憎悪、大切な人、裏切り

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憎悪、大切な人、裏切り

「ねーちゃん」 「……何」 玄関からすぐ見える居間のちゃぶ台に座って、ねーちゃんが何かしている。背中越しでよく見えないが、ツンと鼻をつく匂いがするので、ネイルをしているのかとわかった。 「あの島で、いろいろ考えた。たくさん悩んだ。オレは知るべきじゃないことなんだろうし、知れば傷つくと思う。でも、教えて。オレは高校生の間、何をしてた? 何を考えた? 何があって、ねーちゃんがいるの?」 自分は莉乃さんを本気で嫌っちゃいないし、ねーちゃんの言う『同じ人をずっと愛せるのが羨ましい』と思ったこともない。知ったからとてどうなると言うことではない、それはわかっている。自分の言う事はただ蚊帳の外から首を突っ込んでいるだけだと言うことも。こんなのただ自分の好奇心なのだけど、いろいろなこと全て差し置いて、それでも知りたいと思った。受け止める覚悟はあるかと問われれば、首を縦に振ることはできないけど、それでも。 「お茶、二つ持ってきて」 「え?」 「話すと喉乾くってわかんない? アンタだってただ話聞くだけじゃ辛いでしょ」 言葉の意味を理解して、やっと冷蔵庫にお茶を取りに行った。今の時期ならもう氷はいらないかもしれない、と思ったが、一、二個入れて、食べる用にと自分のグラスにまた三個ほど入れた。ねーちゃんの所へ戻ると、めんどくさそうなネイルアートをしている。 「アンタ氷多くね?」 「お気になさらずに」 お茶がなくなった時の逃げ場だ。爪を乾かしながら、ねーちゃんが唇を開いた。でもなかなか言葉は出てこない。 「……どこから、言えばいいかな」 話やすい所からでいいよ、そう言おうとした。でも、指定されたことを話す方が楽なのかもしれない、と思った。わからない。 「俺が捨てられたワケからでもいい?」 ただ首を縦に振る。ねーちゃんが、莉乃さんを嫌いになった理由。 「途中まではちゃんと、可もなく不可もなく、だったよ。でも、途中から許せなくなって。電話すらできなくなった。きっかけはほんとちっちゃいことだったんだけど。ちっちゃいな、心狭いなって、自分でもわかってんだけどさ。所詮十五、六歳の俺はそんな大人でもないし。そんなちっぽけなことで俺はアイツが嫌い、というか無理になった」 一本塗っては乾かし、絵の具をのせ、また乾かし。時折失敗してはめんどくさそうに顔をしかめる。 「なんかアイツが嫌なことあったらしくて。嫌なことあった、辛い、病むって言って、電話で父さんと母さんに泣き付いて。えんえん泣いて。俺はそれが許せなかった。腹が立った。なんでそんな簡単に泣けんのって。俺はできなかった。言いたくても、どうせわかってもらえないし、何の解決にもならないし、逆に辛くなるだけだしって。なのにアイツはすぐ泣いて。辛いことがあったのかもだけど、どうせ大した事じゃない。もしかすると自分にできないことを羨んでるだけなのかもしれないけど、俺はあの人が小さいことをさも大きいことのように泣いているのに腹が立った。もちろんほんとに大変なことかもしれないよ? でもさ、」 何度もマニキュアを拭き取る。なかなか思うようにいかないようだ。 「睡眠導入剤がなきゃ眠れないなんてことないでしょ? 朝は起きれなくて夜はいつまでも寝れないなんてことないでしょ? 布団に入った途端涙が止まらなくなるなんてことないでしょ? 布団に入る前に一回自傷しないと落ち着かないなんてことないでしょ? トイレで死にそうになるくらい首を絞めるなんてことないでしょ? 痣が痛くて腕うごかせなくなるくらい自分を殴ったことなんかないでしょ? ストレスで耳が聞こえなくなるなんてことないでしょ? 目の色がだんだん薄くなってくなることもないでしょ? 体重がぐんと減ることもないでしょ? 