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卒業生、辿る、可惜夜
このスーパーで週刊誌を立ち読みしていたら、広に会ったことがある。なんでこんな適・the・当なカッコの時に! と心の中で叫んだなぁ、なんて。
我が家には三度ほど部活仲間が襲撃してきた。一度は共に映画やアニメを見るなんてこともしたが、あとは立ち話程度だ。そういや作りたてのお菓子をかっさらわれたこともあったな、と考えると苦々しく、でもどこか暖かくなってくる。もうよそう。
家の中は相変わらずだ。大好きな漫画やアニメを見て涙したり、母から説教をくらったり。布団の中で泣きながら自傷をしたり。苦しかったなぁ、などと思うが、あの当時は言葉で言い尽くしえぬ苦しみを味わっていたのだ。正直、今となるとあまり覚えていない。その代わり別の苦しさ、馬鹿な苦しさがある。
机の引き出し、一段目。昂希に宛てた一生出すつもりのない手紙。泣きながら書いたせいか、そのノートの切れ端はカサカサに波うっている。ずっと言えなかったけど、感謝しているたくさんのこと。楽しかったこと。好きなところ。やはりただの恋だったんじゃないか。もうなんだっていい。昂希が大切だった。
引き出し二段目。自殺に使おうとした縄、薬。今も捨てられていない。
引き出し三段目。卒業アルバム。あ、小方だ、あ、満弥だ、とページをめくって、手が止まった。昂希。昂希が不器用に笑っている。お前に言われたくねえ、と心の中から声がした。自分はと言うと――不器用を通り越して不細工だ。顔が引き攣っている。昂希はこんな顔していたのだっけ。でもこれは夏に撮った写真。コンタクトにしてからの昂希は、卒業式の後オレと撮った写真と、オレの心の中にしかいない。卒業アルバムの最後、寄せ書きの欄は見事にスカスカだ。真ん中に小方がでかでかと「大好き!!!」と書いているので、辛うじて半分は埋まっているように見えるが。小方、満弥、水木、同じクラスの女子、気まぐれで書いてくれた女子、同じ漫画が好きだった男子一人と女子一人、それから、昂希。みんな大体「大好き!」と書いているのに対し(もちろんもう一人の男子はそんなこと書いちゃいないが)、昂希のは何が言いたいのかまるでわからない。オレは、わかるけど。他の人に「これ何が言いたいの?」と聞かれても、オレはただ「さあね」と言うだけ。他の人に教えてたまるものか。昂希とオレ以外は知らなくていい。実の昂希はもう忘れているかもしれないが。雨のせいで卒アルは濡れていて、ペンでうまく書けなくて。薄れてしまっているのが残念なような、それでも、それがオレたちらしいとでも言うか。いつだって締まりなくて中途半端。それでいいじゃないか。汚い字に目を落とす。
ロッキー山脈 昂希
何が言いたいんだよ。オレは書いてもらった直後そう言ったっけ。昂希はただ笑っていた。でもオレはわかっていた。昂希が何を書くか悩んでいる時つぶやいていた言葉が聞こえていたから。
「A lot of thank you……」
そう小さく小さく呟いて、はっとしたようにロッキー山脈でいいか? と尋ねた。なにそれ、意味わかんねえ、とオレは返したけれど。その通り書いてくれよ、と心の中で言うのだ。それともアルプスか? ヒマラヤか? アンデスもアリだな、どれがいい? なんて。オレは今にも泣きそうだった。最後の最後までオレたちはくだらない。アホくさくて、バカで……こんなにも愛しい。あの時「ありがとう」と言ったオレの声は、震えていたかもしれない。
夕飯を食べる。風呂に入る。漫画を読む。布団に潜り込む。何でもないそのひとかけらひとかけらが、今は特別だ。オレはきっともう、二度とこのありきたりな日常には戻れないのだから。寝るのが惜しい。できることならいつまでも思い出を漁っていたい。それでも、寝なければいけない。明日は、学校だ。
小方のマンションに続く坂を登りながら思う。ここはいつも向かい風が強く、チャリが全然進んでくれない。スカートがめくれるのなんて、やがて気にしなくなってしまった。どうせ中に短パンを履いているのだから。
小方のマンションのロビーでいつもオレは寝てしまって。五分だけ休もうぜ、なんて二人で目を閉じたら最後、十五分後だったことも。朝会! やばい! ワンチャンいなくてもバレないヤツ、いやさすがにまずい、なんて、目に見えていたことだっただろうに。
登下校の道中、春先になるといつもオタマジャクシがいる池がある。田舎とは言え、そこまでのド田舎ではないので、もちろん民家の池だ。でも歩道、しかも通学路に面した池、なんて遊ぶためにあるようなもの。おたまじゃくしを掬って遊んでいた。夏には水をかけあい、冬には雪合戦をし。なんだよ、オレ、普通にアオハルできてたんじゃないか。自分はなんて馬鹿なのだろう。何度自分に「馬鹿だ」と言えばいいのだろう。神社の桜の木の下で何分も喋ったり。田んぼの真ん中の道を通ってみたり。バスに二人しかいない時は、
「どこまで行きます千花子さん?」
「香乃さんとならどこまでも行けるわよ?」
