楽しみ、花紺青色、思い出

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楽しみ、花紺青色、思い出

「あ、ピストルスターおはよう!」 向こうからギャルもどきが来る。ピストルスター、と呼び始めたのはアムカだった。 「ピストルスターってなんなの? とりあえずカッコよさげだけど」 「さあね」 オレはピストルスターじゃない、昂希がピストルスターなんだ、そう思ったがなぜか特別悪い気はしなかった。いつか小説の表現は借りずに、昂希を唯一無二の表現で表せればと思う。 「で? なんか用?」 「そうそう、今日は花火だって」 「花火?」 「海の向こうから見えるみたいだよ、みんなで行かない?」 みんなで、というと、海岸に自分が何人もわらわらと集まるのだろうか。一対一ならともかく、何人も同じ顔が並ばれると気持ち悪くなりそうだ。でも、花火か、きっと現実の坂口香乃も見るのだろう。そのお裾分けのようなものかもしれない。せめてもの親切か。そういえば去年は見れなかった気がする。久しぶりに見るのもいいかもな、と思った。 「いんじゃない、別に」 「やった! 前も南から見えてたから、きっと今回もかな。そういえばいつも新しい人が来るのって南だな。もしかしてだけど、南が現実に近いのかもねー」 その通り、なのかもしれない。だからとて南の海を渡ろうなどとは思わないが。 「じゃあ、五時にアムカの家集合ね。きっと浴衣とかも家にあるから! じゃあまた!」 つくづく嵐のような奴だ。でもあれが昔の自分なのか、と思い返すと、恥ずかしいような、情けないような、複雑な思いになった。 とりあえず夜の準備をしよう、と家に向かう途中、少し小洒落た雑貨屋に行って浴衣に似合いそうなアクセサリーを物色した。 「お」 カラン、コロン、というドアベルの音。外の茹だるような暑さとともに、誰かが入ってきた。 「あれ。アムカじゃん」 「何、アンタもギャルもどきに聞いてなんか買いに来たわけ?」 「いやアンタもでしょ」 うっさいですぅー、と言いつつ、アムカも並んで商品を見比べ始める。浴衣は家にあったあの紺色の浴衣だろう。前着たときはまだ少し大きかったが、今ならちょうどいいに違いない。もしかするとアムカも同じ浴衣、というかほぼ全員同じ浴衣なのではないか、と思ったが、どうでもいいことのような気がした。髪型も、眼鏡も、身長も、顔つきも、体型も、話し方も違うのだ。自分とまったくもって同じコピーが大量にいるのとは違うだろう。気持ち悪くなりそうなことに変わりはないが。 ショートにしてからあまりヘアアレンジをしなくなってしまったので、どんなアレンジ、アクセサリーがいいのかいまいちよくわかっていない。今のうちから練習しよう、と思い、良さげなバレッタを手に立ち上がった。じゃあまた、とアムカに告げてから外に出た時思う。なんだよ、オレ、めっちゃ花火楽しみにしてんじゃねーか、と。少し苦笑して、うるさいほどの蝉の声をBGMに、歩を進めた。 結局前のようなアップスタイルはできるわけもなく、ハーフアップにした。ワックスをつけすぎた気がする。暑い上浴衣や髪と戦ったので汗をかいてしまい、下ろした方の髪が首に張り付いて気持ち悪い。精一杯嫌そうな顔をしているのに、心はどこか踊っていることに我ながら呆れていた。 「おー、来た来たー!」 同じ顔、同じ浴衣がずらずらずらり。これには心の底から顔をしかめた。 「え、気持ち悪」 「マジそれな」 そう言ったのは家から出てきたアムカ。アムカもここへきて半年は経っておらず、これほど自分が集合しているのを見るのは初めてだと言う。 「あれ、アンタメイク変えた?」 「オレ? ああ、ちょっとね。フェイスパウダーつけるようになったのと、アイシャドウシリコンチップでつけるようになった。やっぱ違うもん?」 「うん。