しんどい、小さい綺麗な花、答えの欠片

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しんどい、小さい綺麗な花、答えの欠片

チャイムに手を伸ばしてはひっこめ、伸ばしてはひっこめ。こんなところを小方に見られては、うざがられそうだ。 何を言えばいいだろう。ちーっす、元気? いや違う。どっからどう考えても、違う。調子、どう? 大丈夫? そんなのじゃない。偽善者くさい。いや、うん、 たぶん偽善者だ。だってオレは、アムカの感情がわからない。自傷癖なんてもう持ってない。朧げだ。今からでもねーちゃんに代わってもらおうか。でもたしかにアムカは“大人のお話”なんて聞きたくないだろうし、自傷しているねーちゃんが、オレに行くよう言うのだから、オレが行くしかないのだ。本当に何も知らないオトモダチなんかに行かせるわけにはいかない。 「どうにでもなれ」 そうつぶやいてチャイムを押した。改めて考えれば、チャイムを押してもアムカが出るとは考えにくいし、そういえばこの島の家に鍵なんてないのだった。 「おじゃましゃーす」 見事に家の中は暗い。さて、どこの部屋にいるんだ。一部屋一部屋見ていると、一つだけ、ドアが全く開かない部屋があった。たぶん、ここだろう。中からガムテープでも貼って閉め切ったか。刃の長いカッターを持って来ておいてよかった。強引だけど、ええい、この際どうでもいい。一日放っておいただけいい方だろう。ドアのすきまにカッターをさしこむと、やはり何かがビリッビリッと切れる感覚がした。やっと切れたころには、 カッターはベトベトだ。この粘着感は、うん、ガムテープで間違いないだろう。 「失礼しまぁす」 むりりりりり、とドアを開けると、むわっと煙の臭いがした。濃いけど、たった今練炭を焚いていたわけではないようなので少し安心した。練炭を焚いてる真っ最中だったら失礼しますに程がある。床に散らかった包丁、 はさみ、結ばれたロープ、練炭……このロープの結び方が懐しい。自分も幾度となく練習した結び方だ。部屋の隅、一番暗い所でアムカが疼くまっていた。 「……アムカ」 返事はない。近寄ってみると、どうやら泣き疲れて眠っているらしかった。 自分の寝顔なんて見てもなんだかなあ、と思うが、とりあえずそこらへんにあった毛布をかけた。 かすかすに乾いた頬の涙を見て考える。アムカは何を思って自殺未遂に走り、涙したのだろう。なんとか思い出せるのは、自分が経験したことの端々くらいだ。あの頃は自分が生きていることそもそもを嫌悪していて。本当は自分のためだったけど、周りの人のためにも死にたいと思っていた。人はごみがなくなればすっきりする。自分のようなごみが消えれば、周りはすっきりするし、オレのせいで傷つくこともなくなるし、オレも楽になれるし……たしかこういうのをwinwinって言うんだっけ、 なんて考えていた。 「……しんどかったな」 今思うと、何がそんなに辛い原因だったんだろう、とさえ思ってしまうが、それでもたしかにしんどくて、ただ“生きること”を目標にしていた。たったそれだけを、生きていることを褒めて欲しかったし、誰かに面と向かって否定しても欲しかった。ある日突然女子に無視されたこと、クラスで息がしづらかったこと、家族がオレのことなんて何もわかっちゃいないと思ったこと。好かれることも、理解されることも諦めて、生きることさえ諦めようとしていた。ねぇ、何がそんなに辛かったの? ねぇ、どうしてお前は死のうとしたの? ねぇ……どうしてオレは泣いてるの? 辛かったんだ、本当に。孤独が嫌で。だから、周りに受けいれられようとするのをやめて。もうトモダチなんていらないと思って。見過ごされたくなくて。自分の力を認めてもらいたくて。でも目立つのは何か怖くて。自分がわからなくなって。自分なんていてもいなくても変わんないじゃんって思って。いない方がいいんじゃないかって思って。ほんのちっちゃい言葉すら剣みたいで。本当は仲間がほしいと思ってる自分が嫌になって。いなくなれよ邪魔だよ、死ねって言われたくて。頑張ったね、死んでいいよって言ってほしくて。でも、お前がいなきゃだめだよ、生きてて、って言われたくて。ぐちゃぐちゃだった。全部わかんなくて、そんな自分が嫌いだった。オレはどんどんどんどん自分を嫌いになって行ってしまったんだ。 「アムカ」 なんとか呼びかけた時、不意に、アムカの閉じた瞳からすうっと涙が落ちた。 「……ぃゃ」 小さな声。 「うるさい、うるさい、嫌だ、行きたくない、行けない……」 泣きながら何度もそう言う。きっと夢を見ている。たぶん、セリフから予想できるのは、ある朝の出来事だ。