なんてくだらないことを言ってみたり。学校では階段の踊り場でいつまでも喋って。図書室に入り浸って。トイレ私も行くーなんてついてくるやつらと適当に付き合い。本当に、いつだってくだらない。中学校、早く終われ、こんな楽しくない所、早く終わってしまえ、なんて、その時は、それが全てだったからそう思っていたのだけれど。卒業式とか絶対に泣けない。そう思っていた。確かにそれはその通りで、卒業式で、いや、学校で、その帰り道で泣く事はなかった。泣く要素がない、などと言ったが、それは全くの逆となった。泣きたいことが積みあがりすぎて、どこからどう泣けばいいのかわからなくなってしまったのだ。明日からもう自分たちがここの生徒ではないこと、学校へ行っても自分のクラスも学年もないこと、小方や昂希ともう同じ場所へ通う事は無いのだということ。受け入れられなかった。明日だってここへ来て、楽しくくだらない日々を過ごすんじゃないかと。自分が今まで中学校生活を楽しんでこなかったツケが一気に回ってきたように感じられた。家に帰って遅すぎる昼食を口に運んでいると、なぜか不意に涙が溢れてきてしまった。あの時食べたパンのしょっぱさは、今でも覚えている。
学校に入っても、誰もいない。下駄箱に名前はないし、掲示物もない。自分のだった下駄箱を拝借し、中ズックに変える。久しぶりに履く中学の中ズックはとても履きづらい。足に馴染むまでしばらくかかりそうだ。
一階を見て回る。被服室。文化祭で短パンを作った時、オレや昂希はかなり早く作り終わったのだが、部活行きたくなさから二人して周りに紛れて居残りをし、部活をサボった。バレねえ? 大丈夫っしょ、などと言っていたが、きっと先生は気づいていたのだろう。懐かしい会話が蘇る。
「なぁ、そういやさ」
「何」
「この前担任に香乃とどういう関係なのって聞かれたんだけど」
「へー……は? アンタどう答えたのさ」
「別に、姉同士が仲よかった名残ですーって」
「だよねー。何聞いてくれちゃってんだか」
やはりオレたちは好き合っている者同士に見えたのだろうか。当時のオレとしては、幸衣の方がよっぽどそう見えるでしょ、と思ったし、今もそう思うが、どうだったのだろう。周りの意見を聞いてみたいようで、少しためらわれた。どちらにしろそうする事はもう叶わない。もう分かりようのない事だ。でももしも、オレたちが恋人同士に見えていたと言うのなら――余計胸が痛くなるのはどうしてだろう。
被服室から逃げるように飛び出し、調理室へ向かう。ここにもまた、思い出。二年生の時だっただろうか、調理実習で肉まんを作った。小麦粉などで作った皮を手のひらほどに広げるわけだが。
「……なあ」
「何?」
「皮を手のひらサイズに伸ばすって、何回やっても破れないか?」
そう言う昂希の手には、伸ばしすぎてやぶけた肉まんの皮。
「あっははは、アンタ自分の手のひらの大きさ考えなよ、アンタ手のひらバカみたいにデカいじゃん。それに律儀に合わせてりゃそりゃ破れるって!」
面白すぎた。肉まんは美味しかった。にしても、わざわざ他の班だったオレに言いに来る必要などないのに。そういった行動のせいで誤解されるんじゃないだろうか。
そういえば部活の三送会もここでやった。一、二年の時は参加したが、三年の時は後輩が嫌いだったので女子みんなして行かなかった。後輩はそもそも部活に来る人が少ないし、久しぶりに来たかと思えば問題を起こす。でも、三年だけでいろいろなことを楽しんだので、別に構わなかったが。まぁ後輩なんかの話はどうでもいい。科学部の三送会は毎年ホットケーキだった。一年の時はどうしてかみんな下手くそで、ほぼ全部生焼けだった。オレはと言うと、せっかくうまく焼けたものを床に落とし、副部長に「ちゃんと捨てましたか⁉︎」と怒られた。悲惨、としか言いようがない。二年の時は逆にみんな腕が上がりすぎて、余った卵でオムレツやだし巻き卵なんかを作った。やはり三年の時も行くべきだったか。いや、また生焼けの生地を食わされるかもしれない。そんなのもうごめんだ。
ぺたりぺたりとプールへ行く。オレは肋骨ほどまでに髪が長かったが、いつもまとめていたので、そこまで髪が長いとは思われていなかった。プールの後、シャワーで髪を洗い終わって振り返ると、昂希が、正しくは昂希の輪郭をした人がいた。お互い眼鏡がないと全く見えないのだ。
「……昂希?」
「ああ、お前か。そんなに髪長かったか」
「うん」
お互い眼鏡がないので目つきが悪い。
「別人かよ」
「えー、褒め言葉ってことで受け取っていい?」
「……ソーデスネー」
「ドーモー」
昂希は今の髪を切ったオレにも何か言うのだろうか。でもそれは褒め言葉でも何でもないだろう。ただの感想。そうであって欲しい、と思う。
プール清掃の時のことも思い出される。プール清掃ではたくさんの水を使うが、プールの外で蛇口からバケツに水を汲む仕事を昂希がしていた。それをほんの少し手伝ったのだが。オレたちのことだ、ものの数分で服はびしょ濡れになってしまった。昂希とオレが水回りで作業をし始めたその時点でそうなる未来は見えていたが。「お前らふざけんな!」と先生に怒られたのはただのおまけ。