好きだったものも食べるのが辛くなっていくなんてこともないでしょ? ちょっと気を抜けば死にそうなんてことないでしょ? 泣きたいのに涙が出てこないなんてことないでしょ? 何をしても楽しくないなんてことないでしょ? 何よりも言ってもらいたい言葉が『死ね』だったことなんてないでしょ? “辛さ”なんて天秤にかけるものじゃないけど、でも、そんな辛さ味わってないのに泣いてすがるなんてわけがわからない。俺の方がずっと辛かった、辛いこと全部言っていいよなんて言われても言った事はほんの少しだった、全部しまい込んだ。明確に理由を言語化はできないけど、とにかく腹が立った」 諦めたようにマニキュアのボトルをキュ、と締めた。ゴシゴシとリムーバーで爪を擦る。 「電話もできなくなった。話せばきっと嫌味か何か言ってしまう。姉を傷つけないためだって、自分にまで嘘ついた。姉から逃げて、自分が傷つかないようにした。だから、結婚するって聞いたとき、あぁ、もう捨てなきゃってわかった。やっと楽になれるんだってわかって、なんか嬉しかった。本当は嫌いになりたいだなんて思ってないし。笑って祝えるなら、それが一番正しい。姉を嫌ってんの、苦しかったから、捨ててしまえば楽になれるって思ってたけど……」 ひょい、と肩をすくめる。 「ご覧の通り、俺は苦しいままだけどね」 人を嫌うのは、どこか苦しい。その人を愛すべきだ、と思っていればなおさら。ねーちゃんは、莉乃さんを愛したくて、でもそれが思うように出来なくて。自分が捨てられたことで、現実の自分はもう心から莉乃さんを愛すことができるのだと。だからねーちゃんは、自分が捨てられたとわかったとき、どこかうれしそうだったのか。 「……そう、か」 気づけばグラスの氷は半分ほど溶けてしまっている。 「はは、その喋り方、やっぱり昂希に似てるね」 もうしょっちゅう昂希に似てると言われるので、なんとも思わなくなってきた。それはもううるさいくらいに言う。 「昂希のどこが好きなん?」 乙女のようにバカにする風ではなく、ただそう問われたので、すぐには言葉が出てこなかった。 「……ウザいけど、心に入りこみすぎはしないし、アイツの前でなら本当の自分になれるし、信頼もできるし? 気兼ねしなくていいというか、そんな感じ?」 あと言い切れることはと言えば。 「顔で選んだのではない」 「はは、そりゃそうだ。じゃあ、小方のどこが好き?」 「以心伝心の仲だし……二人とも黙ってても、二人とも好き勝手同じ時にくっちゃべってても辛くないって言うのは、かなり珍しいと思うんだよね。これだけはマズイってのはお互いわかってたし。通じ合ってた、じゃん」 また話が別の方へ行こうとしているのがわかった。 「そっかそっか、うん。二人を愛してる?」 愛してる。その言葉は何かとても重く感じられた。小方を愛してる。それはそれで間違いないと思う。じゃあ昂希は? 確かに昂希は大切。恋愛的に見ては、多分愛してるとは言えない。そもそも好きのレベルに達しているかすらあやふやなのだから。人間としてどうか、と問われれば――それもまた、わからない。愛している、と言うだけの覚悟なんて持ってない。 「小方を愛してる。それは言える、でも昂希はわかんない。ただ、大切。それだけじゃダメなん?」 「あー、そうだね。聞き方が悪かった。小方と昂希が大切。それでOK?」 コク、と頷く。 「いい、それは絶対変えちゃいけない。小方をずっと愛して。昂希をずっと大切なままにしてて。大切な人を、ずっと大切で特別な人にしてて。広の時みたいに無理矢理、なんかじゃなくて、純粋に愛して。大切にして。それがアンタの幸せ。またどん底に戻りたくなければそうするしかない。同じ人をずっと愛せるって、本当に大事なことだから」 矢継ぎ早にまくし立てるねーちゃん。でも、オレはもう成長しない。 「いや、でも知ってるでしょ? それが辛くてオレはここに来たんじゃん。んでまだ苦しんでる」 「そう、そう。そう……なんだけど。