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本心、断髪、全う
ピンポーン。
「はいはい?」
玄関へ行くと、ギャルもどきが息を切らして立っていた。
「あのね、家が一軒増えてた!」
「……ほう?」
「一応報告! ねーちゃんのトコ寄ってから海岸いくね!」
「ああ、うん」
影のない不自然なギャルが走っていく。アパートの扉を閉めた。オレがここへ来てもうどれだけ経っただろう。オレの家は、立派な一軒家からアパートに変わった。ギャルもどきの影は相変わらずで、ついでにオトモダチの影もなくなった。アムカは一度拾われたものの、また戻ってきた。ねーちゃんも影が一瞬拾われたけど、今はしっかりある。小四は、普通だ。
新しい住民なんてめちゃくちゃに久し振りじゃないか? 一体全体今何歳だよ、と計算する。
「おう?」
出た答えに驚いていると、またチャイムが鳴った。
「ギャルが家に来いだとよ」
ねーちゃんが相変わらずの無表情でそう言う。
「今回は何が来たのさ」
「行けばわかるだろ。にしてもなあ」
「八十六?」
「たぶん八十六歳だな。よくもまあそんなに生きるもんだわ。」
まったくだ。もう十五歳になるつもりすらなかったはずなのに。よっぽど運よく生きのびているらしい。
家に着いた。階段はなく、幅の広いスロープがついた小さな家。
「バリアフリーって感じですかねえ」
「それですな」
一応チャイムを鳴らすと、中からギャルがどうぞーと応えた。いつからここが貴様の家になったんだ、と笑う。家に入ると、オトモダチがパタパタとスリッパを鳴らしてやってきた。
「おばあちゃんの部屋、こっち」
おばあちゃんか、まあそう呼ぶしかないのだろう。介護用のベットが明るい部屋に置かれている。その中にある顔をねーちゃんと見比べて、少しは面影あるのか、と頷いた。
やがてアムカも来て、これで全員。
「自己紹介した方がいい? よね?」
「まず我らが座る椅子がいるんじゃなくてよ?」
「あ、そうか」
おばあちゃんが 若いねえ、とでも言う風に少し目を細める。
「それじゃあ、私はギャルもどき」
「他人に合わせちゃう人間ね」
ねーちゃんが補足すると、おばあちゃんが少し首を動かした。
「私はオトモダチ、他人を信じる心」
一人一人自己紹介する度に、おばあちゃんはゆっくり頷く。しわのある細い手、長く少ない白髪を横で三つあみにして、ベットの中に座っている。
「私たちは皆、現実の香乃に捨てられた人格なんだけど、おばあちゃんは誰なの?」
オレたちを見ていた目を遠くへ移して、自分の手を見て、オレらの座る椅子の脚を見て、それからゆっくりと口を開いた。
「……死ぬのが怖い」
死ぬのが、怖い。
「寿命だし思いがけずこんなに長生きできた。本当にありがたい。夫ももういない、子どもは元からいない。思い残すことなんてもう何もない。幸せな人生だった、もういつこの命が尽きたっていい。でもやっぱり、死ぬのが怖い。私が捨てられたっていうことは、もう先は僅かなんでしょうね、いよいよ覚悟を決めた、って感じなのかな」
あ、自分、死ぬんだ。この世のどこにもいなくなるんだ。そうか。そんな歳だよな。そっか。自分、死ぬのが本当は、怖かったんだ。そっか。そうだったんだな。
まるで、学校の封鎖された屋上に続く階段みたいだ。行こうと思えば行けた。そこを登れば何があるかもわかってた。でもオレは、まるでそこが『禁断の場所』であるかのように、屋上の扉の前に行くことすらしなかった。本当によく似ている。オレは『本当は死ぬのが怖い』のだとわかっていたのに、それを認めようとも、知ろうともしなかった。階段を見て見ぬ振りをしていたんだ。
「なるほどね」
アムカが少しキツく言う。
「わかった。じゃあウチはこれで」
死にたい。そう思っている彼女にとっては、心に秘めているものを抉られるようなものだろう。これ以上は聞けない、とばかりに家を出て行った。
「話してくれてありがとう、ちゃんと休んでね」
「何かあったらいつでも呼んで」
「私にできることがあったらなんでもするから!」
ギャル、オトモダチ、小四はそんな社交辞令を残して去っていく。
「なんか変な気分だな。自分とは思えない。まぁ、よろしく」
ねーちゃんもそう言って出ていく。しまった、出て行くタイミングを逃した。しかもおばあちゃんと目まで合ってしまった。少し溜め息をついて立ち上がる。
「椅子、片付けるけど、どこに置いとけとかある?」
「適当でいいよ」
アイツら椅子くらい片付けろよ、と思いながら、四本足の丸椅子を重ねて部屋の隅に置く。
「ショートヘアも似合ってたものね」
「なんとなくイメージとしては、オバサンになると髪切るってイメージだったんだけど」
「一応美意識は残ってたから逆にロングにしてやろうと思っただけ」
「なるほどね」
少し安心する。自分もおばさんになったら髪を切らなきゃないのか? と少し案じていたから。
「どうして人は失恋すると、髪切りたくなっちゃうんだろうね」
ぴた、と固まる。
「失恋したからってだけで切ったんじゃない。そもそも恋だったのかもわかんない。知ってるでしょ」
「まあそうね」
中学時代、オレはいつもポニーテールだった。それでしょっちゅう昂希の顔面をぶったたいていたし、小方には手綱のように掴まれてたし、水木や満弥には三つあみやおだんごの練習台にさせられていた。ポニーテールは、オレのささやかな楽しい日常の象徴だった。でももうそれは過ぎ去ったのだと、自分にわからせたくて。髪を切った理由なんて、たったそれだけだ。
「とりあえず、年はくっても美意識は残ってるようで安心した」
「そう」
「じゃあオレもそろそろ行くから。なんか食べ物とかいる?」
「食べ物はもういらない」
「あそう」
部屋を出ようとして、はたと足を止める。
「ねえ」
「何?」
「オレは、香乃は、いつ死ぬわけ?」
「……よくもまあ老衰まで生きたわって思う。運が良かったんでしょうね」
自殺するはずだった。病で倒れてもおかしくなかった。事故に遭うことも考えられた。よっぽど運がよかったのだろう。
「あと、二、三日、ってところ?」
「……ありがと」
そうか、オレは、死ぬんだな。消えてしまうんだな。部屋を出る。
「またね、ベテルギウス」
「うん」
オレの呼び名は、ベテルギウス。
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