不幸の知らせ、見つけたいもの、待宵

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不幸の知らせ、見つけたいもの、待宵

ポストに入っていた手紙をごみ箱の中に置いた。そうしたところで思考を変えられる訳もないけど。自分今何歳だったっけ、と結局またそれを取り出すハメになった。それに、やっぱり最後まで見ずにはいられない。よりによってこんな日に、とため息をついた。今日もまた昂希の夢を見た直後だ。まあ、オレが見る夢なんて、大体昂希が出てくるものだけれど。ごくごく淡い、白かと思うようなピンク。桜色は、オレが好きな色。手触りまで上質な少し重いその封筒から、これまた薄いピンクのカードを取り出す。桜と霞草と思しき小さい花、アクセントで若葉色が散りばめられたカードの真ん中の白に、 春の陽射しを思わせるようなやわらかい明朝体が並んでいた。全てをオレの『好き』で埋めたようなカードであっても、これはオレを不快にしかしない。このめでたくて幸せを象徴しているかのようなこれは、オレにとっての呪いで、不幸だ。 『このたび私たちは結婚することとなりました』 一番下に寄り添うように書かれている名前に目を移す。『坂口香乃』の左にある名前は、知らないものだった。それに少しだけ安心してしまう。前に付き合っていた人と同じ人物なのだろうか。そうであってもそうでなくても、どうであれその人と親友であってほしい。そうでなければ…この島を飛び出して、坂口香乃を殴りに行こう。 嗚呼。昂希に会いたい。もう一度、あともう一回でいいから、昂希と笑い合いたい。もう大人になった昂希でいいから。オレの“昂希”でなくたっていいから。だって、もう会えなくなってしまうじゃないか。坂口香乃が他の誰かと結んでしまっては、オレはもう昂希への想いを伝えてはいけなくなってしまう。いや、伝える術なんて元から持っていないんだろうけど、でも。叫んではいけないだろうか。ごみ箱の中のごみが、君に向かって叫ぶんだ。君はそれを聞いてくれるだろうか? それに応えてくれるだろうか? 君というのは、そうだな、 坂口香乃であって、黒川昂希であって、この島の呪いであって、この地球の定めだ。ねえ、聞いてくれるかい? 応えてくれるかい? このごみ箱の中の小さなごみに、たった一つでいいから、奇跡を与えてはくれないだろうか?南の海へ走る。 昂希が好きだ。 そんな小さな言葉の代わりに、はっはっ、と息が出る。叫ぼう、君の元へ行こう。 「昂希に会いたい!」 からみつく靴を砂の上に放り出して、まだ少し冷たい海に足を入れた。どこまでも行こう、海を越えて君に会いに行こう。ねぇ、許してくれるだろう? 現実が結婚してしまったらもうこの想いを届けることは許されないんだ。でも、それ以上にオレは昂希に会いたくてたまらない。あのウェディングカードに背中を突き飛ばされたオレは、夢で見た昂希に、いや、黒川昂希に、会いに行くよ。お願いだ、奇跡を起こしてくれよ。ああなんだろう、坂口香乃が他の男と結婚するのは堪らなく悔しい。でもどこか安心している。祝福している。悔しさ、憎しみ、喜び、ぐちゃぐちゃになった先は、もう何もない。オレはただ、昂希に会いたいんだ。 はっはっ、と息は上がるけど、苦しくはない。足だって疲れていない。そういえばここはそんな世界だった。見渡す限り、海。海と言うよりかは大きな大きな水たまりのようなものだ。行ったことはないが、ウユニ塩湖のよう。水の鏡か、一度行ってみたいけど、これも十分すごい景色だ。あっちもこっちも水平線。空との境がわからなくなってしまう。橙に染まりつつある右を見て、はたと思った。これ、どうやって帰るんだ?そう思いつつも足は止めない。まあいい、夜が明けたら考えよう。東の空は群青だった。群青、という言葉の響きはとても好きだが、色としては紺の方が好きだ。桜色よりも紺の方がダンゼンいい。 昂希。昂希のことを考える。もしもこの島を出る条件が、『なくし物を見つける』ならば、オレは何を見つけるべきか知っている。オレがこの島に来て十七年ほど、オレが現実で生きた時間以上の時をかけて探しているものは、たった一つだ。オレにとって君はなんだったんだろう? オレが見つけたいのは、失くしてしまったのは、それだけなんだ。友達と言ってしまえる美しさなんてない。好きな人、これはたぶん、オレは昂希に恋しているのだろうけど、そんな窮屈にしたくない。