あのね、俺はもうここに来たから大切な人ができない。何かに寄りかかれない。あの人のために頑張ろう、これをしないでおこうっていうのがもうない。そしたらこんな弱虫の俺はどうなると思う? どんどん堕ちてくだけ。死ねもしない。大切な人がいる、それに気付けたってどんだけ幸せだと思ってる? 姉はちゃんとわかってる? 乙女はわかってた? アンタは理解してる?」 もちろん、小方や昂希のような人がいて、支えてくれたというのは類稀なことだ。それはわかってる、つもり。でも、ねーちゃんの言うことを真の意味では理解できてはない。 「アンタを動かしてるのは何? アンタがアムカを捨てた理由は何? 頑張って生きてる理由は何? 大切な人を悲しませたくないからでしょ? 俺は……っ」 [お前が死んだら俺は悲しい] たったその一言で、オレは今まで生きてきた。アムカも捨てた。小方が、昂希が、オレを、自傷を認めてくれたから、オレは自傷をやめようと思った。 「俺だって、ずっと小方を信じていたかった。昂希を大切にしていたかった。昂希が、ただの大切な友人になってほしくて、お前を捨てた。でもね、アンタを捨てたらもう、昂希はただの元クラスメートでしかないんだよ。でも、アンタは拾わなかった。拾ったらまた昂希を面倒ごとに巻き込んでしまうと思ったから。俺から好意を向けられたらアイツは困るだろ? 時々しか連絡取らないって言ったけど、今も昂希はいい相談相手。お互いにね。でも、昂希はいい相談相手だけど、それ以上でも以下でもない。もう、昂希は俺の心の支えになるような存在じゃない」 それは、そうだろう。オレが捨てられたとわかった時から、それはわかっている。やはりどこか苦しいが。 「ただ、小方、だよね」 ぎゅ、とそれ以上に胸が締め付けられる。 「アイツと高校別でしょ。ずっとLINEでしゃべり続けられるようなタイプでもないし。どうしてもなんか疎遠になってしまう。休日とかもお互いなかなか予定が合わなくて会えなかったし。ってなると、どうしても変な考えをしてしまう。小方だってもう高校で新しい友達ができただろう、きっとこれからの人生ずっと仲良くしていくのは高校の友達なんだ、もちろん“友達”のラインは小方だってだいぶ高いけど、コミュ障と言いながら俺よりずっとコミュ力がある小方の事なんだから、高校楽しんでるんだろうな、俺なんてきっともう“過去の友達”だ、中学の友達で、現在進行形の親友とは呼んでもらえないんだろうな、なんて考えてたら、俺だけが小方の親友を名乗るなんて烏滸がましいんじゃないかって思えてきて。俺だけ縋って、また中二の時みたいに、そんなの全部なかったんだって知らされるんじゃないかって。そんなことない、小方は親友だって信じようとするんだけど……どうも、それができなかったみたい」 笑わないでくれ。全てを諦めたように笑わないでくれ。それを悲しむことさえ諦めたように笑わないでくれ。 「会えば、お互い 親友だぜーって言うんだけど、すぐ不安になってしまう。んでその不安を小方に打ち明けることすらできん。信じたいのに、信じられない。今までの全部を否定しそうになる。小方と友情を誓ったことも、小方が俺に言ってくれたことも」 そこでねーちゃんが言葉を切って、オレを見る。 「俺、アンタに謝んなきゃいけない。アンタがアンタなりに考えてやめたことを、またするようになった。本当に悪いと思ってる。また切るようになったのは悪いと思ってる、でも、切ること自体が悪いとは少しも思ってない。矛盾かもだけど」 胸が苦しかった。話の流れ的になんとなくわかっていたけれど。 「……でも、アムカは拾われてないじゃん」 なんとか口から絞り出す。 「自分でも、中学と今、何が違うのか分かんない。もちろんこの島の事なんて知らなかったんだけど、現にアムカは拾われてないワケだしね。多分俺がしてるのは、自分が恨めしいからでも、他の人を傷つけまいとしてるからでもなくて、薬物とかタバコとか、そういう類のものなんだと思う。