オトナ、コドモ、性別

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オトナ、コドモ、性別

「あ、ねえねぇ!」 ギャルが大きく手招きしていたので、反射的に逃げようとしたら捕まった。こういうのは大体ろくなことじゃない。 「なんなの」 花火はこの前見ただろ、他に何があるんだ、と考える。 「私、いつもとなんか違うと思わない?」 ほら見ろ、どうしようもない。 「昨日髪乾かさないで寝たのか? 髪広がりに広がりまくってんぞ」 「ひどい! ちゃんと乾かしたし!」 「乾かしてそれか……まあそうだったかもな。いつかヘアアイロン借してやるよ」 「ホント? ってそうじゃなくって! 別!」 たしかに何か変だが、何だろう。 「メイクでもしてる? いやしてねえな、何、わかんない」 「えーじゃあヒントね」 わかんねえっつってんだろ、とっとと言えよ、とげんなりする。 「私の一部が拾われたんだ」 衝撃の言葉に目を見張る。でもギャル自体にこれといった変化があったというわけでは…… 「あ、」 「気付いた?」 「影。影がない」 「そう、私の影、なくなっちゃったんだー」 ギャルの足元にあって然るべき、ギャルの影がない。 「……影が薄くなったわけだ」 「やだなー言い方変えてよ」 ギャルもどきの影が拾われた。他人に合わせようとすることの一部が拾われた。いつかこの時が来るのではないかと、わかっていたけれど。 「……きっと香乃は、大人になれたんだね」 十八で成人したとか、もう二十八だとか、そういうことじゃなく。ギャルもどきの影を拾ってやっと、香乃は大人になれたんだ。 ほらな、やっぱりろくなことじゃなかった。 大人になんてなりたくない、そう思うようになったのはいつからだろう、どうしてだろう。そもそも『大人』なんてよくわからない。一つの指針として辞書を引いたけど、小難しいことばかりだった。たしか、自分の立場の自覚、自立、社会の裏表の理解、一人前、そんなところだったか。 大人になるっていうのはつまり、諦めることだと思う。得られるのは選挙権と、酒とタバコと、免許と、いらない責任。あとは結婚? それもいらない責任に入れていい気がする。税金も結婚も、同じようなものだろう。失うものの方が多い。 サンタクロースはいないと知って、諦めて、少し大人になる。正義のヒーローにはなれない、そんなものいないと諦めて、また少し大人になる。“自分”を貫くより、他に合わせる方が楽になって、“自分”を諦めて、またちょっと大人になる。理解してもらうことなんて不可能なんだと諦めて、また大人に近づく。人を信じることを勝手に諦めて、少し大人になる。結局『大人』というのは心の問題なんかじゃなくて、ただ単純に、その年に達すればなれるものなのだろう。そうやって、『大人』に単純明快な公式をつけて、諦めて、またちょっとだけ大人になれる。 じゃあ自分は大人なのかと言われれば、もうたくさんのことは諦めているけど、ギャルの一部を拾おうなんて思わないし、まだ十五歳だ。大人なんて、子供から強制的に追い出されてしまった集団。ねーちゃんも子供から追い出されて大人の仲間入りをしたわけだけど、現実の坂口香乃はそうじゃなくて、本当の大人になろうとして、ギャルの影を拾ったのか。周りに合わせるべき、“普通”にすベき部分なんて、自分でもわかってる。でもそれを曲げたくなかった。曲げてしまうのが怖かった。オレがいつまでも曲げれず、いつまでも子供に引き止めていたものは。 性別を嫌う心。 男が嫌い、女も怖い。カタツムリみたいでいいじゃない、雌雄同体でいいじゃない。性別なんてあるから、いろいろ面倒なんだ。オレは、赤ちゃんの時から人見知りで、特に男の人がダメだった。それをなんとか普通に接せるように努力した。でも小二の時。同じクラスの男子から…ソフトに言えばセクハラ、大袈裟に言えば性暴力を受けた。実際その類だったのかもしれない。もちろん手を出されたとかいうわけではなかったけど、オレの心を傷つけるには十二分だっただろう。いや、自分だって多少は悪かったのだ。小二だから大丈夫なんてことはなく、男は男なのだと警戒すべきだった。 クラスの中心トップ三の男子、そこに女子一人で遅い時間に下校するなんて。どうしてそんな状況に身を置いたかというと、クラストップの男子が好きだったから。そんな愚かな感情のままに動いたが故、傷を負った。それでもなんとか『恐怖』に蓋をして、それまでとは特に変わらず振る舞うよう努力した。ああ、でも、そうか、オレはあれ以来たしかに変わっていたのだ。むしろ変わらずにいられるわけがない。あの時以降クラストップの男子とは関わらなくなった。所謂“イケイケ系男子”を避けてきた。それなのに英士なんかと付き合えるだろうか。お前だって、オレを恐怖に陥れた一人だろ。 オレが忘れたと思うのか。お前は忘れたのか? お前の声がさらにオレを恐怖に突き落としたんだろ。見たくもないものを見せつけられて逃げ出したオレの背中に、お前の言葉が突き刺さったんだ。『追いかけて捕まえてもう一回見せろよ』と、その言葉が人のいない地下道に響いた、そこを必死に逃げて行ったオレの恐怖がわかるのか、拭えるのか。本当はずっと怖かった、でも波風立てたくなくて一生懸命普通に振る舞おうとしてたんじゃないのか。お前なんかとは何があっても付き合えない。 性別が嫌いになった理由は他にもある。数え切れないくらい。上手く言葉にできないものが様々に絡んで、それで。オレは性別が嫌いだ。そんなものなければ、もう少し人生マシだっただろうに。本当は、誰だって友達でよかった。恋なんてしたくなかった。要らなかった。ずっと平和に、友達でいたかった、誰とだって。好きになりたくない、なってほしくない。ただずっと、トモダチでいてほしい。それが叶わないのが嫌だった。トモダチに恋するたび、腹が立った。オレはいつだって、『友達』で居続けることを願っているのに、相手は、周りは、自分は、それを壊してしまう。いつからが『年頃』なんだ。どこからが『仲良くしすぎ』なんだ。今までずっとしてきたように接して何が悪い。どこで変えればよかったんだ。何が男女仲良く、だよ。そこには見えない深い深い溝が、高い高い壁があるじゃないか。性別なんて消えてしまえ。 でもそう叫び続けるなら、人間関係は壊れてばかりだし、自分も痛い目に遭うだろう。だから割り切るしかないのだ。その溝を割り切るより他ない。割って捨てなければならない。それは人間の捨てるべき定めとなっているもので、多くの人は当然のように歩んできた“大人への道”だ。小さくなった靴を履かなくなるような、その程度のものだ。でもオレは、そうじゃなかったから。そうできなかったから。小さくなった靴をいつまでも履いていたかったから。だからいつもオレはどこかズレていた。それをやっと封じ込めて、皆と同じになるために、大人になるために、香乃はその溝を割り切ることにして、ギャルの影を拾ったのだろう。本心に蓋をして、 自分を周りに合わせて、波風立てず、ただ、普通に。同僚Aでいるために。それでいいのだろう。それが、いいのだろう。でもオレは子供だから、何の責任もない子供だから、“普通”なんて放り出して、自分を叫びたい。 男がなんだ、女がなんだ、性別なんて消えちまえ。
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