イヤホン、愛車、マンション

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イヤホン、愛車、マンション

夢なら覚めてしまっても構わないので、寝た。が、次目が覚めた時に広がっていたのは、よく見ていた天井でも少し散らかった部屋でもなく、あのオレ好みの空間だった。ここって普通に昼夜あるんだな……これって本当に夢じゃないのか……鳥がいい声で鳴いてるな……などどうでもいいこと、重要なことをスライドショーのように脳内へだらだら流し、なんとなしにいつものごとく朝食をとった。スマホはあったので憧れ、というには小さい願望を叶えようと、好きな曲をイヤホンでじゃんじゃか流しながら味噌汁をすする。親がいたらこんなことはできない。そういやイヤホンつけてチャリ漕ぐのってありなのか、やってみたいなあ、など緊急感のかけらもなく。親がいない休日を過ごしているような気分だ。自分がこの不可思議な世界に突然置かれたことを特別驚くでも焦るでもなく。何か諦めのような、当たり前のような、有難いような。不思議な気持ちがする。 気に入ってた服はあるのか、とクローゼットを覗くと、そこにあった。随分と便利な所だ。着替えて、さっとメイクをして、イヤホンを耳に突っ込み、外へ出る。家の横にはご丁寧に愛車、チャリがあった。イヤホンをしたままチャリなんて違反だしなんとなく怖かったが、ここでなら何も咎められないんじゃないか、と思いそのまま跨った。心臓が少し高鳴っている。あの、授業中に先生の目を盗んで秘密のメモを回すような、そんな気持ち。家は少し小高い丘の上にあったので一気に下った。この世界がどこまで広がっているのか見にいこう。きっとそんなに広くはないだろう。何せ自分が二人もいる世界なのだから。 何気にたくさんの家があった。小さいアパートのような家。こぢんまりとしていても綺麗な家。ほとんどがオレ好みでいい家だ。どこも自然豊かな田舎。時々シャッター街や小さな駄菓子屋、ゲーセン、カラオケ、謎にアニメグッズをたくさん置いている店、定食屋、図書館、産直……そんなものもある。ゆったりした空気が流れていた。西も東も南も、端にはそう時間をかけずにたどり着いた。海だ。海の家から一昔前の歌がガサガサとする。でも、北へはあまり行きたくない。高層ビルが立ち並んでいるから。ああいう都会は苦手、というより嫌い、に近い。人ごみは嫌いだ。でもなんとなく行かなくてはいけない気がする。チャリを走らせた。 「……何してんの」 大きな交差点の横、何かの専門店の前にもう一人の自分はいた。入口からずっと離れて一人ポツンとスマホをいじっている。時々入口の方へ寄りはするものの、ほとんど進まない。 「ああ、見て回ってたんだ。どう?」 なにがどう? なのかはよくわからないが、きっとここはどうだ、という意味なのだろう。 「あっちは気に入った。でもここは嫌いだ」 「やっぱね」 「何してんの。とっとと店入りなよ」 「うん、私以外には見えないらしいんだけど。大行列だよ。たくさん人がいて、その中で立ち止まってる君は散々煙たがられてるけど、やっぱこのたくさんの人が見えるのは私だけか」 よくわからないが、彼女にはたくさんの人が見えている、というだけではなく、影響されてもいるらしい。オレには大都会にしか見えない。都会の巨大ジオラマの中に立たされているような気分だ。建物はいろいろあるが、この世界でオレが見た人間(なのかあやふやだが)はこのドッペルゲンガーくらいだ。 「ラーメンが食べたいなってふと思ったんだけどさー。この並びようですよ」 困ったように笑うが、オレにはそんなものは見えない。 「オレの家の近くにもラーメン屋あったけど? そっちで食えば」 こんな何屋かもわからない無駄に小洒落た都会の混んだラーメン屋なんかで食わなくてもさ。心の中でそう付け足した。 「私にはそれができないんだ。君は多分この店でも食べれるよ。でも私は、君が住んでいる所に入れても、買い物をしたりなんかはできない。そういうのは全部ここでしなきゃない」 本当にここはどんな世界なんだろう。 「アンタの家は? どこ」 「ワンルームのマンション。あと、そうだなあ、三時間くらい待ってよ」 そんなに待ってられっか。小さく言い捨ててチャリに乗った。 「三時間後にまた来るよ」 こんな奴とはあまり関わりたくない。大都会とも。去り際にまた彼女をちら、と見た。原色を基調としたスタイル。シンプルのシの字もありゃしない。ああいうのは好かない。胸のあたりがムカムカした。 北の端はまた海だった。三時間経ったがあの大都会にいくら人が見えないとはいえ行く気になれない。足を投げ出して砂浜に座り、青い空を見上げると、こないかなと思っていた場所にウミネコが来て寂しげに鳴いた。ラジオから流れる曲をBGMに寄せる波の数を数えた。自分のことだ、どこにいるかくらい分かるだろう。 「あ、いたいたー。やっぱりねー」 「ラーメン食うのによく三時間も待てるよね。尊敬するわ」 「並んだのはあれから一時間くらいだよ」 「食うのに二時間?」 「まさかー。食べたら、これ。これ買いに行った!」 手にしているのはタピオカ。それもまた並んだらしい。そんなの高いだけで、おいしいものは安くてももっといっぱいある。流行というだけでよく長い時間並び、よく高い金を払えるものだ。 「じゃ、私の家行こうか? いい所とは言えないけど」 「いい所とは言えない場所に連れて行くんだ」 そう言いつつ砂を払って立ち上がる。 「タピオカ飲む?」 「いらない。そういうのよっぽど気が向かなきゃ飲まない」 「そ?」 やっぱり腹がたつ。 この、なれるわけもない、似合いもしないギャルっぽいものになろうと自分を周りと合わせようと足掻いている様子が、たまらなく。 彼女の家は大都会の真ん中にあるワンルームマンションの一室だった。角部屋でなければ最上階でもないし最低階でもない。最上階の一つ下の階、エレベーターの横の角部屋の一つ隣。おまけにトイレ一体型のユニットバスで、鏡が小さかった。 「随分嫌な部屋だね」 「しかも車の騒音はするし空気はまずいし日当たりも悪いし狭いし隣からは喧嘩の声とかいびきとか喘ぎ声までするし上の階は足音がうるさいし」 「引っ越せないわけ?」 「残念ながら」 ひょい、と肩をすくめる。いちいちイラつくのはどうしてだろう。 「私、この世界の管理人に嫌われててね。こんなところでしか暮らせないんだ」 「この世界の管理人はなんなの? なんでオレが二人もいんの? ここは何?」 わけのわからない状況に声を上げる子供じみた質問ではない、つもりだ。面倒ごとを早くどうにかしたいだけ。答えがわからずにいるのは好むことではない。それも根底は子供じみた考えによるものなのだろうけど。 「それはそのうちわかるって言ったじゃん?」 「……アンタってホント腹立つよね」 返答はこうだとなんとなくわかっていたが。 「じゃ、帰る。都会は嫌い」 「……うん、私も」 バタン、と扉を閉めた。
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