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 幽霊と言うのは人間の恐怖の産物であり、その人がいると言えばいるものだし、いないと言えばいないものだ。だからそのイメージがより強ければ強いほど明確に姿を形作り、やがては一体の幽霊として誕生する。しかし書物や噂話で語られる名のある幽霊というものはたくさんの人にたくさん怖がられるわけだから、全国各地にぽこぽこ誕生したりしている。だから一口に『皿屋敷のお菊』といっても何人も存在しているわけである。このおキクもその内の一人であった。  街から電車に揺られて十五分、そこからさらに駅裏の山道を十五分歩いた先に、木々に紛れて廃寺がある。そのくたびれ具合を見ればずいぶん前に立てられたことは明らかなのだが、いつ建てられたのかと知る人はいない。敷地内には古井戸があって、ある日突然そこにおキクが誕生した。年の頃は人間でいえば十五歳。白い着物を身につけて、手持ちの物は九枚のお皿だけだった。  何しろ本人にとっても突然のことであったから、最初は何をすれば良いのか分からなかった。他の幽霊に聞いてみようとしてみてもその時は周りに人は無かった。自分は何のためにこの世に生まれて何をして生きるべきか、お皿とにらめっこして模索した。  やがて人間と同じように姿を現すことができると判明した。元々の幽霊の姿の時には人に見られることも触られることもないのだが、この人間の姿ならば会話だって可能である。そうしておキクは好奇心にも背中を押され、廃寺の外へと踏み出した。  それから二年の月日が経った。刺激ある人間社会で揉まれる中で色んなことを経験し、常識から流行からあらゆることを学んでいった。そんな実地訓練の果てにおキクはお皿を戸棚へとしまいこみ、着物を脱ぎ捨てセーラー服を着るようになる。つやのある黒髪を茶色に染めてメイクもばっちり、長い爪をものともせずにスマートフォンを弄ぶ。そしてお金は援助交際で手に入れた。今となっては自身のやるべきことについて悩むということは無い。とにかくその日その日を楽しく過ごすということだけに情熱を注いで暮らしていた。  その日もおキクは街での楽しい生活を終えて廃寺に戻った。綺麗な三日月の空の下、暖かくなった春の風を浴びながら縁側でタピオカミルクティーを流し込む。頭の中で考えていたのは本日の稼ぎである一万八千円の使い道だ。貯金するという手もあるが今のところスマホゲームに課金するプランが有力だった。 「帰ってたのか」  そこへ一匹の狸がやってきた。狸と言っても胴体は茶釜で動きは亀のようにのろのろしている、奇妙奇天烈な生き物だった。ずいぶん昔から廃寺に住みついていたようで、おキクと出会ってからというもの頼んでもいないのに甲斐甲斐しく面倒をみるようになった。孫ができたとでも思っているのだろう、おキクもまた『爺ちゃん』と呼んで、一緒に廃寺で暮らしていた。 「これ、タピオカミルクティーって言うの。飲む?」 「また街に行ってきたのか」  もう一つ別のカップを手渡した。爺ちゃんは前足で器用に掴み、ストローに口をつける。するとすぐに吹き出した。せき込む爺ちゃんを見ておキクはケタケタと笑い転げた。 「残念でした。ただの小石と泥水よ」 「ケホッ……。まあ、いたずらをするのは別に良い。なにせ幽霊じゃからな、びっくりさせてなんぼのもんじゃ。しかしおキク、あれほど街には行くなと言ったのに無視するとは何ごとじゃ」 「だってここにいても掃除くらいしかすることないもん」 「また以前のようにお皿を数える練習はどうじゃ。爺ちゃんが付き合ってやるぞ」 「そういうのはもう卒業したの。時代は令和よ、ニ十一世紀よ。そんなつまらないことやってたらたちまち時代に置いてかれるわ」 「だからといって誰これ構わず股を開くことはないじゃろう」 「イヤらしい言い方しないでよ」  爺ちゃんが再三言うことによると、街には霊感の強い人がいて、程度の違いはあれども彼らは幽霊の姿を見ることや触ることができるそうだ。霊能者と言うのが一番最悪な奴であり、こいつにかかると寿命をもたない幽霊ですらたちどころにこの世から消されてしまう。そして人間以外にも不思議な力を使う者は実はたくさん蠢いている。そう何度も力説されてはいるものの、当のおキクの危機感は薄い。誕生してから二年の間にそんな輩に会ったことは一度もなかった。 「どうせまた行くんじゃろうな。よいか、もしも何かあったらすぐに街にいる幽霊を頼るのじゃぞ。場所は前に教えた通り。どんな奴らかは分からんが同じ幽霊のよしみで助けてくれるかもしれん」  重ねて念を押す爺ちゃんに、おキクは間延びした声で返事した。
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