グラウンドに出る。体育祭、競技リーダーを昂希がしていて、アナウンスをしていた時は、「やっぱコイツ無駄に声いいよな」と思ったのを覚えてる。よく通るバスで、聞きやすいのはいいが、内緒話が上手にできない。少し声をひそめる程度では、よく声が通るので周りに聞こえてしまうのだ。めちゃくちゃ声をひそめ、こっちが耳を近づけるより他ない。声優さん系統の声ならドキドキするかもしれないが、あいにくというかありがたくそうではないので、耳元でニュースキャスターがしゃべっているのを聞くような気分だ。本気でニュースキャスターにでもなればいいのではとさえ思う。声の話はここら辺で置いておこう。体育祭の時、小方は足首をひねっていたにもかかわらず、リレーと大縄に出たいと言って聞かなかった。なんだかんだ小方はそういうのが好きなのだ。オレたちのクラスは大縄で学校ギネスを出して、泣くほど喜んだ。水木とハイタッチをしたが、お互い強すぎて悶絶した。オレたちの組団は競技の部一位、総合三位だった。五組はオレたちが僅差で競技の部で一位をとらなければオール一位だったので(もちろんそこは裏で大人の事情と称する何かがあったのではとみんな考えている。競技は実力通りだが、応援の部、団結の部に関しては先生たちの判断だからだ。基本そのどちらも同じ組団が一位なんて事はないだろう。)余計四、五組の仲が悪くなってしまった。でも勝利をひたすら追う五組に比べて、オレたち四組は全校で一番楽しんでいたように思うから、それでいい。十分満足だ。
科学部が活動場所として使っていた技術室も一階にある。皆で遊んで、時々漫画を読んだり、お菓子を食べたり。めったに来ないが、うっかり顧問が来た時の団結力は並じゃない。漫画を仕舞い、部で使っている科学部らしい物をさっと出し、実験を始める。よくやったのはあるあるな体の実験だ。両手の中指を曲げてくっつけるとどうしても薬指が離せなくなる……といった風に。普段はただ遊び呆けているわけだから、さながら部活時間は全うする帰宅部といったところだろうか。特別楽しかったと言うわけではないが、本当につまらなかったわけでもない。それくらいがちょうどよかったのかもしれない。
理科室へ来た。理科室では大体みんな席をシャッフルしていたので、よく水木と一緒に座ったものだ。先生も気づいていないのか言わないだけなのか知らないが、注意しないので自由になってしまう。それと、ここで体育祭の横断幕を作った。組団ごとのスローガンを横断幕にする。オレらの組団はたしか昂希が考えたスローガンで、横断幕をデザインしたのはオレ。自分で言うのもどうかと思うが、自分たちのクラスの横断幕が一番かっこいいと思う。
職員玄関。夏休みなど長期休みの時は科学部がここの掃除をした。雑巾リレー、エアギター、竿燈祭り、魔法少女、野球にホッケー……よくもまぁ箒と雑巾だけであれほど楽しめたものだ。バカどもはここで、バカみたいに楽しんでいた。
二階へ続く階段を見上げる。ここがよく掃除場所だった。掃除しているふりだけで、普通にあぐらをかいて、水木や昂希とくっちゃべったっけ。そっと床にしゃがんでその一ヶ所をなでる。そこだけワックスが剥がれて白い。突然昂希が床をひたすらガチで磨いたせいで、そこだけワックスが剥げてしまったのだ。本当にバカみたいだ。そんなことする必要なんてないし、疲れるだけだと言うのに。
たんたん、と二階へ上がる。音楽室、美術室、職員室、保健室。どこから行こう。迷ったが音楽室から行くことにした。オレはソプラノのパートリーダーで、昂希がバスのパートリーダーだった。本当はパートリーダーなどする柄ではないが、水木に「音取りをやりたいからパートリーダーをしてくれ」と頼み込まれてする羽目になった。パートリーダー同士での話し合いの時間は楽しくなかったと言えば嘘になるが。あとはクラス合唱でソロをやる部分があったのだが、それもまた水木に頼まれて一緒にオーディションを受けた。合格するのは男子一人、女子一人。オーディションを受けたのは水木、オレ、昂希、テノールのパートリーダーだった。結果から言えば、受かったのは水木とテノールのパートリーダー。オレはクラスに仲良い人がほとんどいないのにしゃりしゃりオーディションを受けて、そのくせ落ちたので、教室に戻るのに少し気遅れした。でもそんな時背を押してくれたのは、やはり昂希。
「あー、お前、うん、ちゃんと声高かったんだな」
「……失礼なの?」
「いやだって普段そんな声じゃん。低いから」
「褒められてんのか貶されてんのかわかんない」
「お好きなようにとって下さい」
「じゃあ貶されてる」
「え、普通いい方に取らない?」
「ナルシかよ。まぁ、ホントに褒めてんなら別だけど?」
「いや別にそこまで褒めてるわけでは」
「ほら見ろ」
オレも一言言ってやればよかった。学年で一番歌上手いのって、アンタだと思うけど、と。そんなことも言えずに、オレたちは教室についてしまった。