つかリップの色変えたっしょ」 この中でメイクと言えるメイクをしているのはオレとアムカくらいだろう。乙女も、まあ、しているはしているのだが。もっとメイクの研究しろ、自分に合う色探せ、など言うだけ無駄だろう。そんなことで体力を消費するのは得策ではない。 「よし、じゃあ行こっか。屋台もあるんじゃない?」 屋台、か。綿あめ。りんご飴。焼きそば。たこ焼き。削り苺。ヨーヨー。電球ソーダ。焼き鳥。イカぽっぽ。チョコバナナ…… ハッと顔を上げた。これでは文字通りお祭り気分で浮かれているだけではないか。しかし、ほぼ全員同じような様だった。どうやらオレの根本的な部分はずっと前から変化していないらしい。 海辺にあるのは、たくさんの坂口香乃と屋台、それからラジオから聞こえる今流行りというには少し古い曲だけ。自分以外の人間はどこにもいなかった。ギャルもどきにはもしかするとたくさんの人間が見えているのかもしれないが。 お金、という概念がここにはないらしい。それはそうだ、ここには坂口香乃しかいないのだから。店頭から金も払わずものを持って行くのは少し気がひけるが、そういう世界なのだ、と言い聞かせている。きっとこれも、『そのうち慣れる』のだろう。 ふと、海の向こうから歌が聞こえた。聞いたことがない曲だった。オレがここへ来てから流行り出した駆け出しの曲なのだろう。ここへきてからの日々は僅かで、人生の中で瞬き程なのに。その瞬きの中で、世界は忙しなく、めまぐるしく変化していく。同じ坂口香乃も、同じ黒川昂希も、もういない。現実にいる今の坂口香乃は、もう、さっきの坂口香乃。同じ坂口香乃なんて一瞬たりとも現実世界には存在しない。オレが信じ続けている黒川昂希は、もう卒業式の時の昂希でも、メールの中にいた昂希でもない。オレの信じ続ける黒川昂希は、ずっと変わることのないオレの中にしかいない。沢山の食べ物を手に、ぼんやり考えていた。 花紺青色の空に、ぱっと邪魔が入った。花紺青色の空は、ラジオから聞こえる廃れつつある曲は、この世界に寄せる波の囁きは、あっという間に蹴散らされてしまう。 花火は、綺麗だった。 たこ焼きをゆっくり食べながら呟く。 「思い出がなくてよかった」 ほんの小さな、小さな呟きだった。 「どういうこと?」 「……よく聞こえたよね。地獄耳なの?」 「知らなかった?自分のことなのに」 隣にいるのはあくまで同じ自分。なのに全くの別人に見える。笑顔の力は凄い。キレイで、ちゃんと作られた笑顔に、何かが入る隙はない。 「それで? どういうこと? 思い出はあればあるだけいいんじゃないの?」 「いらない思い出だってあるでしょ。それを思い出す度いちいち苦しくなるんなら、持ってなくても別にいい。そのせいで楽しめるはずのものを楽しめないのは嫌だ」 「いらない思い出ってある?」 「大切な人は思い出にしたくなかった。大切な人だけは思い出なんかにしたくない。大切な人の存在の思い出なんていらない」 「なるほどね」 そんなこと心では塵ほども思っていないだろうに。この頃のオレは女優みたいだ。騙されそうになってしまう。 昂希とのことが思い出になるのはしょうがないと思っていた。でも昂希は、昂希だけは、思い出なんかにしたくなかった。いつまでもリアルな昂希でいて欲しかった。でも。彼はもう、思い出の一員となってしまっている。 「思い出がなくて、どうしてよかったの?」 「……大切な人との思い出があったら、花火、楽しく見れないだろ」 例えば、カワウソのぬいぐるみを見る度に苦しくなるように。例えば、卒業式の日通った道をあれ以来ずっと通れなかったように。例えば、昂希に貸したペンを、他の誰にも貸さなかったように。 「……そっか」 「うん」 削り苺のミルクが甘ったるい。大きなしだれ花火が、花紺青色だった空を埋めていた。
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