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カラフル夫人はカラフルなものが大好きです。どのくらい大好きかというと、服には7色以上の色を使わないと気が済まず、その「服」にはバッグや靴は含まれていません。だから彼女が外に出るときは必ず9色以上の色を纏っています。
彼女の家は遠くからでも一目で分かります。何故なら外壁は1階部分が緑で、2階が黄色で、屋根が橙、そして真っ赤な煙突が立っているのですから、いやでも目に入ります。そうそう目といえば、彼女の目は左が青色で、右が緑色です。彼女がカラフル好きなのはもはや神の啓示以外考えられません。
もちろん家の中もカラフルです。まるで色の組み合わせなんてものは全く無視した色とりどりの家具で埋め尽くされております。まず玄関のドアを開けると、ワインレッドのトイプードルと、コチニールレッドのマルチーズがお出迎えしてくれます(100%植物性のスプレーで色付けしているからワンちゃんに害はないと彼女はは言っていますが、彼らにはいい迷惑です)。スカイブルーのラックに虹色のグラデーションに並べられたスリッパを一足取って、サフラン色のカーペットを踏み、サンゴ色のフローリングを進むとリビングに行き当たります。リビングときたらもう、何から説明していいか分からないくらいの極彩色で溢れかえっています。だから無視してキッチンへ向かいましょう。特注のショッキングピンクの冷蔵庫にはチョコスプレーが常備されています。彼女はどんな料理にもこのチョコスプレーを振りかけてカラフルに仕上げます。そうそう飲み物に入れる着色料もかかせません。赤ワインはもっと赤黒くするのが彼女のポリシーです。彼女は白ワインも大好きです。何故なら自分の好きな色に染められるのですから。
ベッドルームはこの世に存在するありとあらゆる色を取り込んだ、彼女の贅を凝らした自慢の部屋です。この部屋にはおかしな名前の色がたくさん隠れています。しかし、どれもこれも普通の人からすると、同じような色をしており、てんで見分けがつきません。例えば布団のカバーは表が「誤って唐辛子を食べた8歳の娘の顔色」で、裏が「7歳の息子が姉とかけっこしていたら誤って転んで擦りむいた膝色」とカラフル夫人は言いますが、どちらも全く同じ薄い赤にしか見えませんし、まくらカバーのファスナーの引き手部分は「少年時代の夏休みに自転車で隣町を旅していたら道に迷ったときの焦燥色」で、ベッド脇の棚の天板は「青年期の終わりに仲間と旅の道中立ち寄った夫に先立たれた老婆が老猫とたった2人で住んでいる古民家色」で、いつも彼女が読書に使う机に置いてあるブックスタンドの足は「老年期に箪笥を整理していたらアルバムが出てきたのでつい懐かしくなってパラパラとめくっていたら忘れていたあのときの思い出がよみがえってきて何ともいえぬ哀愁を感じた色」らしいのですが、やはり素人目から見るとどれも同じような淡い茶色でしかありません。
とまぁこんな具合ですから、彼女は近所から「色きちがい」と呼ばれ煙たがられていました。ですが彼女は気にしないどころかそれを勲章と受け取り、彼女は張り切ってますます色々な色に染まっていきました。
カラフル夫人には結婚している娘がいます。名前はヤヨイ。夫人の大好きな芸術家と同じ名前です。そんな娘に男の子の赤ちゃんが生まれたとの報告がありました。彼女は嬉しさのあまり黄色地に黒ドットの椅子から転げ落ちてしまいました。
「まぁなんてこと! ついにあたしもおばあちゃんになってしまうのね。あんた、名前は考えてあるの? 」
「もちろんよ母さん。アレックスなんてどうかしら? 私の大好きなサイケアーティストと同じ名前よ。それともレインボー? パレットなんていうのもいいわよね」
さすがはカラフル夫人のDNAを受け継いだ娘です。ヤヨイは立派な色きちがいに育ちました。色に狂った親子は、そのあとも日が暮れるまで名前談義に虹色の花を咲かせました。
◆◆◆
さて、ときが過ぎアレックスもといレインボーもといパレットもとい、トリップと名付けられた男の子は4歳になりました。
ある日、ヤヨイがトリップ君を連れ、この世の混沌を体現したようなカラフル夫人の身の毛もよだつ家を訪ねました。でもカラフル夫人ときたら、せっかく孫と娘が訪ねてきたというのに、黒一色でつまらない喪服を着たときみたいに浮かない表情でいるのです。それもそのはず、カラフル夫人はトリップ君があまり好きではありませんでした。なぜならトリップ君ときたら、夫人が色々な色をした色々なおもちゃやら、色とりどりの食事を振舞っても、まるでモノクロ写真に写った塩コショウでも見ているかのようにつまらない顔をするのですから。
