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親父っさんの気遣い
『おぅ、ジェイか。今店の近くだが、他のお客さんは引けたかい?』
「今2人いるんです。でも貸切の時間だから来て大丈夫!」
『そうはいかねぇ。こっちこそ大丈夫だ。お客さんにはのんびりしてもらってくれ。帰られたら連絡くれねぇか?』
「はい…… ごめんなさい」
『謝るこたねぇよ。相手は堅気のお客さんだ、こっちは押しかけなんだからな』
親父っさんはそう言って電話を切った。
蓮が小声で聞いてくる。
「親父っさんか?」
「うん。お客さんが残ってるなら待つって。気にするなって言われた」
「そうか…… 申し訳ないな」
「でね、お客さんにはのんびりしてもらえって」
「親父っさんらしい」
蓮にしても、だからと言って『早く帰ってください』などとは言えない。常連さんならまだ言いやすいが、このお客さんたちはたまにしか来ない人たちだ。表には[7時より貸切]と貼ってあるが、『腹が減って堪らない。家まで電車で1時間以上かかるんだ』と聞いて無下には出来なかった。
それから15分ほどしてお客さんが立ち上がった。
「悪かったね、貸切なのに」
「いえ。また来てください」
「ありがたいよ、こういう店。温野菜までつけてくれて悪いね」
「週末、ゆっくり過ごしてくださいね」
ジェイの穏やかな対応にお客さんは嬉しそうに帰って行った。すぐに親父っさんに連絡を取る。
「お待たせしてごめんなさい! もう誰もいないから」
『ありがとよ。じゃ今から行くよ』
テーブルをみんなで大急ぎでセッティングする。眞喜ちゃん、伴ちゃん、そして今日は匠ちゃんも来てくれている。
匠ちゃんは積極的だ。蓮に少しずつ料理を教わっている。今は皮むき専門だが、結構器用なので蓮も期待している。時々源や眞喜ちゃんも面倒見てくれて、それが本当に嬉しいようだ。
「絶対に調理師免許取れるように頑張ります!」
真っ暗だった将来に大きな明かりが灯った匠ちゃんは嬉しくて堪らないのだ。
池沢のアドバイスで親戚にも電話で話して、父親を施設に入れる方向に進んでいるとのことだ。若すぎる兄妹には、父の介護をしながらの日々は厳しすぎる。親戚は2人除いて、賛成してくれたと言う。
「決めるのは君たちなんだ。全員を説得できなくても仕方ないんだよ」
池沢はそう言ったが、もうしばらく話してみようと妹と決めたらしい。
だから店としても匠ちゃんを応援している。
「なんでも相談しろ」
「私にも相談してね」
「話あったら聞くからね。我慢しちゃだめだよ」
「たいしたことはできねぇけど、困ったら言えよ」
そんな言葉も匠ちゃんを奮い立たせている。
妹が『ヘルパーさんも来てるから2時間くらいでもお店でアルバイトさせてください』と言ってきたがそれは蓮が断った。
「悪いとは思うけど、酒を扱う店なんだ。バイトできるのは6時くらいからだろう? それより今は学業に専念しなさい」
匠ちゃんは蓮に頭を下げた。
「大学、行かせたいんです。あいつ俺に悪いと思ってるみたいで」
「そうか。ただな、間違っちゃだめだぞ。よく妹さんの話を聞いてやれよ。大学に行くことだけが幸せに繋がるわけじゃないんだからな」
まだ若い匠ちゃんは、そこの部分については納得してはいないが。
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