でもオレにとって昂希がなんなのか知るためには、どうして昂希が自分にとって大切だったのか、それを見つけなければならないのだと思う。 『僕にとって彼女はピストルスターなんだ』 オレの大好きな小説の主人公がそう言った。いや、実際にはそう書いてはいないかもしれないけど。たしかそんな風なことを言っていた。主人公にとって彼女は、ピストルスターのようにどこまでも真っすぐ輝いていてほしい、いつまでも美しくいてほしい存在だった、とオレは受けとってる。そんな風にまとめるのは無粋だし、作者が言いたいのはそうじゃないのかもしれない、オレが少ない脳みそで考えたあてずっぽうだ。とりあえずオレの中ではそういうことにしておこう。そこを掘り下げだしたらいつまでたっても昂希には辿りつかない。オレはピストルスターとは呼ばれているけれど、別に昂希がまるでピストルスターのようにどこかで変わらず光っていてほしいなんて願っているわけじゃない。小説の主人公は彼女が何も変わらないことを望んでいたけれど、そんなことまでは望んじゃいない。昂希の欠点は直したって全く構わないし、むしろ直していい。それが正しいことであるなら、昂希はいくらでも変わるベきだ。 ネメシス、という星のことも、あの小説は教えてくれた。 ネメシスは太陽の伴星に付けられた名前だ。でも太陽に伴星があるかはわからない、というより ない、という方に落ちついていると書かれていた。オレはないであろう星を好むように昂希を好いているわけではない。でもまあ、ピストルスターというよりかはネメシスの方が近いような気がする。 他の可能性も考えたい。メリーゴーラウンドで前を行く君。これならどうだ。メリーゴーラウンドでは、いくら進んでも追いつくことはできない。いやいやそんなんじゃないだろう。表現は綺麗かもしれないけれど。前を行く君の姿が好きだったわけでも、その距離が好きだったわけでもない。そもそも昂希がオレの前を行ってたなんて、そんなことあっただろうか? そう考えること事体がダメなのかもしれないけど。とにかくこんなんではない。メリーゴーラウンドなんかじゃないとは、始めからわかっていた。 じゃあ正義のヒーロー? ナイナイ。アイツは正義なんかじゃなくて基本『バレなきゃ犯罪じゃない』精神のヤツだ。ヒーロー、は別にいいかもしれないけど、でもヒーローは別な人だ。オレのヒーローは、満弥だから。走りながら、目を瞑る。 中学最後の文化祭、一週間前。クラスでつるんでた女子に無視されるようになった。 元はといえば、相手の方がからんできて、そのうちにトモダチ的な関係になっていたわけで。それもあって、さすがに無視は堪えた。まあ途中から、嫌われてるんじゃないかとは薄々気付いてたけど。理由だって、心当たりが全くないかと言われれば、ないわけでは、ない。だって、もう他人を持ち上げるのは嫌だったから。ご機嫌をとろうなんて、面倒くさかったから。思ったことをそのまま言ってりゃ、つっけんどんにしてりゃ、きっとコイツも離れていくだろうと思ってたのに、そうじゃなかったから。だからオレは、お前を信じちゃったんだよ。信じていい相手だって、思っちゃったんだよ。 ねーちゃんなら笑うだろう。現実の自分だって、昂希だって笑う。全部お前のせいだろ、と。そんなこと、本当は、ずっとずっとわかってるに決まってんだろ。オレの口が悪かったんだ、 思ったことを口に出しすぎたんだ、全部オレが悪かったんだよな。荒んでいた。 いや今もそうなのかもしれないけど、とにかく文化祭中は酷く荒んでいた。 文化祭一番の盛り上がりと言っても過言ではない吹部の演奏の時もそれは同じ。 心の片隅はテンションが上がっているものの、心のどこかは、というより半分以上は沈んでいた。段々皆ヒートアップしていって、ついには席を立ち、別なスペースで踊り出す他のクラスの奴らを冷めた目で見て、自分は絶対あんな場には行かないだろうな、行けないだろうな、と思っていた。自分のクラスメイトたちも「行く?」「踊る?」「え行きたい」「行こうよ」「お前行けよ」とか言い出した時。オレの席の横に人が立った。 「香乃、一緒に踊ろう?」 にこっと笑って手をさしのべる満弥は、まるで物語の王子様みたいで。穴の底で蹲る傷だらけの人間に手をさしだすヒーローみたいで。ほぼ本能的に手をとって立ち上がった。