「お先にどうぞ」
「いえここはレディーファーストで」
なんだ、やっぱり自分だってちょっと気まずかったんじゃないか。ソロを募集された時、最初にクラスで一人手を挙げたのは、昂希だったものな。それなのに、どうして。オレなんかのことも、他人のことも、慰めようとしてくれたんだ。昂希はいつもお人好しで、優しくて……馬鹿だ。
「都合よくレディーファースト言わないでよ」
「女性を差し置いて俺なんかが行くのは、ねぇ」
「女だって思ってないくせによく言うわ」
笑いながらドアを開けてやった、気がする。
「お先にどうぞ」
「いえ。レディーファーストで」
「レディーがドア開けてやったってのに」
「じゃあ俺がドア持ちますんで」
「いやドア持つもなにも引き戸ですから」
「とにかくはよ行けよ!」
「収集つかねえなあ。行くよ」
「行けよ」
二人ほぼ同時に入った教室は、やはりオレにとって冷たく感じられたけれど、昂希といたからか、ほんの少しだけ暖かかった。
保健室は懐かしい薬の匂い、いや香りがした。オレは保健室そこそこの常連だった。熱を出したり怪我をしたり……一番多かったのは突き指だろう。運動は得意じゃないし(むしろ下手)、積極性もないし、スポーツができるイケイケ系女子に混ざれるような陽キャでもない。それにオレはなぜか指が長くて細かったので、その二つが相まって、ぼーっとしてるところにバスケなど硬いボールが来ると、慌てて変に手を出してしまい、すぐ突き指をしてしまうのだ。保健室の先生はオレが来るといつも
「今度はどの指?」
と尋ねるようになった。時々
「指じゃなくて熱ッス」
と言うこともあったけど。熱が出た時は、大体小方か水木がオレを保健室に引っ張っていった。もちろん教室にいたいわけなどないが、保健室に行くとサボリだの仮病だの言われる気がして、あまり行きたくなかったのだ。目立つし。
保健室の隣の隣が職員室。ボロボロになった木札の付いた鍵を手に取る。そうだ、図書室の鍵は取っておこう。これから行くのだから。職員室に呼び出されて説教された事は、おそらくない。中一の時一度こっぴどく怒られたくらいだ。あれが人生一番の説教で違いない。小学の時の先生を全力でバカにした絵が見つかったのだ。オレが描いた絵が男子のところに行って、その男子が違う男子に回して、そいつがその絵を机の上なんかに出していたから。オレがこっぴどく怒られる羽目になった。バカめ。若干トラウマだ。
よし、美術室へ行こう。飾られている姉の作品も、刻まれた思い出も、受け止める準備はできてるか?…いや、できているわけなどない。
美術室。美術室の席順はずっと出席番号順だったので、前は水木、斜め前は昂希だった。結局中学最後の席順と何ら変わらない。変わるのはオレの隣がいるかいないかだけ。小林英士。こいつは中学最後のテストの日オレに告ってきやがった。下駄箱に恋文(ラブレターと言うのを気後れした小方とオレは和テイストで行くことにした)を入れたまではある意味王道なのだが、その恋文とやらを開いて「?」を浮かべることとなる。
絶対大切にします。付き合ってください。
答えはここに→〔 〕
「回答欄がある恋文って初めて見たな」
「バッ、お前何見てんだよ!てか恋文って……なんか変じゃね?」
「じゃあカタカナで言ってあげようか」
「あーいや遠慮します」
水木はと言うと、まさかの英士とグルだったらしい。
「いやーLINEでさぁ、香乃に告りたいんだけどって相談されたんだけど、まさかテストの日だったとはねー。で?? どうするん????」
「……楽しんでいらっしゃいますな」
あの日、一時間目の国語。素晴らしくうっかりなケアレスミスで百点を逃したのは五十パーセント英士のせいだろう。テストの日はない。ついでにテストで順位一桁取れなかったのも英士のせいと言うことにしよう。
フツーに自分のせいだろが。
心の中の昂希がそう言う。うっさいな、わかってるよ。その日の昼食中も水木は気になって仕方がないようだった。
「で? どうするん? どうするん? リア充なっちゃう?」
「リア充って響きがそもそもいや」
「カップル」
「もっと嫌ですね」
「リア充なっちゃえよー」
「リア充ってなんかめんどいじゃん。あいつのこと特別好きじゃないし」
「うわー。でも嫌いではないっしょ?」
「嫌いではないと思うけど……」
今は嫌いでもないかもしれないが。胸の奥が痛くなる。昔の記憶が突かれる。怖い。
「……アイツが人生初カレってなんか嫌じゃん」
「お前失礼やなー」
その言葉に嘘も偽りもない。英士と付き合いたくない一番の理由では無い、それだけ。
「あの、聞いていいですかね」
「なんですか昂希さん」
「そーゆー、ことですか?」
「どーゆーことですか?」
「だから……そーゆーこと」
「えーどーゆーことだろー」
「だから……告られたん?」
「さあ? なんのこと?」
「だって話の流れ的に、さ」
今思うと、流れも何も思いっきりそうだっただろうに。
「あーもうそういうことでいいんじゃない?」
「マジかよくそ意外」
「この人くそ失礼やな」