夫人は娘に「本当にあたしの血が混ざった子かい、あんたの旦那の精子はちゃんとウインドリバーの雪原みたいに真っ白だったかね」と、青髭公も真っ青な質問をしたわけですが、当然ヤヨイはいつぞやのカニエウエストのスニーカーみたいに顔を真っ赤にして怒りました。しかしすぐに気を沈め、夫人のように沈んだ表情になりました。どうやらヤヨイもそんなトリップ君のことが心配だったようです。
翌日、ヤヨイはトリップ君がどこかで隠れて、色味のないものを食べて頭をおかしくしたに違いないと精神科に連れていきました。ですがお医者さんはトリップ君の様子や、ヤヨイの言っていることを聞き、親子に眼科を勧めました。
ヤヨイはなぜ眼科に? うちの息子は頭をおかしくしたというのに、と疑問を抱きながらも眼科を訪ね、トリップ君は検査を受けました。そして眼科医の診断結果を耳にした途端、ヤヨイは卒倒して頭を打って外科に運び込まれました。
また翌日、ヤヨイは夫人の万年ニューレイヴのパーティー会場のようなカラフルな家を訪れました。そして夫人はトリップ君が色にときめかない理由を聞くと、娘のヤヨイと同じように卒倒し、外科に運び込まれました。そのついでとして、色に執着する彼女の様子を見た精神科医から診断を受けることを勧められたのはここだけの話です。
さて、トリップ君の身に一体何が起こっていたというのでしょうか。実はトリップ君、全色盲という疾患を患っていたことが分かったのです。色盲とは、目が特定の色を上手に映してくれない病気のことです。全色盲の人の目には赤も緑も青も黄色も、ピンクも紫も橙もありません。つまりトリップ君の目にはただ白と黒の世界が広がるばかりなのです。我が子や可愛い孫がモノクロームの世界に生きていると知ったら、彼女らのような色きちがいの親御さんでなくてもさぞ辛いでしょうに、彼女らの絶望はそれはもう計り知れないことでしょう。カラフル夫人はすっかり落ち込んで三日三晩寝込み続け、さらに三日三晩を今後どうやって孫に接していけばいいのだろうと悩み続けました。
そして一週間後、カラフル夫人は同じくうんざりするほどカラフルなヤヨイの家に訪れました。ヤヨイはフラミンゴ色のカーペットを歩き、レモン色のロックチェーンとレモン・イエロー色の取手が付いたレモンフィズ色のドアを開け、訪ねてきた母の格好を見るや否や、彼女は腰を抜かしました。それもそのはず、夫人はホルスタインの毛皮みたいに陰気臭い、白と黒だけで構成されたファッションに身を固めていたのですから。それどころか、ありとあらゆる色をシャットアウトさせてしまうような、真っ黒なサングラスをかけているではありませんか。
「ああ母さん、なんてこと! とうとう気が狂ったのね! そんなはしたない格好、さっさとやめてちょうだい! トリップの教育に悪いわ!」
と、ヤヨイこそ狂ったように叫びました。しかし、夫人は黙って首を横に振りました。
「いいのよヤヨイ。これもトリップを思ってのことよ。寝ても覚めても色のない光景しか見られないなんて、あの子とてもつらいでしょうに。赤いバラや青いネモフィラ、黄色いメランポジウムの美しさを見せたくても見せられない。それならと、その美しさを言葉にして伝えようにも、あの子にとってはくだらない美辞麗句に過ぎない。でも私はあの子のために少しでも何かしてあげたい。そう心から願った。だから私はこうやってあの子の辛さを身を以て体験することにしたのよ。もう色なんてどうでもいいわ。私はこれからモノクロームの世界に暮らすことにしたの。よかったらあんたも協力してちょうだい」
ヤヨイは開いた口が塞がりませんでした。あまりに気が動転したものですから、その日は母を追い返し、その足でおばあちゃんの草餅色のベッドに倒れ込み、やっぱり三日三晩寝込み続け、三日三晩うなりながら悩み続けました。
そして一週間後ヤヨイは、すっかりチェス盤みたいにつまらない色に塗り替えられてしまったカラフル夫人の家の外観に度肝を抜かれながらも、彼女を訪ねました。黒いドアが開くと、やっぱり真っ黒なサングラスをかけた、ケープペンギンのような白と黒で身を固めた夫人が出迎えました。訪ねてきた娘の格好を見るや否や、彼女は涙を流し、娘を抱きしめました。ですから、ヤヨイも負けじと母を抱きしめ返してやりました。ヤヨイも母と同じように、どこに行こうがパンダみたいな色使いの服で身を固め、いつどこであろうと真っ黒なサングラスで決め込むことにしたのでした。
それからというもの、カラフル夫人はカラフル夫人と呼ばれることはなくなりました。その代わりに、近所は彼女のことを「白黒ばか」と呼ぶようになりましたが、彼女は気にしないどころかそれを勲章と受け取り、彼女は張り切ってますますモノクロームに染まっていきました。彼女は色きちがいや白黒ばかである前に、相当な凝り性ですから。
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