と同時に後ろから来たクラスメイトの波にのまれたけど、この手だけは離すものかと、しっかり握り続けた。 やっぱりヒーローを昂希にするわけにはいかない。オレのヒーローは満弥だけだ。 いや待て、オレが探しているのはそうじゃないんじゃないか? 拘るべきは名称じゃない、オレが昂希をどう思っていたか、どうしてそう思っていたか、そっちの方だ。 ――ウチは、わかるって言って同情する人じゃなくて、わかんないけど、ただ寄り添ってくれる人がほしかったんだよね―― そう言ったのはアムカ。その言葉がストンと胸に収まった。そうか、小方や昂希といる時楽だったのは、そういうことだったのか、と。彼らはいつだって、わかる、なんて言わなかった。知らねえ、わかると思うかよ。冷たい、と思いつつ、オレはいつも「うん、知ってる」。だって、それがありがたかったから。口に出せば、少しくらい心が軽くなるんじゃないかって、苦しみを他の人に押しつけたくはなかったけど、でもそうしてれば、ただ口からたれ流してれば、まだどこか一本残していられるんじゃないかって。そうできたのは小方や昂希だったから。本当のところはどうだったかわからないけど、彼らはオレがいくら重いこと言ったって、無関心なようにしていてくれたから。自分が大切な人の悩みの種だなんて、死ねるくらいだ。もしかしたらそうだったのかもしれない、でももしそう思っていたとしても、それを表に出さないでいてくれた。もっとちゃんと感謝すべきだったな。少し笑う。 ――おい、俺を残して逝くんじゃねえぞ。死んだら殺すからな―― いつも小方が言ってくれた。心配させてごめんな、何よりも、ありがとう。小方にそう言いたい。小方に会いたい。ああでも、オレが誰よりも会いたいのは、小方よりも会いたいのは、 昂希なんだよな。だからオレは、藍色の中をどこまでも走ろう。 昂希。欲を言えばオレは、昂希とオレの間柄をなんとも呼びたくなかったんだ。小さな型に定義してほしくなかったんだ。そんなことしたくなかった。三角比のsinだかcosだかtanだかが知りたかったんじゃなくて。そのsinだかなんだかを証明しようとする面倒な数列を二人で見て、なんとか解こうとして、知るかよこんなのって投げ出して、二人で笑いたかったんだ。たぶんそれを証明することくらい、オレと昂希ならできるってわかってはいるけど、二人とも面倒くさくなって、投げ出して、笑いたい。それでいい。答えなんて出なくていい。オレたちは友達だったかな?でもそんな美しい関係じゃあないよね。もっとぐちゃぐちゃで、細繊で、答えなんてすぐには見つけられなくて。でも“友達”じゃない、それ以上だって言うなら。そこにはもう、恋しか残らないんだろう。それでも恋じゃないって言い張るなら、それはもうただの崇拝なんだ。偶像崇拝だ。オレの中に理想の“昂希”を創って、それがあたかも本物であるかのように思う。オレを受け止め、いつだってオレの『完璧』でいる昂希という像を、オレは崇拝していた。恋と呼ぶよりかは、崇拝と呼ぶ方が幾らかしっくりくる。オレの崇拝する昂希は、オレの中にしかいない。昂希はオレが思うほど優しいわけでも、気が利くわけでも、大人びた考えをしているわけでもないかもしれない。そうわかっていてもオレは、君にオレの“昂希”を押しつける。 紫紺の世界、我慢比べだ。オレは夜が明けるまでは、諦めてなるものか。さあ、奇跡よ起きろ。今この世界の中心は、オレなんだ。 濃紺の中。右も左も、上も下も、天も地も、もうわからない。どこへ向かえばいいのだろう。でもきっと向かった先に、君はいる。いてくれるはずだ。そうだと信じよう。 ねえ、オレはね。君にただ側にいてほしかったんだ。隣にいてほしかったんだ。君はオレの大切な人で、隣にいてほしくて。でもその感情をなんと呼べばいいかわからないんだ。一人の人の隣にい続けるのは、一人の男の隣にいつもいる女は 、それは恋人だという公式しかオレは持っていなかったから。 だからオレは君に、恋をした。 はたと足を止める。ついさっきまでオレは濃藍の世界にいたはずだ。それが今は白い靄のような世界にいる。高鳴ってきた胸に、期待なんてするな、と押さえようとして、乱れた髪や服を整えながら、一歩、一歩と前へ進む。靄の奥に人影が見えた。 自分が思うより先に、口から名前が溢れた。
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