「で? どうすんの?」
「で? 誰?」
「とりあえずテスト終わってからよなー」
テストの日ほどタイミングの悪い日はない。一日目のテストはそんな調子でぼーっとしていた。
テスト二日目。午前はテストで、午後は教室のワックスがけ。いい加減返事しなきゃ……と言うことで飯が喉を通らなかった。
「OKですって書いていい?」
「ふざけんな死ね」
「こちらこそよろしくです! って書くね。」
「バルス」
告られたことはあっても、ほとんどが小学の時だったため、一体どんな感じにフればいいのか見当がつかなかった。
「どうフられれば嬉しい? 男子的に」
「フられるに嬉しいもクソもねえけど?」
「うんそうなんだけど、ダメージ少ない?」
「えー、フるならちゃんとフりつつダメージも少なく……」
「だからそれがわかんないんじゃん」
昂希。アンタはオレをずっと釣り針にかけていたんだ。逃しもしなければ釣り上げることもせず。オレは一人馬鹿みたいに動き回って、馬鹿みたいに傷ついた、苦しんだ。昂希はオレに釣り針をかけたとすら思ってないかもしれない。オレが勝手にかかっただけ。満弥や他の人は昂希のことを酷いと言った。そうなのかもしれない。そうなのかもしれないけれど。それは昂希の優しさで、天然な所。だから、昂希は何も悪くない。
教室のほんとに隅っこ、教室の壁とストーブの間のわずかな隙間に挟まって、ワックスを剥がしているふりをした。なんて返事するかなぁ、なんてぼーっと考えてると、昂希と目が合った。昂希は本当に狭い隙間にはまってるオレを見てめちゃくちゃに笑ったっけ。どうすりゃいいかわかんない、と口パクで言うと、がんばれーとジェスチャーをよこした。いつだってアイツはなんか腹が立つやつだ。結局そこでストーブを下敷きに返事を書いた。
ごめんなさい 今誰かと付き合うつもりないので アニメの話ならいつでもどうぞ
ワックス清掃をちょっぴり抜け出して下駄箱に返事を入れに行った後、昂希に呼び止められた。
「OK? したん?」
「するわけないでしょバーカ」
「えねえまじで誰?」
「えーじゃあ今日の帰りに教えるから」
「マジ? 言ったな?」
「はいはい教えればいいんでしょ。でもアンタが他人に広めたりするようなヤローじゃないって言う前提なんだけど?」
「その辺は信用していただいて大丈夫です」
「了解です」
その日は三人で帰った。小方、オレ、昂希。昂希がオレらの少し前を歩いていて、オレと小方は普通に喋ってて。時々オレが そこ右曲がってー だのなんだの昂希に言っていた。 マンションのところで小方と別れた途端、昂希が尋ね始める。
「で?何組?」
「……四」
「ウソ同じクラス? 絶対他のクラスだと思ってたんだけど」
「なんか地味に失礼」
「四組……仲良い?」
「仲いいって言えばいいのかな……話せないわけじゃないよ」
「え、もうかなり絞られたじゃん。夏瀬か英士か……」
夏瀬も懐かしい。昂希や満弥と同じ高校へ進んだはず。クラスで仲が良い男子は昂希と夏瀬ぐらいで、そこに英士を入れるか入れないかが微妙なところ。夏瀬は帰国子女で、中三の時同じクラスに転入してきたのだが、小学の時はこっちにいたらしいので、知ってる人も多かった。満弥は「めっちゃいい人だよ〜」と言うが、身長は馬鹿みたいに高いしデカいし…特別太ってるわけではないが、なにか、デカい。声がデカい、身長が高い。人見知りのオレは当然のようにキョドッていたが、好きなアニメが同じ、成績が同じ位、話せば全然怖くない、と言うことで、やがて打ち解けていった。昂希に並べるほど仲が良く見えたかもしれないが、昂希と夏瀬では、仲の良さの種類、とでも言えば良いだろうか、信頼の仕方がその二人は全く違ったのだ。
「夏瀬は告るなら真っ向から告りそうだよな……英士?」
「……おー」
「え、英士なん?」
「……そ」
「えそれマジ? ふざけじゃね?」
「ウチも何の罰ゲームかと思ったんだけど、水木がLINEで相談されたって言うから」
「うわマジかー。別に付き合ってもよかったんじゃないですか?」
「……いやだよ」
「……なんか、あった」
「イエス」
「じゃあ聞かないどく」
聞くと俺の身が危なそう、なんて笑っていたけれど。あの時、聞かないでいてくれたことに対して、ありがとう、と言えばよかった。送りようのない、捨てようのない感謝ばかりが堆積していく。
「なんて断ったん?」
「教えなーい」
「好きな人いるので、ってか?」
「好きな人? 推し? ……三次元に好きな人なんているかなあ。」
「オタクめ」
「え、ウチってヲタク?」
「え、そうじゃん」
「よっしゃー。ヲタク認定って嬉しいよな、ニワカ嫌いだから」
「オタクは褒め言葉か」
「もちろんです」
……好きな人。
「……好きな人って、どうなれば好きな人なん?」
「え? えーそれ俺に聞く?」
「今ここにアンタしかいないじゃん」
「俺に聞かれてもなぁ……なんか、こう、特別なんじゃないの?知らねえ」
なんか、こう、特別。 確かに昂希を意識し始めたのはアムカを認めてもらえたからでもあるけれど。英士のせいでもある。だから、オレが今もこうして苦しんでいるのは英士のせいだ。
