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ゴミ箱、ピストルスター、アムカ
「ちっす」
「おっす。今日二回目か」
「そうだね」
オレは一日の終わりに昨日カラオケで会った自分のところへ来た。
「今日は何してたんだよ」
「どんな自分がいるか一軒一軒回ってた」
だから彼女と会うのは今日二回目なのだ。にしてもいろいろな自分がいた。なかなか奇妙で不思議なものだが、彼女が言うように『そのうち慣れる』のだろう。この世界にいる者――自分を含め――誰一人として、この世界から出ようとしていないのが少し怖い気もしたが、この世界の正体はなんとなくわかったのでそこまででもなかった。
「自分がたくさんいるけど、お互いなんて呼ぶもん? アイツ、とかだけじゃやっぱきついっしょ」
「みんなあだ名ついてる。一人称とか見た目とかでなんとなくわかるけどね。同じ坂口香乃しかいねえから不便な時は不便だけどはっきり言ってしょっちゅう関わるわけでもないし。てか、ここが何かわかったわけ?」
「うん、まあ」
「へえ」
「そんな感じの小説あるよね」
「はは、アレか。うん、あれは好きだ」
「オレも好き。でも、違うよね。管理人?とか。はっきりは知らんけど」
「ほほう」
聞いてやろう、とでも言いたげな顔。そんなところが自分らしい、のではなく。彼に似ている、と思った。馬鹿馬鹿しい、と思いつつも胸の奥から泣き声が聞こえた気がした。
「……何」
「あ、いや、ごめん。言っていいのかな」
「ウチはもう知ってるんだからもったいぶる必要なんかないだろ?」
「そうだね、うん、言う。とりあえず、ここの管理人は……坂口香乃、で、いいのかな」
「ほうほう」
「で、オレらは……捨てたもの、って言えばいい? 上手に言える語彙力がなくて小説の言葉を借りることしかできないのが癪だけど。でも、きっとそういうことなんじゃないですか」
ふう、と目の前の彼女が息を吐いた。難しい問題、でもその相手なら答えられるだろうとどこかではわかっていた問題の答えを当てられた、そんな時に見せるような表情だった。表情がない、表情。
「…当たり、でいいのかな。多分、当たりだと思うよ、うん」
――攻めてんの? 攻めてないの?――
懐かしい声はしなかった。出てきたのは言葉だけで、彼の声はちっとも聞こえない。
「当たりってことでいいのね」
「そういうことでいいんじゃない?」
自分が思うよりずっと、オレは彼に似ていたのか、と思った。
「それで?」
「ん?」
「自己紹介してくんなきゃよくわかんないよ。ウチは今年三月頭に捨てられた坂口香乃」
そこで彼女は一度口を閉じた。
やっぱりか、と思った。そうなんじゃないかとは出会った時から思っていた。
とげとげしい自分になったのは中二の頃からで。俺は中一までの自分をひどく嫌っている。なれもしないギャルに憧れ、無理に周りと合わせようと足掻く様が、今思うととてつもなく嫌いだ。あの都会に置かれた自分はきっと、中二になってすぐ捨てた『周りに受け入れられようとするとても弱くて小さい坂口香乃』なんだろう。
そして、目の前の彼女は、きっと。
「ウチは誰だと思う?」
口の端を少し上げ、長めの瞬きをして、ひょいと肩をすくめた。答えに検討はついているけど、わからないです、どうぞお答えください、というメッセージ。
「ウチは、自傷癖を持つ坂口香乃」
ニッと笑って見せる腕には、たくさんの赤い傷。別段驚きもしない。ある跡が赤いか白っぽいかの違いだけだ。
「アンタは? アンタは誰」
彼女はわかっているかもしれないし全くわからないのかもしれない。どちらでもおかしくはないだろう。息を吸った。
「オレは、黒川昂希が好きな、坂口香乃」
オレの声は、泣いているように聞こえたかもしれない。
彼女はオレが好きな彼について少し驚いたようだが深く聞くこともなく、何をどうしたってオレだけでは知り得ないこの世界のことを教えてくれた。
この世界は全て、現実にいるたった一人の坂口香乃によって管理されているが、基本したいようにできること。
ここはいわゆるゴミ箱で、現実の坂口香乃が『あの子が欲しい』と言えばじゃんけんなんかせずに拾うことができるということ。
ここへ来るのは性格のようなものだけで、人間の成長の中で必ずある変化や捨てるもの、例えば、はいはいしかできない自分だとか、泣くことでしか要求を伝えられない自分だとかはここへ来ないということ。
その性格を捨てた時、その時の自分が複製され、ここへ送られるということ。
複製されここへ来た自分はもう決して成長しないということ。