仲良しだったはずの女子に無視されるようになり、班まで 一緒になって数週、疲労もストレスもピーク。ご飯が食べれない、寝れない、起きられない。学校に行きたくないと床につっぷし静かに泣いていた。子供っぽい自分が嫌だったけど、それよりももう学校という場がストレスでしかなくて。 父さんに何度起きろと言われても抵抗しつづけた。そして、とうとう蹴られた。本当に軽く、傷を負うようなほどではない。父さんだって抑えたのだろう。でもオレの心を砕き、恐怖に落とすには十分だった。怖かった。そうか、オレはどこにも甘えられないのだと。理解を求めても無駄なのだと。恐怖で起きて、トイレの中でしゃくり上げた。その日どうやって一日を過ごしたのかわからない。もしその夢をアムカが見ているならば、オレはすぐにでもそこから救い出すべきだ。でもオレの手はアムカの腕に伸びたままなかなか動かせない。何してんだよ、動けよ、と自分を叱責して、なんとかアムカの腕に触れた。 「アムカ、アムカ」 潤んだ瞳がまぶたの裏で動く。 「アムカ、起きて。起きて、大丈夫だから」 少しずつ目が開いて、オレを見る。 「夢だよ、大丈夫」 「……夢?」 アムカが見ていた夢があの朝だとは限らない。でもアムカにとって辛いものを見ていたのは確か。わぁっ、といよいよ泣きだしたアムカを何とか受け止める。今は服なんて濡れてかまわないんだ。 「ごめんなさい、ごめんなさい、生きててごめん、産まれてきてごめん、死ななくてごめん……楽になりたいよ、消えたいよ……」 消えたかった。ただそっと、この世界から消えてしまいたかった。アムカの悲痛な泣き声が、ただ部屋に響く。 しばらくして落ち着くと、アムカは身体を少しぶっきらぼうっぽく離した。 「ごめん」 「大丈夫」 ごめん。大丈夫。同じ言葉でも意味は違う。 「……ねぇ、簡単でいいから教えてほしいんだけど。オレはどうして死にたかったんだろう?」 この質問をするにあたって、どうしたらアムカを傷つけないで済むかずいぶん悩んだ。まあ傷つけないわけなんてないんだけど、でも、この自分を少しでも傷つけないために努力したかった。 「……崖の下にある小さい花が、とても綺麗に見えて、それが取りたかった」 ……ああ。 そうだったのか。死ねば楽になる。死んでも、その益は本当に小さいのだと、心の片隅では自分もわかっているけど、その“小さい綺麗な花”をほしいと思ってしまう。 「わざわざ崖の下に行かんでも、綺麗なものはいっぱい見つけれたよ。でも」 少し躊躇いながらも、アムカの腕に手を置く。 「辛いよな。めっちゃ辛いよな。死にたいよな。楽になりたいよな」 アムカの目から ぼろ、と涙がこぼれた。 「でも大丈夫、怖いかもしんないけど、ここには学校も親も、ないから」 怖いという気持ちをアムカからぬぐうことは、ここにいる限りできない。でも少しでいいから、安心してほしい。学校も家族もここにはないのだから。そういったことをここで今思い煩ってもどうしようもない。どうすることもできない。自分が嫌いという感情だけでもういいじゃないか。きっとアムカはこの先も、坂口香乃が死ぬその時までずっと泣き続け、身を傷つけ続けるのだろう。それは仕方がない。だって彼女は『アムカ』だから。オレが捨てたゴミだから。オレにできることはこのくらいなんだ。 アムカの頭をなでながら、人生で初めてじっくり見る自分のつむじを見つめた。 「……ありがとう」 暗くても目が腫れているのが分かる。 「ウチは、『わかる』って言って同情する人じゃなくて、わかんないけど、でも、ただ寄り添ってくれる人が欲しかったんだよね」 何か、光が す、と射した気がした。腫れた目で、ぐしゃぐしゃな顔で笑っているのに、暗いのに、どうしてだろう。綺麗だと思えてしまった。自分の顔が綺麗だなんて、笑える話だけど。 「……ありがとうは、こっちもだよ」 オレは、答えを見つけられるかもしれない。この島に来て以来ずっと探し続けた答えを、 見つけられるかもしれない。そうか、オレは、そうだったのか。でも明確に、それを答えだと決断するのは、もう少しあとにしよう。 ずっと暗いところにいたせいか、夕焼けすら眩しい。そんなに長くアムカといたとは思っていなかった。思い出したように腹が鳴る。ラーメンでも食べよう。 しかし、改めて考えると、オレが行って正解だったのではないか。変に“わかっている”ねーちゃんよりも、その感情を知っていながら、忘れてしまっているオレの方がよかったのでは、という気がしてくる。思い上がりかもしれないけど。 ラーメン屋のドアを開けると、湯気の上がるしょうゆラーメンが、俺を待っていた。
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