押し付けが過ぎる。
心の中の小方が言う。うるさいな、わかってるって。
「でさぁ、フったはいいとして、明日、美術ありますでしょ?」
「……わお」
「最悪ですね気まずすぎます」
「オモシロクナッテマイリマシタ」
「全く面白くないです」
「前の席から応援しています」
「お願いします」
長い長い回想はこの辺までにしよう。あの美術の時間は気まずすぎた。冷たくされたら悲しいだろうし。でも普通に、なんてできるわけもない。五十分間ずっと冷や汗が出ていた。懐かしい。
ボロボロな美術室の机を撫でる。たしか、と机を覗き込んで、笑った。この中学にウチの作った歴史を残したい! なんて、要するにただの落書きだ。自分の名前なんて書きたくないので、推しの名前を書いておいた。このバカめ。
美術と言えば、中学最後の制作は粘土細工だった。小さいケースに入る大きさなら何でも、と言う事だったのだが。昂希が作ったものはと言うと、般若。なんで⁈と思うが、昂希の不思議な性格を考えれば、逆に般若は昂希にぴったりというか、納得できる。まあ、不思議な性格、などオレが言えた話ではない。オレもだいぶ不思議な性格だろう。その般若を昂希からパスされ、水木にパスし、水木にパスされ、夏瀬にパスし……やがてほぼ教室中をぐるっと巡って俺に帰ってきた。今思い出しても笑ってしまう。妙にその般若が上手くできていたものだから。
さてと、と腰を上げる。二階はこんなものだ。三階は後にして四階にでも行くか。図書室に行こう。ページが抜けた古い漫画。三巻が抜けてるシリーズ本。人気で借りるのに苦労する本(一年ほど待てばだいたい苦労せずとも借りられるようになる)。一巻しかない本。下にパラパラ漫画が書いてある本。いろんな本があるものだ。オレはさすがに本への落書きは気が咎めたので、いくつか四葉のクローバーを本に挟み込む程度に留めておいた。図書室の通な楽しみ方をうざったく言うと、本を読む、借りると言った楽しみ方はもちろんだが、図書室、古い図書室ならやはり貸出返却カードだ。誰がいつその本を借り返したか書いておく超アナログなカード。それをチェックするのが好きだった。莉乃さんが借りていた本であるとか。うん十何年ぶりに借りられた本であるとか。自分しか借りてない本であるとか。本は読者と作者、出版社、編集者だけじゃなくて、読者と読者、今と過去それに未来、異世界と現実、たくさんのものを結び合わせる……なんて口に出せばドン引き間違いなしだ。口には出せないポエミーなことも心の中で知ったように言いたくなってしまうのが図書室だ、と感じるのはオレだけだろうか。
学校でうるさくないところなんてほとんどない。図書室だって廊下はうるさい。それでも、図書室だけどうしてか不思議な空気を纏っている。出たくない、と思う。それでも出なければいけない。そう、あの時のように。
卒業式前最後に図書室を開けた時のこと。満弥はその前日を最後と決めていたので、小方とオレで鍵を開けた。いつもは休み時間が終わる三分前に他を追い出すのだが、その日は最後と言うことで、五分前に追い出した。
「……今日で最後ですね」
「んね」
「なんか、アレだね」
「千花子ちゃんに情緒ってものあったんだ」
「お前殺すぞ」
「きゃーこわーい」
二人、カウンターから見慣れた図書室を眺める。
「なんかさぁ、校舎は卒業しても入れるかもだけど、図書室はもう絶対入れないよね」
「あー考えたことなかった」
「寂しいもんですね」
「……そうだな」
「そろそろ、閉めますか」
ん。
鍵を持つ。電気を消す。
「「……閉めます」」
オレの回想の中の小方の声と、今のオレの声が重なった。そうなんだ。卒業したオレは、ここにもう二度と来ることができない。だからやはりここは、偽物の場所。それでも、オレにとっては、本当に大切で、唯一無二の偽物だ。
からん、と鍵を職員室に戻す。ふ、と息を吐いて三階へ続く階段を踏みしめる。階段を登れば、すぐにオレの教室だ。いや、もうオレのではないけれど。少しドキドキしながら教室に入ると、ふわっと何かに包まれた気がした。ここが暖かい場所だったわけでも、楽しい場所だったわけでも、憩いの場だったわけでもない。むしろ毎日冷たかった、苦しかった。それでも確かに今、何かがオレを包んだのだ。
教室。文化祭の時は黒板にたくさん絵を描いて。体育祭の後は何の意味もないセリフをたくさん黒板に書いて、写真を撮って。黒板の一番上に字を書くのは、オレはチビだから大変で、そうすると昂希や夏瀬なんかが「手伝いましょうか?」なんてニヤニヤするから、意地でも爪先立ちをして書いたり。休み時間にどうでもいい落書きをしたり。冬になればストーブの周りに集まって井戸端会議ならぬストーブ端会議をしたっけ。
ここがオレの机で、その前が水木で、その隣が昂希。昂希は隣に聞けばいいこと、言えばいいことをいつもオレに言ってきた。別に水木と仲が悪かったわけでもないのに。本当に、そんなんだから。「なあ、先生寝てる」だの「修正テープ貸してくれさい」だの「この問題解けたかよ」だの。「隣に聞けば?」と言うこともあった。そう言うと「なんとなく習慣で?」と返される。それが迷惑なようで、本当は、嬉しかったんだ。まあ、勉強の時は、単純に。