自己満足で、中毒性がある、悪い習慣」 アムカと大した変わりはないように思えたが、ねーちゃんにとっては、自傷と一口に言っても、前と今では異なっているのだろう。でなければアムカはとっくに拾われている。彼女の今している自傷行為が、タバコで、アンパンで、アイスで、ジャムだと言うならば、きっとこの島にいるアムカを拾う理由なんかない。 小さく頷いてから、ふと思って尋ねた。 「ねーちゃんは今、幸せ?」 ねーちゃんはどこか驚いたようにオレを見て、それから空を、爪を、オレのグラスを順に見た。 「どうかな。常に貧金ではあるけど、日々を送るのに特別困るほど金がないわけではないし、上司や同僚や家族に虐げられてるワケでもないし……俺より大変な状況の人っていっぱいいるだろうから、不幸だ、なんて言えないと思うけど……」 へへっ、と困ったように笑う。 「幸せって、なんだろうね」 大切な人のために生きたいと思えること。辛いことがあっても、この人のために頑張ろうと思って生きること。それがオレにとって、今のオレにとっての幸せ。 「アンタはどうなん。幸せ?」 昂希のことを考える。小方のことを考える。みんなに会えないのは本当に辛い。それでもきっとオレは間違いなく、幸せなんだと思う。それを悩むことがあっても、その全てをひっくるめて、きっとオレは幸せなのだ。 「……きっと、幸せの部類に入るんだろうね」 「羨ましいよ」 おそらく、幸せから脱する一番最初は、自分は幸せなのだ、そうあるべきだと偽り始めることなのではないか、と思う。幸せとは何か、自分は今幸せか…そんなことは特別意識しない日常が、本当に幸せな状態なのでは、と言うようなことを、いつか目にした新聞か雑誌のエッセイで読んだ気がする。でもオレは、そう考えることが確かにあったとして、それでもオレは今きっと幸せなのだと、そう言える。自分は不幸な状況ではない、じゃあ自分は今幸せなんだ、幸せであるべきだ、そう言い聞かせることが最も幸せから遠い状況なんじゃないだろうか。幸せか不幸か、そのどちらかにつこうなんてなかなかできないもの。そんなの、「友達じゃない」とはっきり言える人以外は皆友達だと言うようなものだ。そもそも幸福は状況なんか関係ないと思う。裕福でも空しい日々を送る人はいて、それと同じように物なんてなくても心は満ち足りた人がいる。オレは今確かに幸せで、ねーちゃんはそれを見失った。 「アンタが知りたかったことはこんぐらい?」 「……そうね」 一つ、莉乃さんがささいなことで泣いていたのが許せなかった。一つ、この人のために生きようと思える人を見失って、自傷しない理由や幸せを失った。――そんなところだろうか。もちろんこんなに簡潔にまとめていい話ではないとわかっているけど。 「あと一つだけいい? 今、もし何かの間違いで現実に戻れたとしたら、誰に会いたい?」 そんな間違いあっていいことじゃないでしょ、とねーちゃんは笑って、少し考えてから、言った。 「小方と、満弥と、彩瑛(さえ)と水木に会いたいかな」 少し口を開けてねーちゃんを見た。ねーちゃんが今も小方とかに会いたいと言うのなら、オレは安心して帰るつもりだったし、その点は安心している。けれどある名前が出て、帰るのはもう少ししてからにしようと思った。 「彩瑛って、あの、彩瑛?」 小三から中一まで同じクラス、同じ部活だった、なかなかに付き合いが長い人。仲は悪くなかったけど、特別仲がいいわけでも、『会いたい人』の中に入れるほどの関係でもなかった。オレなら彩瑛の代わりに昂希や夏瀬を入れる。 「そ、あの同じ部活だった彩瑛」 「いや、あの、一つだけと言いながらアレだけど、なんで彩瑛? 高校だって違うし」 「そうだね、一つだけって言ってたのにね。まぁいいけどさ。そこまで仲良しだったわけじゃないから普通か。高校になってアンタを捨てたあと、彩瑛とかが家に襲撃してきてね。