あとは追々わかるから、と言われた。
「ところでさ、真っ先にアンタを見つけたのはギャルもどきだったんでしょ。なんでウチのところに来たのさ」
「ギャルもどき」
誰のことかは察しがつくが、繰り返した。
「都会暮らしのね」
「あ、うん。同じニオイがしたからでしょ。いい言葉かどうかわかんないけど、一番親近感を持てた」
彼女はひょい、と肩をすくめた。同じ動作でも意味は全く違う。オレがしたのはただの責任放棄や押し付けで、彼女のはもっと深い意味がある。諦めであり、諦めではない。
「アンタのこと、なんて呼ぼうか。ギャルもどきはそれでいいし、乙女、はもういるしな」
「乙女」
また繰り返した。
「ギャルもどきともう一人の後に来たやつだな。中二の二学期あたりか? 七咲広が好きな奴だよ」
七咲広。その名前がとても懐かしい。あれは盲目の恋だ。乙女、という呼び名はとても適切だと思った。
でも。
「オレはそうじゃないよ」
オレの持つ昂希への気持ちを、恋だとか好きだとか、そんな薄っぺらな言葉の型に閉じ込めてしまいたくない。もっと複雑で、もっともっと――素敵なものだ。そうであって欲しい、と思う。
「そうじゃないってのは?」
「乙女のしてた恋とは全然違う。そんな簡単な言葉で言えるようなものじゃない」
「ウチがここに来たのは三月頭。ウチは昂希のこと好きじゃないから、ウチが捨てられてからその気持ちが出てきたんでしょ?卒業式前の期間に何してたのさ。それってアレじゃないの、修学旅行時期に好きだったのと同じようなアレじゃないの」
「全然違うよ。この気持ちはぽっと出のものなんかじゃなくて、気づいただけだから」
「普通の恋だって気づくもんでしょ」
「アンタだってあの小説全巻読んだでしょ。なんて言えばいいんだろ、昂希はオレにとってピストルスター的なものなんだよね」
「ピストルスター」
今度は彼女が繰り返した。
「そ。オレは昂希を信じてる。とっても信じてる。あの小説で彼がピストルスターっていうものを信じてたみたいにね。昂希といる時はとても楽だったし楽しかった。何かを偽る必要も、装う必要も、怖がる必要もない。何にも気兼ねなく過ごせた。話したくないことを無理に話す必要もなかった。彼ともっと一緒にいたいし、一緒に笑いたいし、自分が彼の一番そばにいたいと思う。だからきっとこの感情や昂希への想いを表す言葉は、恋とか好きとかぐらいしかないんだろうけど、でもオレはこの想いをそんな箱に閉じ込めたいとは思わない」
「憧れとは違うんですか?」
「アイツみたいになりたいと思う?」
彼女は少し目を細めた。オレは少しもそう思わない。彼は優しすぎるのだ。オレの我儘を大体全部呑んでくれるのだ。彼のように優しすぎる人になったらきっとオレは壊れてしまう。彼が壊れないでいるのは、その優しさが持つべくして持った天性のものだからだ、と勝手ながら信じている。
「ん」
ちょうど何か飲み物を手渡された時、何かを飲みたいという欲求ができたので、缶を開けてグッと飲んだ。
「ぶおっふ」
隣を見ると、アムカ(と呼ばれているらしい)がケラケラ笑っている。ちゃんと見るべきだった、と後悔しても遅い。
「大丈夫だってー。ケーサツなんて来ませーん。あんま酔わないし」
呆れつつも飲みたいものだったので普通に飲んだ。
「ホント、なんでもアリだな」
「そりゃね。現実の坂口香乃が止めてないことはなんだってできるでしょ」
現実のオレがやりたいことを、ここでできる。
それから二人で静かにビールを飲んだ。
「こうやって考えるとさ」
秒針が刻む音だけの空間に邪魔が入る。
「自分のことは理解できると思ってたけど、やっぱ限りなく他人で、限りなく自分。理解できない。わかる、なんて言えない。ウチはアンタが見た世界を経験してないんだから当たり前。所詮他人事。でも、どこかわかる気がする。自分のことだから」
「……うん」
でも、信じられるかい? 心の中で問うた。
オレは昂希の顔を思い出せないんだ。オレに向けられた笑顔も、嫌そうな顔も、悪戯っぽい顔も、何もかも。彼が大切ではない君の方がよっぽど、彼が現実的なんだろうな。大切な人の顔を忘れるなんて、信じられないだろう?
口元に少し笑みを浮かべて、ビール缶を回した。
「……今更だけど」
「ん?」
「お前、髪切ったのな」
毛先を弄る手は、もう肋骨のあたりではなく、鎖骨のあたり。
「……うん、まあ、ね」
彼女が思う理由は正しくて、でも、間違っているのだろう。
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