「隣がこの問題わかってると思うか?」
「……お前失礼やな」
「言い返せないのが悔しいです」
そういや教室で部活を一時間ほどサボったことがあった。昂希と、だけど。部活なんて行きたくなかった。どうせやることもないし。めんどくさいし。どうせ四時から少しサボったって、部活は文化祭前の延長で六時までなのだから、別段問題はない。少しでも時間を潰そうとして、だらだら教室に行って、本を取ってこようとした。運動部はとっくに引退、文化部はもうとっくに部活に行ってる時間。誰もいるまい。そう思って教室に入った。
「……何しに来たんだよ」
「……そっちこそなんで残ってんのさ……」
昂希がめんどくさそうに顔をしかめる。
「何、宿題やらなかったんですかー?」
「忘れたんだようっせーな」
居残りらしかった。本を自分の机からとって、すぐ部活に帰るには何か惜しかった。部活は面白くない。でも、ここには昂希がいる。戻りたくなかった。
「お前部活は?」
「あるけど行きたくないからちょっとサボろっかな。どうせ顧問とか来ねーし。やることもねーし」
「行けよ」
「別にいいじゃん」
昂希の机の横の壁に寄りかかって座る。しばらく他愛もない話をした。授業の話。部活の話。文化祭の話。しばらくすると会話はまちまちになり、昂希は集中し始めるし、オレは、睡魔に負けた。
「おい。起きろよ」
「……なに?」
「バカ、ガチ寝してんじゃねえ。俺終わったから帰るぞ」
手で叩いてくれればよかったのに。ノートで叩かれた頭に、彼のぬくもりがあるわけもない。
「へえ、起こしてくれたんだ」
「じゃなきゃずっと寝てんだろ」
「まぁね」
「いい加減部活行けよ。一時間もすりゃ小方とか探しに来んじゃねーの」
「ウソ一時間⁉︎」
「あんだけ寝てりゃな」
それほど寝てたつもりはなかったが、腕に付いた跡も、時計の針も、正直で。
「じゃ、帰るから。部活行けよ」
「へいへい」
暗い教室から昂希を見送り、自分もいい加減部活に行こうとして、なんでこんな暗い中電気もつけずにいたのか、不思議に思った。
あの日は雨だったのに、今は暖かく陽が射してくる。それに、オレが寄り掛かっている壁の向かいにある机は、昂希が使っていた机じゃない。オレの席だった場所にある机だって、オレのじゃないし、壁にあったはずの掲示物は、何もない。当たり前だ。ここはもう、オレのいるべき場所ではないのだから。それでも体育座りをし、顔を腕に埋める。どうして過去に戻れないのだろう。どうして同じ日は二度と来ないのだろう。どうして?確かに過去を変えては今が崩れる。でも、同じ日をなぞるくらいいいじゃないか。未来に何の影響も与えない。それなのにどうして。オレはただただ、静かに泣いた。オレの教室紛いの場所で。違うよ、あの日は雨で、それなのに電気をつけてなくて、この机はもっと古い茶色の机で、昂希のザックがこの辺にあったんじゃん。この教室は明るくちゃいけない。この机は新しい机じゃいけない。何もないキレイな教室じゃいけない。間違い探しにもならない間違い探し。わかってる。わかってるよ。ここはオレのいた場所じゃない。オレの心が勝手に作った偽物。傾いた陽が無情にオレを暖めた。
帰らないといけない。のろのろと立ち上がって、空っぽの教室を眺めた。またね、と言いたかった。でも、もう「またね 」は許されない。
「……バイバイ」
おかしいな。さっきまで十分泣いたはずなのに。教室をそっと後にする。涙を振り切るように五組の教室を見上げた。五組と四組はめちゃくちゃに仲が悪かった。部活仲間と部延長の最中、暗い校舎で肝試しをした時は、わざとライトを五組のトロフィーに反射させて、五組の友達を叫ばせたっけ。ついでに小方も絶叫したけど。小方は意外とホラー系が苦手で面白い。そんなことを無理に思い出して、はは、と無理に笑った。
「あーあ、帰らないと鬼ねーちゃんに怒られるわー。怖い怖い」
へらへら笑いながら体育館に足を運んだ。ごろり、と真ん中に寝転んで天井を見上げる。そういえばあそこ雨漏りしてたな、スズメが巣作ってたな、いつだったか朝会中にコウモリ飛んできたことあったよな……くだらない記憶が湧いてきて、少し笑みが溢れた。オレたちの卒業した後、体育館の改装工事が行われると聞いた。もうこのボロい体育館はないのか、と思うと、どこか寂しい。文化祭と卒業式以外、ここに何か特別な思い出があるわけでもないのに、やはりどこか寂しく思えてくる。ムク、と体を起こした。
「……帰らなきゃなあ」
なにか明るい曲でも口ずさもう、と思ったのに、流れてくるのは卒業式の曲ばかりで。オレはただひたすらその曲を大声で歌いながら、校舎を出ることしかできなかった。