その時連絡先交換して、それから延々と毎日話してる。んで、自傷の話になった」 そういえば、中一の時彩瑛は自傷していて、それが担任にバレたのだっけ。それから……『彩瑛と水木がリスカしてんだよね』と言ってオレの親の反応を窺うのに使うという、最低な行為をした相手だ。思い出した罪悪感から少し胸が痛くなる。 「彩瑛、バレてからしばらくしてなかったらしいけど、高校がしんどくてまた切るようになったらしいのね。そしたら、俺も一緒に切らないかって言われた。何かはもう忘れたけど、その時俺も嫌なことあって、まぁ、いいかなって」 そんなこと、簡単に言って欲しくない。たしかに、小方も昂希も、死ななければそれでいいと、そう言ってくれた。自傷をやめろとは特別言わなかった。自傷は悪いことではないと思う、それでも、 ――別に小方は自傷しないで欲しいなんて言ってないじゃないか―― ――オレが切ろうが何しようが、死ななければ小方は傷つかないだろ―― 心の中で誰かが言う。でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。いつか、小方がオレの腕の傷を見て、それから抱きしめて言ったんだ。 『やめろとは言えないけど、それでお前が生きれるならいいけど、辛そうなお前見てっと、ちょっと苦しいかな』 そう小さく言った。信じたかった。でも、突然仲がいいと思っていた人から無視されるようになった直後で、信じるのが怖かった。今ならわかる。小方の言葉は本物だったのだと信じれる。それすら無下にするのか。 「おかしいよ」 口にする。ねーちゃんの事はわからない。ねーちゃんはもう成長しないのだから、そう言ったところでどうにもならない。もしかすると、ねーちゃんを捨てた香乃は、また小方を信じれるようになったのかも、しれないじゃないか。それでも口にする。 「そんなのおかしいよ。小方は? 小方の言ってた事は? 彩瑛と仲良くなったのはいいとして、そんな軽くしていいもんじゃない。ふざけないで。自傷なんて、そんなの今すぐやめてよ」 無駄な話だ。言ったところで何一つ変わらない。オレとねーちゃんが苦しくなるだけ。ねーちゃんは少しだけ悲しそうに笑って、目を伏せたまま、 「ごめんね」 と言った。それを見てオレは、また自傷するようになったと告げられた時と同じほど、胸が締め付けられる。自分がねーちゃんをどれほど傷つけたか。半分くらいならそれがわかるから、余計胸が痛い。 他の人がしているというだけならこんなこと言わない。ねーちゃんがまた切るようになったきっかけの彩瑛にだって、そんな酷いこと言わないだろう。切りたいなら切ればいい。それでその人が生きられるなら。本当に辛いなら死ねばいい。それがその人の本当の幸せなら、眠ればいい。ただ、大切な人がいなくなってしまうのは辛いけど。 でも、自分だから許せなかった。それが自分でなければ、ただ、そうか。と受け止められたのに。だって、失礼じゃないか。小方も昂希も無下にするなんて、オレにはできない。また切るようになった、と彼らに言っても、きっと彼らは、そうか、となるだけで、非難することも否定することもしないだろう。そう信じたい。でも、自傷はオレにとってまさしく裏切り行為だ。 「こんなもんでいいでしょ。ワタシはお姉ちゃんが親に悩みを話せるのが許せませんでした、大切な人がいなくなって自傷癖戻っちゃいました、親友に彩瑛が加わりました。話すことはそんくらい」 「うん、」 ごめん、と謝りたかった。でも言ってしまえば全てが薄っぺらくなりそうで。謝るべきだとわかってはいても、偽善にまみれた言葉を言うことを、口が拒んだ。謝ったところで傷は癒せない。 「どうもね」 そう言って部屋を後にする。 どうしてオレは、こんなにも自分を傷つける事は得意なのだろう。
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