胸元を引っ張られて、腰が椅子から浮きそうになる。ぐっと近づいた顔は、ウチよりずっと大人で、それでいてどこかウチに似ていた。 「ちょっと、チャージ伸びる、」 「ジャージ? なんで中学の着てんのよ、アンタは高校一年だろが。ここが中学だとでも思ってんの? 馬鹿なの? もう中学はアンタのじゃない。昂希も、水木も、小方も、満弥も、もういない。ここにいるわけない。ここは現実じゃねえっつってんだろが。くっだらない夢見てないでとっとと目ェ覚ませよ馬鹿がっ!」 ……馬鹿で結構。胸元をつかむ腕をウチも掴み返した。 「くだらない? ウチは中三、坂口香乃だ! ここはウチの中学で、昂希も、水木も、小方も、満弥も、ここにいる。戻るって何? あの島ってどこ。ここにウチの家がある、学校がある。ウチの帰る場所はここにあるんだよ!」 「いい加減気付けよ! いくら中学のナリしたってお前はショートヘアのまんまだ、あの頃みたいなロングには戻ってねーだろ! いくら足掻いても現実にはもう戻れねえの!」 ……本当は。本当は、わかってるんだ。ここは現実でも何でもなくて。勝手に自分で作り上げた偽物で。本物の現実ではもう、みんな二十二歳で、大人になって、成長して、中学なんてもうとっくに過去で。捨てられた自分はもう成長しないから、こうして虚しいものにしがみついて。中学で共に過ごした彼らはもう現実ではどこにも存在しないから、この心の中にしかいないわけで。そんなのに縋る自分は、ひどくちっぽけなのだと。 気づくと、広がっているのは砂浜で、教室はもうどこにもなかった。胸ぐらをねーちゃんがつかんでいて、後ろにアムカやオトモダチやギャルもどきや小四なんかが心配げに突っ立っていた。はは、と意味もなく笑う。消えてしまったのだ。あんなにも必死になって創り上げた虚無の現実は、消えてしまった。ははははは、と、馬鹿みたいに、それでもさっきまでよりずっと正しい心を持って、笑った。目から何かが流れた。 「……、馬鹿だね。」 自分は今笑っていて、それでいて泣いていて。本当に不細工なのだろうなぁ、と余計無意味に笑う。 「……明日、島に戻るから。だから、もう一日だけ、ここにいさせてほしい」 きっとあの扉をくぐれば、きっとまた、もう一度だけ、あの現実紛いのところに行ける気がするのだ。そんなの気休めにしか過ぎないし、たった一日そこで過ごしたからとて、気持ちに区切りがつくわけでもない。ただ一時、自分を満足させるための娯楽だ。 「明日中に、ちゃんと戻るから、だから、もう少しだけ、ここにいさせてください」 自分はちっぽけで、弱くて、愚かで、醜くて、馬鹿なのだという事は、もうとっくに知っている。今までも、今も、この先もずっと幼稚なのだと言うことだってわかっている。そう、自分が馬鹿なのだ。こんな偽物にすがっているのだ。もう少ししたら、馬鹿を隠すから、もう少しだけ、馬鹿で醜い自分を露呈させたままにさせてくれ。 「明日中に絶対戻るんだな?」 「うん」 「明日中に帰ってこなかったら鞭でもなんでも持って狩りに来るから」 「ふ、うん」 一日でいい。その一日で、オレの思い出を辿るから。 「待ってるから」 オトモダチがそう言って踵を返す。アムカはただ、 「右に同じ」 と呟く。 ギャルもどきはというと相変わらずで。 「えっと、帰ってきたらタピオカ飲みに行く?」 きっともう現実ではタピオカも過去の物になっているのかもでしょ、と心の中で嘲笑ったが、今回くらい付き合ってやってもいいかもしれない、と思った。小四は言葉を探しているようなので、やっとこさ立ち上がって小四の頭を撫でてやった。 「心配かけたね」 でも、謝らない。絶対謝ったりなんかするもんか、と心に決めている。謝ったら、みんなを否定してしまうじゃないか。心の中で創り上げた彼らはもちろん偽物なのだけど、彼らを否定するようなことはしたくない。たしかに島ではオレの行方を気にかけたのかもしれないけれど、オレはそれに対し謝るべきことは何もない。謝罪などしない。罪なんて犯してないのだから。 「じゃあ、俺らは帰るね」 「うん、また」 早く帰ってくれ、と言わんばかりにオレは言う。舟に乗って去っていく彼らの影をしばらく見つめていた。そしてまた、あの扉に向き合う。中三としてではなく、哀れで愚かな卒業生として、あの空間に、戻らせてください。あと一度だけ。あと一度の、気休めのために。おそらく人生最後の、オレが見る俺がいた空間へ。扉を押す。 近所にあるスーパーの前だった。
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