学校の周りには田んぼしかない。そのせいで花粉症の時期はめちゃくちゃに辛いし、テスト期間はカッコウがうるさい。休日に遊ぶ場所といえばショッピングモールかたいして大きくもない駅ぐらいだ。田舎よなぁ、なんて言ってみるが、自分はここが大好きなのだ。帰り道は冬なんか真っ暗で、小方と寒い眠いとギャアギャア騒ぎながら帰った。わざと遠回りして田んぼの中を帰ったり、雪合戦したり。一人で騒ぐことはできない。一人で雪合戦なんてできない。小方、アンタがいなきゃダメなんだよ。
「あれ、なんだろ、変だな、あれ? 雨なんて降ってたっけ? ああもう……オレなんで泣いてんだろ……」
小方、アンタに会いたい。くだらないことして、言って、爆笑したい。満弥に会いたい。あの優しい笑顔でオレを癒してほしい。水木に会いたい。辛いなぁって言って傷を舐め合いたい。夏瀬に会いたい。アイツと話しているといつも自分の悩みとかがちっぽけに思えたように、オレのこんな執着もちっぽけなんだと思わせて欲しい。昂希に会いたい。ただ、昂希の隣にいたい。なぜオレではいけなかったのだろう。なぜオレは昂希の特別になれなかったのだろう。昂希が昂希の大切な人と幸せになればいいと思う。オレなんかのために昂希が苦しむ必要などないと思う。でもそれと同じほど、どうしてオレじゃダメなんだ、と思ってしまう。勘違いでいいから好きになってくれないかな、など最低な考えだ。昂希を友達にしておきたかった。ただの大切な人のままにしておきたかった。もっと綺麗に好きでいたかった。恋なんてどれも醜いのかもしれない、それでもオレのこの気持ちは、どうしようもなく醜くて、どうしようもなく不器用で。
こんな時にこんなにも空が綺麗じゃなくてもいいのに。雨でも降りしきっていればいい。でも雨はあの日の昂希のいた教室を、小方と走ったディズニーランドを、卒業式の帰り道を、運んできてしまう。曇りはだるかった部活を運んできてしまう。風は小方の家へ急いだ朝を運んできてしまう。晴れは体育祭を、修学旅行を運んできてしまう。空がノッペラボーであれば少しは救われるだろうか。もうこの清々しいまでに美しく切ない夕焼け空が一番適しているのかもしれない。
小方のマンションを見上げる。ほんの出来心でチャイムを鳴らしても、小方の声はしない。ドアは開かない。
「なぁお前んちのベランダなんか引っかかってね?」
外に出て、何もない小方の部屋のベランダを見上げて、つぶやく。
あー……あやっべえ、あれ俺のブラやん!
そう答えてくれなきゃダメじゃないか。そう言ってくれなきゃ、「マジかよとっとと取りに行けよ」とその時みたいに言えないじゃないか。そしてあの時のように爆笑しないと、駄目じゃないか。
なぁ小方、どうしてお前はここにいないんだ。どうしてお前はオレを置いて大人になってしまうんだ。どうしてお前は、オレの手を引いてくれないんだ。首を振って歩き出す。いつも小方と別れてここ歩く時、どこか何か空っぽになってしまったような気がしていた。時々その穴を昂希が埋めてくれたけど。でも今は、もうずっと前から空っぽで、その穴を満たしてくれるものなどどこにもない。この島はその足しにすらならない。この島は一体何なのだろう。オレが何時こんなものを必要としただろうか。みんなに会いたいと言う思いをささやかながら叶えるための場所? それとも現実にはもう二度と戻れないのだと知らしめるための場所? どちらにしろここはオレにとって仮初めの幸せしかもたらさない。偽物の島だ。オレは偽物なんか望んじゃいない。それでもオレは、この偽物の中にいたいと、願ったのだ。
夕闇の中に白いドアが浮かび上がる。これを開けばもうオレはここに戻れないだろう。それでいい。それが正しいこと、のはずなんだ。この世界はどうせただの偽物で、気休めに過ぎない紛い物なんだから。…どうしてこんなにも離れがたいのだろう。ここにオレの求めていたものはない、埋め合わせにもならない、そんな物なのに、オレはそれを欲しいと思っている。いつまでもここにいたい、など馬鹿げたことを思っている。でもいくらオレがここで現実を探したとしても、それは決して見つからないし、見つかりようもない。ここは所詮、ただのよくできた箱庭でしかないのだ。わかっているのに、胸が締め付けられる。
いよいよ陽も沈みそうだ。ふ、と息を吐く。丸いドアノブに手をかけて、引いた。
オレンジ色に染まった海。あぁ、帰りたくない。今すぐこのドアを閉めてしまいたい。それでもオレは、あの日昂希にそうしたように。潤んだ瞳を隠すために笑顔を造り、またね と言うことも叶わず、
「じゃあ、」
とだけ軽く偽物の世界に手を振って、砂浜を踏んだ。
パタン、
と背後で泣ったドアの閉まる音が、あまりに切なくて、目の前に広がる海があまりに美しくて、オレは卒業式の後をなぞっているかのように、一粒涙をこぼした。波に揺れる小舟も、雲一つない空も、ドア以外何もないこの島も、全てが俺オレ虐げているように思えてくる。これでいいんだ、自分がどうかしているだけだ、こんな島に来るべきではなかったのだ、そう言い聞かせて、
オレはこの島を後にする。
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